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「父さん!」


 嬉しそうに両手を広げられては、飛び込まないわけにはいかない。私が両手に荷物を持ったまま突撃すると、父さんは椅子に座ったまま抱きとめた。


 会ったら色々と文句を言いたいことがあったのに、なにひとつ出てこない。父さんの煙草と香水の香りに、懐かしさにぎゅっと胸が締め付けられるような心地がして、これが郷愁というものなのかな? なんて思った。


「ほらほら、後ろのお嬢さんが困っているよ」


 ぽんぽんと宥めるように背中を叩かれて、私は慌てて身を離した。

 父さんの陰に隠れて今まで気付かなかったけれど、父さんの隣の席にはヒースが座っていた。目が合うと大輪の花が咲いたような、それはそれは綺麗な笑顔を見せる。


 なんか、すごく微笑ましいものを見る目で見られているんだけど……。

 私は恥ずかしさに顔が熱くなって、わざとらしい咳払いで誤魔化した。きっと今、私の顔は真っ赤なんだろうなぁ。


「……そ、そうだったね。紹介するよ。父さん、こちらはアンジェリカさん。仲良くしている友人だ。――アン、この人は私の父さん。今回の諸悪の根源」


 気を取り直して、簡単に紹介するとアンは声を上げて笑い出した。


「初めまして。セリアルカのお父さんで、趣味で悪の教授をやっているエリオット・リーネです。足が悪いもので、座ったままで失礼するよ。セラが友達を紹介してくれたのは初めてなんだ。仲良くしてくれてありがとうね」


『古典文学って、官能的でインモラルな作品が多いんだよね。当時なら禁書になりそうなものを青少年に読ませる気が知れないよ。まぁ、青少年だからこそ興味を持つのだろうが……』

 というのが父さんの持論で、それを教えて危ない思想を広めている自分はかなりの悪だという。趣味でやっているらしいので、きっと極悪人に違いない。


「悪の教授!? あはは! いいえ、こちらこそ。セリアルカさんにお世話になっております。アンジェリカ・オーヴェルです。モルヴァナまで同行させていただきます。よろしくお願いいたします」


「これはご丁寧に」


 和やかに握手して、挨拶が済むと私たちは荷物の整理のため、ボックス席についた。そこでようやく、ひとり足りないことに気付く。


「あれ? アルは?」


「先生にお使いを頼まれて出掛けたよ。そろそろ帰ってくるんじゃないかな?」


 カウンター席からココアの入ったマグカップを持って移動してきたヒースが答えた。父さんはボックス席のような狭い所に入ると立ったり座ったりがつらいので、そのままカウンター席に座って、座面をくるりとこちらに向ける。


「いやぁ、ヒース君は話上手だねぇ。私よりも教師に向いているんじゃないかな? すっかり乗せられて、セラの子供の頃の話を長々と語ってしまったよ」


「ええっ!? な、なに勝手に話してるの!? 変なこと言ってないよね?」


「先生、楽しい人だね。セラのかわいい話を沢山聞かせてもらったよ」


 ヒースが盛大なニヤニヤ笑いを浮かべて言うので、いったい何の話をしたんだ? と一通り子供の頃の恥ずかしい思い出を振り返ってみるけれど、見当もつかない。


 動物園のクマをお父さんと呼んで触ろうとしたこと? パンケーキを食べながら寝て、顔中シロップ漬けになったこと? 博物館で転んで頭を打って救急で病院に担ぎ込まれたこと?

 些細な事から重大な事まで、考えればきりがない。


「うわー……嫌な予感しかしない……」


「……そうね、当たってるわ」


 やけに沈んだアンの声に、その視線を追って店の入口を見れば、表情筋が死滅したかのような真顔でアルが立っていた。


「……先生、どういう話ですか? まさか、僕が知らない話じゃないでしょうね?」


 地の底を這うような低い声に、さすがの悪の教授も笑顔を引き攣らせた。間が悪いにも程がある。


「お、おお、おかえり、アルファルド君。寒い中、お使いありがとう」


「先生? 僕の質問に答えてください」


 活動を始めた表情筋がギリギリと音を立てそうなぐらいにぎこちない笑顔の形を作るけれど、その眼は全く笑っていない。

 結局、昼食の間中、父さんはアルの質問攻めに遭い、私の黒歴史が一番知られたくない奴に知られることになった。




 ***




 一段と寒さが増した午後三時過ぎ。私たちは辻馬車を捕まえて、街の北にある駅に向かった。馬車で十五分程走った頃、街の外壁と同じく青のタイルで装飾された駅舎が見えて来た。

