15
翌日午前十一時三十分、列車はシュセイル東部の街リェスカに三時間停車し、補給や点検を行う。その間、キャビンにも清掃が入るので、観光や昼食で街に降りる者が多い。
父さんは、明日の移動に備えて特別室に引きこもって読書に耽っている。列車は明日の正午に終点のモルヴァナに到着して、そこからオクシタニアの領主の城までは、馬車かソリで約四時間の長距離移動となる。今日ぐらいはのんびりしたいとのことだ。
リェスカの街は山岳に囲まれた湖畔の街で、貴族の保養地として別邸が建ち並ぶ美しい街だ。近くには温泉もあり、夏には湖で泳ぐこともできるので、東部最大の観光地となっている。
「まぁ、今の時期は湖は凍っているし、温泉に行くにも雪で山道が封鎖されているから飛竜に乗らないと辿り着けないし、できることって言ったらお買い物とかスキーやボードやソリで遊ぶぐらいしかないけどね」
アンが観光案内所前の大きな地図を指差しながら教えてくれる。リェスカにはよく遊びに来るそうだ。
「温泉かぁ……ゆっくりできるなら父さんを連れて行ってあげたいけど、三時間で行って帰って来るのは慌ただしいよね」
ガイドブックには、源泉かけ流しの天然岩風呂の写真と地図が掲載されている。その隣のページには、猿と大きなネズミが気持ち良さそうに温泉に浸かる写真が載っている。
微笑ましい写真を見ながら和んでいると、ヒースが私の肩越しにガイドブックを覗き込んで余計な気を回し始めた。
「アルと二人で行ってくる? 先生へのアリバイ工作なら任せて!」
「ははは……結構です!」
遠慮しなくていいのにぃ〜とニヤニヤするヒースの肩を殴ろうとして、ここで爆破事件を起こすわけにはいかないと、ギリギリの所で思いとどまった。
くっ……いい笑顔しやがって……!
「何はともあれ、まずはお昼ご飯ね! この近くにいつも行く郷土料理のお店があるんだけど行ってみる?」
アンの提案にヒースと私は頷き合う。
「アンのオススメなら期待できそうだね」
「うん! アルもそれでいい?」
先程から無言のアルは、私の肩に腕を回して顔を埋めたまま、小さく唸った。
冬場は特に眠いらしく、放っておいたら立ったまま眠ってしまいそうなぐらい眠いのに、私が出掛けると言ったら一秒と間を置かず『一緒に行く』と答えるのだから流石である。
「いいって!」
「そ、そうなの……?」
困惑顔のアンが先導して、私たち四人は街の中心部に向かって歩き出した。
街は湖に寄り添うように三日月型に広がっている。ガイドブックには凪いで鏡のようになった水面に雪山が映る美しい写真が載っていたけれど、今は分厚く凍った湖の上を冷たい風が吹き荒ぶばかりだ。
釣り人が居なければ、そこが湖だということも忘れてしまいそうな空白を、空の蒼と白樺の林が緩やかに包む。林の中にぽつんぽつんと点在する尖り屋根は貴族の別邸だろうか。細く立ち昇る煙に、主人の在宅が窺えた。
湖の縁に沿ってしばらく歩くと、ボート乗り場と釣具店が見えてきた。ボートが並ぶ岸辺は公園になっていて、近所の子供たちやカップルの姿も見える。
ハティを遊ばせるには、人が多過ぎるだろうか? 人懐っこいから、知らない人にじゃれついてしまうかもしれない。
意見を聞こうと隣を歩くアルの横顔を見上げれば、いつから私を見ていたのか視線が絡む。雪の底に芽吹いた新緑のような、仄かな温かさを帯びた瞳に見つめられて、みるみる顔が熱を帯びた。
今思い出す必要の無い、昨夜の出来事が頭の中をぐるぐると回って、頭が沸騰しそうになる。
何を言おうとしたのか、言葉はすっかり蒸発して、池の鯉みたいにはくはくと口を開いては閉じる。優しく微笑んで小首を傾げる彼の視線を振り切って前を向けば、アンとヒースの好奇心に迎えられた。
「これは……! 進展があったと見た! エリーに報告しなきゃ!」
「アシスト成功かな? いやー、また善行を積んでしまったなぁ。はっはっは」
ハイタッチして健闘を讃え合うアンとヒース。やっぱり、あの時わざと二人きりにしたんだ!
普段アルと仲の悪いアンも、何故かこういう時だけはアルに協力的で裏切られた気分になる。
「な、何も無いから! 報告しなくていいし! 余計な気を使わなくていいから!」
「ひどい……僕を押し倒しておきながら、何にも無かったなんて」
「あらぁ、やるわねセラったら」
「あーあ、それはひどい。セラは責任を取らないと」
そして、こんな時だけ見事な連携を見せるアルとヒース。君たち本当は仲いいだろう?
