12

 ロイヤルスイートというだけあって、列車特有の音や揺れはあまり感じない。人間の耳ならば、おそらく気にならない程度だろう。

 窓の外の闇に眼を凝らすと、遠い地平線に街明かりが流れていく。今どの辺りだろうと、私は頭の中に地図を広げてみる。


 不意に甘い香りが漂ってきて、私は我に返った。外が暗く中が明るいため、鏡のようになった窓に部屋の内部が映る。

 竜のレリーフが彫られた豪華なローテーブルを挟んで、父さんとヒースが無言で向き合っていた。


 その横で、取り込み中の二人に代わって、アルが紅茶を淹れたようだ。アルは鏡越しに私の視線を感じたようで、こちらを見てティーポットを指差す。私が頷くと、気取った感じで一礼した。


「どうぞ。お嬢様」


 銀のトレイにティーカップとソーサーが二客。私が座る窓辺の席まで持って来て紅茶を淹れてくれた。


「ふふ、ありがとう」


 アルは胸に手を当てて恭しく一礼する。敏腕執事みたいだ。

 温かいうちにいただこうと湯気を吹いて紅茶を一口含むと、ふんわりと瑞々しい桃が香る。渋味が無くて美味しい!

 感想が思いっきり顔に出ていたのか、正面の席に腰掛けたアルは、私の顔を見て安心したように笑った。


「ねぇ、アルはあの時何か感じた?」


 あの時。で通じるのだから、アルもきっとこの話が出ると予測していたのだろう。アルは窓の外に眼を向けて小さくため息をついた。


「特には。でも、あんな攻撃的な光は見たことがない」


「……あれは、魔法だったのかな?」


 こちらの会話が聞こえたのか、手の中のティーカップを覗き込んだままヒースがポツリと溢す。

 マレク先生に口外するなと言われていたこともあって、これまであの事件について語る機会は無かった。

 部外者である父さんに話していいの? という問いに、ヒースは強い口調で『誰に話すかは、僕が決める』そう言い切った。


『自分の中に得体の知れない何かがあると感じる。これが魔力なのか何なのか、僕にはわからない。――でも、もしこれが本当に魔力なら? 僕には魔力が無いのか、有るけど使えないだけなのか、それがわかるだけでも出発点は違う。こんなことは生まれて初めてなんだ。できることは何でも試してみたい。諦めるのは、全部試してからでも遅くはないだろう?』


 思い返してみれば、ヒースの周りに御印みしるしを持った大人は国王陛下しか居ない。いくら現大公の弟であってもそう簡単にはお会いできないお方だ。

 自分の倍以上の期間、御印と共に生きてきた人と話す機会は二度と訪れないかもしれない。ヒースが父さんの持つ知識に縋りたいのもよく分かる。


 今はもう金色の光は消えて、ヒースの左手の甲にはくすんだ灰色の薔薇の紋様があった。

 世の人々から薔薇の刺青と揶揄されるそれは、私が今までに見てきたどの御印とも違う。

 ――言うなれば空白。そこに在る筈のない何かを見ているような不安を煽る。


「……ヒース君の言う通り、私は魔法の専門家ではない」


 ようやく考えが纏まったのか、父さんはそう前置きした。


「頼ってもらえたのに心苦しいが、私の持つ神話や古文書の知識を伝授したからといって、ヒース君が魔法を使えるようにはならない。だからこれは、世間話だと思って聞いてほしい。……それでもいいかな?」


 席を立つ者は誰もいない。父さんは満足げに頷いた。


「よし。それでは、エリオット・リーネ教授の特別授業を開始しよう」


 そう言って、握手を求めるように、ヒースに手を差し出す。


「もう一度試してみたい」


 アルと私が身構える中、ヒースが恐るおそる手を伸ばし、父さんの手に触れたが、今度は何も起こらなかった。握手したまま父さんは笑いかける。


「少しピリッとしたけど、大丈夫だったね?」


「これは、どういうことですか!?」


 驚いて席を立ったヒースに父さんはまあまあと、もう一方の掌を見せて宥めた。


「今私は魔力を極限に抑えているんだ。だから弾かれなかった。ところで、ヒース君。最近、隠蔽魔法が解けやすくないかい? 今年の冬は以前と比べて調子がいいだろう? ……ふむ。心当たりがありそうだね」


 ヒースは青の双眸を見開いた。答えはそれで充分だった。


「おそらく、私とセラが持つ月女神の魔力に反発しているのだろうね。月女神は魔神の娘。最終的に月神と夫婦になって魔神の支配を抜け出すけれど、本質的には邪神に属する女神だ。太陽と光の神クリアネルとは敵対関係にある。そして……」