 夕日に赤く照らされた駅舎の向こう、北国のせっかちな夕暮れの空に白い煙がひと筋、天高く立ち昇っている。列車は発車準備を終えて、乗客を待ち構えているようだ。


 私たち五人は駅舎の正面口で馬車を降り、混雑する人の波に乗ってガラガラとトランクを転がしながら駅構内に入った。馬車の中で渡されたチケットを確認すれば、特別急行列車が停まるのは一番奥の六番線らしい。


 看板の表示を見れば、列車に乗るまでにはまだまだ歩くようだ。アンに袖を引かれて振り返ると、和やかにお喋りしながら、やたら見た目の良い男三人組がゆっくりとこちらに歩いて来るのが見えた。

 馬車を降りてからかなり歩いているし、この人混みなので心配していたけれど、父さんの足取りは軽やかで足を引き摺っている様子も無い。


 荷物はヒースが持ってくれているし、父さんの隣には常にアルが付いて手を貸してくれるので、とても助かっている。特に相談して役割分担しているわけではないようなので、意外なところで彼らの育ちの良さを垣間見た気がした。


 私たち親子だけだったら、こんなに快適な旅にはならなかっただろう。私もそんな風に賢くエスコートできるようになれればいいのだけど。そんなことを考えていたら、横から呆れたようなため息が聞こえた。


「あれだけ目立てば、迷子の心配はなさそうね……」


「う、うん……」


 手を振って行先を指させば、気付いたアルが満面の笑みで手を振り返してくれた。周囲から黄色い悲鳴が上がって面映ゆい気持ちになる。

 アルはいつも眠そうな顔をしているけれど、笑うとすごく素敵でしょう? と、ちょっと誇らしい反面、横に並ぶのが私でいいのだろうか? と、たまに自信を失くすことがある。

 引き攣った私の顔を覗き込んで、アンが背中をポンと叩いた。


「心配しなくても大丈夫よ。アイツ、貴女以外は雑草か害虫だと思ってるから。自信もって!」


 それは、自信をもって良いことなのか……? と思いつつ、曖昧に頷いた。

 アンの恋人もまた規格外の美男子である。羨望を浴びるのは慣れっこなのかもしれない。彼が美人過ぎるのも大変だよね……。なんて、二人で苦笑いした。




 駅舎は斜面に寄り掛かるように建てられていて、正面入り口は建物の三階部分にあたる。看板に従って構内をまっすぐ歩いていくと、六本の線路とプラットホームを跨ぐ高架橋になっていた。下を覗けば、今まさに一番線ホームに列車が入ってきたところだった。


 手前から一番線、二番線は横断鉄道の普通列車が停車する。三番線、四番線には南北を繋ぐ列車が停まる。殆どの人々はこれらを利用するので、私たちが進むにつれて人波は引いていった。


 そして、最も奥の六番線プラットホームに停車している列車が、東のオクシタニア地方モルヴァナ行き特別急行列車である。

 上品な深い藍色の車体に金の蔦模様が描かれた美しい列車は、その周囲だけ明るく思えるような圧倒的な存在感を放っていた。列車の顔にあたる運転席の真ん中には王家の紋章である、剣を咥えた銀竜のエンブレムが誇らしげに輝いていた。


「はぁ……やっと着いた。駅ってどうしてこんなに歩くのかしらねぇ。毎年のこととはいえ、うんざりするわ。まぁ、列車に乗ってしまったら今度はじっとしているのが辛くなるんだけど」


 二泊三日の豪華列車の旅も、毎年経験しているアンにとっては煩わしいのかもしれない。景色を楽しもうにも、シュセイルの冬は夜が長いし、どこを見ても雪景色だし。


「ふふ、もう少しだから頑張って! 部屋でじっとしているのが退屈なら、夕食後にハティのお散歩に行くから、ついでに列車の中を探検しようと思ってるんだ。アンも一緒に行く?」


「うーん、そうねぇ。食後は歩いた方がいいものね。アルファルドが一緒じゃなければ行こうかしら」


「あはは……」


 私に対して過保護なアルのことだから、私が出掛けようとすれば付いてくるだろう。睨み合う二人の間に挟まれるさまを想像したら、引き攣った笑いしか出なかった。

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