「何の責任だよ!?」
もう誰も信用できない。私の味方になってくれるのはハティしかいない。……おやつで簡単に買収されてしまうけど。
私が先行きに不安を覚えている間に、お目当てのお店に到着したようで、アンが鼻歌混じりで扉を開いた。
「このお店のミートボールの煮込み料理が絶品なのよー! 来る度に頼んでしまうの」
甘酸っぱいソースの香りが漂って、思わずごくりと喉が鳴った。
獣人の私にはわかる! このお店の料理は絶対美味しい!
「いらっしゃいませ。四名様ですね。空いてるお席へ………………」
振り向いた店員が私たちの顔を見て固まる。ガタガタと震え出し、見開いた眼に恐怖を湛えて悲鳴を上げるまでに時間はかからなかった。
「う、うわああああああ!!?」
「あ……君は」
ヒースが小さく呟いたのが、どこか遠くに感じる。
ガシャンとトレイを取り落とし頭を抱えて蹲る彼を、アルは冷たく見下ろしていた。
***
きんと冷たい風が湖の上を吹き抜ける。カップルの囁き声や楽しそうな子供たちの笑い声を乗せて、真っ白な世界を穏やかに彩る。
私は隣で項垂れた青年を見据えて、再会した時から気になっていたことを口にした。
「腕の傷跡、消えたんだね」
彼の肩がびくりと震えて、痛みを堪えるような顔でこちらを見た。ハンスと名乗った彼の腕には、かつて私が噛み付いた傷跡があった。
当時はまだ子供といえど、牙のある猛獣が死にものぐるいで食い千切ろうとしたのだ。皮膚が引き攣れた生々しい傷跡は、彼の獣人への憎しみをひと時も忘れさせることなく、助長したことだろう。それが、夏の事件まで長く尾を引いた。
「……あの後、良い魔法医を紹介して貰って、治してもらったんだ」
「そうだったんだ」
常連のアンが店主に話を付けて、少しの間彼と話をする機会をくれた。最初は店の中で話をしていたけれど、事情を知ったアンが一番怒ってくれて、『その頭、チリチリにしてやる!』と暴れ出したので、ハンスを店の外に連れ出すことにしたのだった。
「綺麗になって良かった」
「……ああ」
傷があった場所を掴む指は白い。ハンスは沈痛に顔を顰めて、また俯いた。
そわそわと落ち着かないのは、殺気を隠そうともしない監視者のせいだろう。これでは、萎縮させてしまって落ち着いて話ができない。
「心配しないで。アイツには何もさせないから」
少し離れた所から、こちらを監視しているアルは、ろくに瞬きもせずにハンスの背中に殺気を送り続けている。アルにも聞こえるように、わざと大きな声で言ってはみたものの、逆に存在を意識させてしまったようで、ハンスは小さく息を呑んだ。
『ちょっと話すだけだし、彼はもう充分制裁を受けたのだから』と宥めたけれど、アルは納得しなかった。
『本当に改心したというのなら、僕が見ていて困ることなんて何も無いだろう? 困ったらすぐに呼んで。三度目は確実に息の根を止める』アルは、ハンスの前でそう宣言して憚らなかった。
ハンスのためにも、早めに切り上げた方が良さそうだ。もちろん、私のことになると沸点が異様に低いアルのためにも。
「君たちもリブレアスタッド駐屯地の事件に巻き込まれたんじゃないかって、ずっと気になってたんだ。口封じで消されたんじゃないかって。……だから、生きていてくれてホッとしているんだ」
「……どうして」
「うん?」
言いかけた言葉を呑み込んで、ハンスは訥々と話し始めた。
「駐屯地に魔物が湧いた時、俺は取調室に居たんだ。だから無事だった。拘束されて逃げられない俺を黒服の騎士たちが守ってくれたんだ。……後から、あの黒服は、全員獣人だって聞いた」
「第五騎士団。シュセイルに生きる獣人の星だよ。君は運が良かったんだ……」
「お前は! 俺たちを恨んでいるんだろう!? だったら、あの時に死ねばよかったって思ったんじゃないのかよ!」
静止した白の世界を木枯らしが吹き抜ける。恋人たちの囁きも、子供たちの笑い声も聞こえない。冷たく吹き荒ぶ風が、全て攫っていった。
「恨んでないよ。恨んでないけど、許さない」
だから、死ねばよかったなんて思わない。そんな簡単な終わりは許さない。
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