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――翌日、騎士科の進級試験が始まった。
私たち五年生は、朝一番で体力測定がある。内容は、握力、腹筋、背筋、幅跳び、槍投げ、百メートル走、持久走など。獣人からすれば、どれも難しいものではない。
むしろ、平均の少し上あたりを狙って、上手い具合に力を抜くのが難しい。うっかり良い成績を出してしまうと、獣人であることがバレてしまうからだ。
私の父さんがこの学院の学生だった三十年ぐらい前は、雪の積もった極寒のグラウンドという過酷な環境で行われていたそうだ。
今は地下龍穴からの魔力を利用した温熱で、真冬の猛吹雪の中でも地面に触れるとじんわり温かい。夜間に雪が積もっても、次の日にはきれいさっぱり融けている。魔力を用いた技術の発展に感謝したい。
とはいえ、大雪が降れば除雪が間に合わないし、馬鹿みたいに寒いことには変わりない。何故わざわざこんな寒い時期に外で体力測定を行うのか。……謎の伝統である。
「ううう……地面が温かい……ここから動きたくない」
運動着の上からダウンの入ったコートを着て順番が来るまで、グラウンドの隅で蹲っていた私の元に、体力測定を終えたばかりのアルとヒースが近寄ってきた。がたがた震える私を見て、ヒースは呆れたように眉を跳ね上げる。
「あーあ、朝早く来て順番取らないと待たされるよって言ったのに。寝坊したの?」
「昨日の試験の自己採点をしていたら、寝るのが遅くなって……さ……さ、さむい」
「真面目だねぇ。何番目? うわ……最後の組じゃん」
順番の書かれた評価シートを覗き込んで、ヒースは沈痛に首を振る。何故か嬉しそうなアルは、コートの前を開き両手を広げてにじり寄る。
「セラ……かわいそうに。僕が温めてあげよう。走ってきたばかりだから温かいよ?」
「あ、いいです。間に合ってます」
「遠慮せずに!」
あまりの寒さに足がもつれて逃げ遅れたところを捕まって、強引に抱きしめられる。言った通り、本当に温かいから腹が立つ。せめてもの抵抗に、氷のように冷たくなった手をアルのシャツに突っ込んで背中に直に触ると、「ふひぁっ!?」っと聞いたことのない悲鳴を上げて離れた。
「イチャつく余裕があるなら大丈夫そうだねー」
苦笑いを浮かべるヒースの隣で、アルは自分を抱きしめるように二の腕を擦っている。「こんな野外で……大胆過ぎる」とかなんとか呟いていた気がするけど、何も聞かなかったことにした。
「二人共、これから魔力測定でしょ? 行かなくていいの?」
しっしっと手を払いながら尋ねると、ヒースはコートのポケットに手を突っ込んだまま肩を竦めた。心なしか、不貞腐れているように見える。
「僕は、セラが走っているところをたっぷり眺めようと思って……というのは半分冗談で、僕とヒースはワケありだからいつも最後に行くようにしているんだ」
突っ込んだら負けだと思ったので、前半部分は聞き流した。
なるほど。“ワケあり”ね。
「……ふうん、そういうことなら私も最後の方がいいね。一緒に行くから温かい所で待ってて!」
寒空にピリッとホイッスルが鳴り響いて、ようやく最終組の順番が回ってきた。二人に手を振って、走り出す足は軽い。
――やっぱり、アルはああでないと。
何事もなく平凡な体力測定を終えて、アルとヒースと一緒に本校舎に移動した。魔力測定は実践魔法の教室を使って行われるようで、廊下に長く待機列が続いている。終わる頃にはちょうどお昼だろうか。暖房が効いた本校舎の窓は結露で曇り、急激な温かさと心地よい疲労感が眠気を誘った。
うとうとしている間に列は進んで、ついに教室の前までやってきた。開け放したままのドアから中を覗くと、教室の中央に大きなガラスの筒のような測定装置が見える。測定は実践魔法のサヴィナ先生と、魔法理論のマレク先生が担当しているようだ。装置の横に机と椅子を置いて、評価シートを記入している。
「セラは、これやったことある?」
