10

 午後四時三十分。高らかに警笛を鳴らし、列車は王立学院駅を出発した。

 丘の向こうにリブレアスタッドの街明かりが遠ざかると、そこは星が支配する銀世界。カタンカタンと軽快な足音を立てながら、列車は太陽を求めて東へと駆ける。


 キャビンの窓に貼りついて、ハティは興味深そうに通り過ぎる景色を眺めていた。列車に乗ってすぐは、未知の揺れと音にそわそわしていたけれど、やっと慣れたのか風景を楽しむ余裕ができたようだ。

 頭の後ろを撫でるとこちらを振り返って、ピンク色の舌で鼻をぺろりと舐めた。赤い眼を細めて笑っているように見えて、微笑ましい気分になる。


「後で展望車に行こうね」


 ハティは吠える代わりに首を傾げてフーンと鳴いた。わかってなさそう。


「君と話ができる日が楽しみだよ。ハティ」


 子供の頃からアルと一緒に過ごした魔狼オリオンは、人間の言葉を覚えた。ハティも毎日話しかけていたら、いつか答えてくれるかもしれない。今はまだその兆しは無いけれど。

 名前を呼ばれたのはわかったようで、ハティは二、三度緩く尻尾を振って応えると、また窓の外を眺める作業に戻った。


 ハティが大人しい内に、必要な荷物を出しておこうと、私は座席の下にしまったトランクを引っ張り出した。鍵を開けるなり破裂する勢いで開いたトランクに、思わず「うわっ」と声を上げる。一瞬鍵が壊れたかと思ったけれど、掛金は辛うじてトランクにぶら下がっている。ベルトで絞めればなんとかなりそうだ。


 トランクには、着回しができるように一週間分の着替えと、略礼装に使えそうなワンピースが二着。そして、建国祭のために購入したシルバーのイブニングドレスと靴が入っている。


 アル曰く、お城での晩餐の時は全員礼装というのが、数少ないセシル家の決まり事だそうだ。

 ――言われてみれば、小さい頃にお城に滞在した時も、夕食前になると伯爵夫人やメイドさんたちが、どこからともなく子供用のドレスを何着も持ってきて着せ替え人形にされた覚えがある。


 食堂車のディナーにもドレスコードがあるそうなので、私はトランクから黒のベロアのワンピースを取り出してハンガーに掛けた。雪道用のブーツはしばらく使わないので扉の横に寄せて置き、パンプスも出しておく。

 一通り準備が終った頃、控えめに扉をノックする音が聞こえた。覗き穴から廊下を見れば、見知った顔が手を振る。


「アル! いらっしゃい」


 鍵を開けて中に招き入れると、興奮したハティがアルの周りをぐるぐる回って腰に何度も頭突きした。


「なんだよ。相変わらず凶暴だな!」


「あはは! 私の番犬は優秀だね!」


「ふん、生意気なヤツ。セラと一緒に居られるからって調子に乗るなよ」


 わしゃわしゃと雑に頭を撫でられて、不満げなハティは耳をしょんぼりと下げた。私の後ろに隠れて小声で唸って威嚇している。


 ハティを使い魔にしたばかりの頃、ハティがアルにやきもちを妬いて吠えたり噛み付いたりと、とても攻撃的だった。見かねたアルが、わざわざ獣化までして暴れるハティを抑え込み、群れの序列を理解させてからは大人しくなった。

 以来、ハティはアルを天敵と見なして恐れているようだ。


「セラはコイツに甘過ぎる。もっと厳しくしないと主人を馬鹿にするようになってしまうよ?」


「ふむ。一理ある。……本音は?」


「毎晩セラに抱き枕にされるなんて羨ましい。僕の方が毛並みが良いのに」


「素直でよろしい」


 夏の終わりにまた背が伸びて、一段と高い所にある彼の髪を指先で梳くように撫でると、ねだるように抱き着いてきた。さらさらの白金色の髪は、絹糸のように手触りがいい。確かに、毛並みが良い。


「ねぇ、セラ。先生の様子を見に行こうと思っているんだけど、一緒に行かない?」


 どうやらそれが本題だったらしい。アルは大きな背中を丸めて私の肩に顔を埋めたまま一度ぎゅっと強く抱きしめて、名残惜しそうに身を離した。


「父さんとヒースだけ別の車両に連れて行かれたから驚いたよ。心配だから一緒に行くよ」


「心配いらないよ。僕らより快適な筈さ」


 座席の上で丸くなってふて寝しているハティを置いて、私たちは廊下に出た。留守にするので隣のキャビンのアンにも声を掛けたけれど、たくさん歩いて疲れたから夕食まで寝るとの答えだった。