 膝の上に置かれたヒースの左手の甲を指し示す。白薔薇は淡い金色の光を帯びていた。


「邪神の魔力に反応を示すということは、君のそれはであり、種類は“白薔薇”ではないかと私は推測する」


 月女神の御印の担い手は、クレンネル大公家の白薔薇を本物の御印だと考えている。父さんはそう言った。


「……ありがとうございます」


 ヒースは、表面上は冷静にその言葉を受け止めているように見えた。光神の器と定められたその美貌は、本心を隠すのが上手過ぎる。

 父さんはすっかり冷めた紅茶に角砂糖を入れて、スプーンをぐるぐると掻き混ぜながら続ける。


「仮に御印と同じ機能を持った別の何かだったとして、それを御印と偽って千年の間継承し続ける理由が私には分からない」


 紅茶を一口含んで顔を顰め、砂糖を更に二個足す。三個目を入れようとしてアルに「先生!」と阻まれた。父さんは、しょんぼりした顔で紅茶を啜る。


「邪神に反応するなんて、私だって今知ったぐらいだ。だが、そんな微妙なところを模してどうなる? レプリカを作れる程の能力があるのなら、どうにかして魔力を蓄えて大勢の観客の前で聖王セイリーズ並みの光の大魔法を行使して見せた方が話が早い。私ならそうするね」


 白薔薇の御印を持つ者に世の人々が望むのは、ヒースの遠いご先祖様、その命と引き換えに魔族を駆逐したというセイリーズ王の再来だ。圧倒的な光を見せることが何よりの証明になる。

 なのに、できない。それは、何かがおかしい。


「――それにね、言い方は悪いかもしれないが、使えない御印がもたらす富と名声以上のものを、クレンネル家は御印の力を使わずに築きあげてきた筈だ。その地位はもう御印の真贋ぐらいでは揺るがない。偽物を本物と言い張る理由が無いってことさ」


 ヒースは両手で顔を覆って何度も頷く。降り頻る、言葉の雨から逃れるように。


 きっと、味方になってくれる人は今までにもたくさん居ただろう。『それは本物だ。自信を持て!』なんて散々言われてきたかもしれない。

 善意と優しさによる根拠の無い励ましは、いつしかヒースから弱音を吐く機会を奪っていった。


『ヒース君が魔法を使えるようにはならない』父さんはそう言ったけれど、第三者の冷静で公平な肯定の言葉は、新しい風を呼び込む筈だ。ヒースが試練を乗り越えるヒントになればいいなと切に願う。


「……でも、どうして急に活性化したのでしょうか? 今までセラと一緒に学院に居て、セラが弾かれたことは無かったと思いますが」


 それまで黙って傍観していたアルが問うと、父さんはあからさまに驚いた顔をした。


「アルファルド君のせいでしょう? 君がうちのセラを捕まえてご機嫌なものだから、君と対になる太陽神のヒース君にまで影響が出ちゃったんだろうねぇ」


「ぼ、僕のせいですか!?」


「アル……機械弁償しないと……」


「えええ!? 僕、まだ何もしてないのに!? そんなの納得いかないよ!」


 まだってなんだ。まだって。これ以上何をする気だ。

 身の潔白を訴えるアルから眼を逸らして、私も疑問をぶつけてみた。


「私か父さんがヒースの手を握っていれば、ヒースは魔法が使えるようになるのかな?」


「それなんだがね、検証しようにも列車が爆発したら困るから、オクシタニアに着いてから実験してみようと思う。オクシタニアは白薔薇の故郷のようなものだ。これから近付くにつれてどんどん魔力が高まる可能性がある。セラは不用意に接触しないようにね」


 うっかり触って列車を爆破なんて怖過ぎる。


「森は火気も爆発物も厳禁ですよ先生。……セラは手を握りたいなら僕のにして」


 そういえば、ここにも私限定の爆発物が在るのだった……。


「故郷? ローズデイルではなく?」


 ようやく落ち着いたらしいヒースが顔を上げる。まん丸に見開かれた深い青の瞳は、まだ少し不安に揺れていた。


「オクシタニアの森の中に、神域があるんだ。そこは、太陽と月の兄弟神が生まれ落ちた場所と云われている」


 森の中でナナカマドの赤い実を見たら、ゆっくり後ろに下がって、別の道を探しなさい。あの森には、まだ神の意思が生きている。気に入られて神隠しに遭わないようにね。


 最後に、とても不穏な情報を添えて。

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