私の両肩にずっしりと腕を乗せたアルが、背後から問う。背中から抱きしめられている状態なので、イチャついているように見えるのだろう。測定を終えて部屋から出てきた人たちが、すれ違う度に舌打ちするのが解せない……。
「転入試験の時にやったよ。魔力量は普通だったけど……属性に月が出た」
声を潜めて報告すると、アルは黙って頷いた。
一般的に、魔法の属性は出身地と血筋で決まる。戦神の守護するシュセイル王国に生まれた者は、風属性を生まれ持つ。
私の場合は、戦神の風に加えて、ご先祖様である銀月の女神の“月”という世にも珍しい属性を持っている。月属性の魔法は、我がリーネ家の者しか扱えないので属性がバレれば家名もバレる。そうなれば、狼の獣人だとバレるまで時間はかからないだろう。だから私も立派なワケありということになる。
私の前に並んでいた人たちが全員測定を終えて部屋を出て行ったので、開けっ放しのドアを列の最後のヒースが閉めた。ヒースが珍しく大人しいのは、やっぱり魔力のことが原因なのだろうか。
「次は……あら、あなたたちで最後ね」
黒いつば広のとんがり帽子とレースをふんだんにあしらった黒のドレスという、いかにも魔法使い風のサヴィナ先生は、年齢不詳の美女である。どう見ても三十代ぐらいにしか見えないけれど、父さんが学生だった頃からこの学院で教師をしているという。竜か魔族の血をひいているから不老なんじゃないかって噂されているけれど、真偽は不明だ。
「誰から始める? セリアルカ君?」
耳に心地よいバリトン声で問うのは、魔法理論のマレク先生だ。麦わら色の髪を無造作に後ろに縛り、無精髭と黒縁の眼鏡。いつもよれよれの黒のローブを着ているけれど、授業はとてもわかりやすく、『とにかく声が良いし、あのちょっとくたびれた感がいい』と女子生徒に人気のある先生だ。
「じゃあ、僕から行きます」
サヴィナ先生に促されて、アルがガラスの筒に入る。慣れた様子で正面の台に設置された水晶玉に触れると、水晶玉の中に深緑と薄緑の二色の光が浮かんだ。深緑が“樹”で、薄緑が風の属性を表している。樹も月と同様に特殊な属性なので、隠さなくてはいけない。アルの場合はそれに加えて、もう一つ問題がある。
「属性は前回と変わらずね。では次に魔力量を測定します。動かないでじっとしていてね」
サヴィナ先生がガラスの筒に触れると、筒の表面が属性色の深緑から薄緑のグラデーションに光る。光は長さ三メートルぐらいありそうな大きな筒の天井まで到達した。常人であれば、多くても筒の半分程度で天井まで到達することはない。アルの魔力量は常人の倍以上ということになる。
ただ、これを毎年見せられているヒースの内心を思うと、なんとも言えない気分だ。
サヴィナ先生が表示された数値を評価シートに記入してマレク先生に回した。マレク先生から使い魔の有無、数や種類の変更について聞かれて、アルの測定は終了のようだ。
「はい。おしまい。セリアルカさんいらっしゃい」
サヴィナ先生に呼ばれて、アルと交代にガラスの筒に入る。
アルと同じように水晶玉に触れると、月の銀色と風の薄緑が浮かんだ。続いて魔力量の測定では、銀色の光が私の腰の辺りを示した。属性は特殊だが、魔力量は常人並みという結果になった。マレク先生に使い魔にした魔狼のハティを見せて、私の測定は終了した。そして……。
「優しくしてください!!」
「優しくしてあげたいけどねぇ……。クリスティアル君は、私の授業サボるんだもの」
「ははぁ、そちらでもですか。私の授業でも爆睡してますよ」
「うっ……だって、僕が聞いても仕方ないじゃないか」
チクチクと先生二人に針の
「なんだ、これは!?」
ヒースの驚愕の声に、サヴィナ先生が勢いよく席を立った。マレク先生が教室のカーテンを閉めてシャンデリアの灯りを消す。
説明を求めるようにこちらを振り返ったヒースの手には、弱々しい金色と赤色に光る水晶玉があった。
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