「……それに、貴女の番犬がすごい眼で睨んでくるから」


 振り返ると、嫉妬深い番犬は窓の外に眼を向けて、私とアンの会話など聞こえていないフリをする。『ごめんね』と声を出さずにアンに謝ると、アンは柳眉を上げてやれやれと首を振った。




 アルに手を引かれて、列車の後部へと移動する。食事の準備を始めた食堂車とラウンジの中を通り抜けて、更に二両ほど進んだところで、車両の内装が今までのものより高級になっていることに気付いた。

 杢目の美しい内装は、列車の中にも拘らず森の温かみを感じる。深い緑のカーテンが掛かる廊下の窓ガラスには、セシル伯爵家の月と狼の紋章が描かれていた。この車両にキャビンは一室だけのようだ。


「僕の祖父が、シュセイル横断鉄道に出資していてね。オクシタニアからの農産物とかワインを運ぶのにも利用しているし、お客さんと商談ができるように専用車両を持っているんだ。ここがその専用車両で、先生が泊まるのはセシル家のお客様用特別室だよ」


 快適ってそういうことか。と納得した。

 そもそも特別急行列車は王侯貴族御用達の豪華列車なので、私が泊まるシングルキャビンでさえも家具や内装はとても豪華だ。庶民の私には、見るもの全てが輝いて見える。


「はー……お貴族様はすごいなぁ」


 私の間の抜けた感想に苦笑しながら、アルは鈴蘭の浅浮彫が刻まれた扉をノックする。


「先生、アルファルドとセリアルカが参りました」


「どうぞー! 開いているよ」


 返事は間もなく来た。私はアルに手を引かれて室内に入ると、ポカンと口を開けたまま辺りを見回す。雪の結晶をモチーフに優しい色合いの寄木細工で彩られた豪華な部屋に言葉を失った。まるで王宮の一室みたいだ。


 列車の中とは思えない、高級感溢れるマホガニー製の家具の数々。その美術品のような繊細な透かし彫りに眩暈がする。ああ、そういえばワインが有名だけど、オクシタニアの木材から作られる木工芸品も名産だったな。

 すっかり気圧されてしまった私をよそに、アルは父さんの前の椅子にどかりと座る。高そうな椅子だから丁寧に扱ってほしい……。


「先生! いくら特別室だからといって、鍵を掛けないのは不用心ですよ!」


 アルのごもっともな忠言も、父さんはどこ吹く風で笑い飛ばした。父さんはソファに身を沈め、スツールの上に足を伸ばしてすっかり寛いでいる。サイドテーブルに積まれている本は、アルが父さんのお使いで取りに行った本だろうか。


「ははは、私を尋ねてくるのなんて君たち以外居ないじゃないか」


「笑い事ではありませんよ。後で僕の魔狼を一匹置いていきますからね!」


「心配性だなぁ」


 そう言いながらも、父さんはちょっと嬉しそうに笑った。


「それはそうと、何かご不便はありませんか?」


「快適だよ。ありがとうアルファルド君」


「……そうですか。それは良かった」


 アルはふいっと目線を外して頭を掻く。照れ隠しかな? こういう時、ヒースが居たら真っ先にからかうのだろうけど。


「あっ……そういえば、ヒースは?」


 列車に乗ったのは見たけれど、どこの車両かまではわからない。てっきり、父さんと同じ車両に居るのかと思っていたけど……。

 アルと父さんは一瞬顔を見合わせてふき出した。

 なんだなんだ? 随分仲良さそうじゃないか。


「いやぁ……彼は本当に話題に事欠かないね」


 父さんは目に涙を浮かべながら笑っている。


「ヒースはね、隣の車両、だよ」


 肩を震わせ笑いを堪えながらアルが言う。私が首を傾げると、行ってみた方が早いとアルに背中を押された。「私も覗きに行こうかな!」と、ちゃっかり父さんまでついて来る。

 特別室の扉を出て、隣の車両に向かうと二人が面白がっていた理由がやっとわかった。


 剣を咥えた銀竜の紋章、王家の紋章が刻まれた扉の向こうは、この列車における最高の部屋。


「ロイヤルスイート……」


 大公殿下の弟だもんね。そりゃあ、ロイヤルだよね。

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