其の参拾弐
「ん~」
軽い足取りで鼻歌を歌いながら歩くレシアは、両腕にたくさんの果物を抱えていた。
狼さんたちが回収して来てくれた果実は、どれも新鮮で甘い。
それをまだ立つほど回復していない夫と一緒に食べようと貰って来たのだ。
戦いが終わり、戦後処理も大半が片付いた。
難しい話はさっぱり分からないレシアは、『ただ頷いているだけで良い』と言われて交渉の場に引っ張り出された。交渉役はラインフィーラとワハラの両名で、ファーズン軍の生き残った元将軍との壮絶な話し合いの結果……良く分からないが話が纏まった。
中央草原は『聖域』とし、シャーマンとその仲間たちが穏やかに暮らす場所とする。
この場所に対する侵略行為は決して許されず、もし侵略する国が現れた時は他の国の全てが連合を組んでこれに当たる。
勝手に決まってしまった条約を本国に持ち帰った交渉役の両名が、しばらく国元で辛い仕事を数多くこなすことになったのは言うまでもない。しかし北部は生前のホルムが手を打ち、戦後処理で決まった条約は無条件で従うという取り決めもあり……東部の国々を泣きながら回ることとなったラインフィーラが一番の貧乏くじを引いたのだった。
何よりラーニャが連れて来た"仲間"たちが、中央草原を住みかとし散らばってしまったので打つ手が無かったこともある。
聖地と呼ばれていた場所にはシャーマンたちと、それを守護する狼と一つ目の巨人たちが留まることとなった。
それに明るい未来もある。
レシアに次いで『白』を持つリシャーラと言う幼子の存在がシャーマンたちの新しい希望となった。
『次世代の巫女様は……もっとこう大人しく上品に育てましょう!』
創造主との話し合いの場に居た者たちの共通した意見とし、それは至上の命題となった。
まあ難しい話は夫が起きて元気になってからして貰えば良いと、レシアはカクカクと頷き続けて話し合いは終わった。
ファーズンの兵たちは国へと戻り……それから数十年間西部は覇権を競うこととなる。
残った者……大半は東部から来た者たちだが、疲れを癒してから帰ることとなり、今は聖地の開墾に手を貸している。
要塞とした岩山周辺の掃除をし、そこには新しく巫女の神殿を作ることとなった。
レシアが最後に踊った舞台を祭壇とし、岩山に囲まれた舞台は巫女のみ入れる場所とする。
しばらく工事に人員が必要となるが、それは南部と引退を考えていた東部の戦士たちの協力でどうにかなる見込みだ。
色々なことが決まったが……右から左に話を受け流したレシアの頭にはほとんど残っていない。
何より今は夫と果物を食べるのが最優先なのだ。
色々とあったせいで自然の流れが乱れ普段の目が使えないレシアは、生まれて初めて自分の目だけで見える視界と言う狭い範囲での暮らしを強いられていた。
だから気づけなかった。ドアの向こう側をだ。
「ミキ~。果物を……おぉっ!」
ドアを開ける寸前でレシアは抱えていた果物を落とす。
はっきりとレシアの目にはそれが見えたのだ。
ベッドで眠らさせられている夫は、背中の怪我が原因で腕や足が上手く動かせずほとんど身動きが取れない。よってベッドの上で置き物になっているのだが……そんな彼の"上"に誰かが乗って動いていたのだ。
「この泥棒がっ!」
半ばドアを蹴破り室内に突入したレシアが見たのは、夫の上で軽やかに踊る狼……マガミの姿だった。
「狼鍋って美味しいんですかね?」
「ん~! ん、ん~!」
両手両足を拘束され口にも布をねじ込まれて地面に転がるマガミを見つめ……レシアらしくない物騒な言葉に周りの皆が壮絶に引いていた。
理由を聞けば誰もがレシアに同情するが、大きな鉄鍋をハッサンから借りて来て湯を沸かしている彼女の目は本気過ぎて誰も何も言えない。必死に視線で命乞いをするマガミだが、視線を向けられた者たちは自然と顔を背けてしまうのだ。
「あの……レシアさん」
「あん?」
「そんなに睨まないで下さい。リシャーラが怯えますから?」
しかし次代の巫女は口から涎を溢してグッスリと寝ていた。
もう育て方を間違っているのかと母親であるラーニャは、色んな意味で泣きそうになりながら……ラインフィーラに背中を押され、怒り狂う巫女の前に立たされた。
「ミキさんほど素敵な男性はそうは居ないですから」
「あん?」
「私は大丈夫です。亡き夫に操を立ててますから。ですが独身の女性から見るとミキさんはその……」
「あん?」
「ひぃぃ~」
独身と言うことでレシアに睨まれたラインフィーラが全力で逃げて行く。
その様子に何かを感じたレシアは、クイッと顔を動かして……駆けて行った黒犬がラインフィーラを咥えて戻って来た。
「まさかミキの寝込みを……してないですよね?」
「してません」
「本当に?」
顔を覗き込んでくる巫女と言う存在に、ラインフィーラは屈した。心の奥底から屈した。
「……ごめんなさいっ! 出来心だったんです! つい我慢できず、私も彼との子供がっ!」
ラインフィーラは自白した。
嘘偽りの無い言葉にレシアは納得し、黒犬に彼女をマガミの元に運ぶよう命じる。
「人って食べられるんですかね?」
「「……」」
どうやら許されない様子にその場に居た全員が恐怖する。
誰もが解決を望んだ時……その声が響いた。
「俺は普通の飯が食いたいんだが? 出来たら魚で頼む」
「ミキ~」
恐ろしい表情を浮かべていたレシアが、怒りの仮面を投げ捨て花も恥じらう乙女のような笑顔で夫の元へと走り出す。
養父であるガイルの肩を借りてやって来た救世主に……その場に居た誰もが救われた気になった。
妻の肩を借りてその場にやって来たミキは、ガイルとハッサンが完璧な形で作ってくれた物を見つめた。
「無理を頼んだか?」
「まあな。石をこんな風に削って名を掘るなんてしないからな」
鍛冶師なのに石工の真似事をさせられた老人が、その腕に若い娘に抱き付かれている様子を眺め……ミキは何も言わない優しさを見せた。
抱き付かれている老人がその娘が存在していないように振る舞っているからだ。
若い夫婦に気でも使ったのか、娘を腕に抱き付かせたまま……老人は静かに離れていく。
墓石に視線を戻し、そっと手を伸ばしたミキは優しく撫でる。
刻まれた名は『果心居士』だ。和名で刻まれているのはワハラが手を貸してくれたから実現できた。
仲間たちの名が刻まれた墓石を一基ずつ見つめて回り、ミキは最後の一基の前で足を止めてゆっくりと座った。
傷の治りは進んでいるが、ずっと立っているにはまだ辛い。
腰を地面に落ちつけると……背後から妻が抱き付き甘えて来た。
「背中が酷いと知っての行為か?」
「体重はかけてません」
「……胸が傷口に当たっているが?」
「ふなぁ~」
慌てて退いてレシアは彼の隣に座った。
夫と一緒に目の前の墓石に目を向けその目を細める。刻まれた名は『本多忠刻』だ。
ミキの主君であり、レシアの父親である人物の墓を二人で見つめた。
「ミキ」
「どうした?」
「……私は幸せです」
言って夫の右腕に抱き付いてレシアは深く息を吐いた。
「幸せなんです」
「そうか」
「はい」
軽く手を伸ばし、妻の頭を撫でたミキは……優し気な視線を彼女に向けた。
「……俺が動けるようになったら次はお前の母親をここに連れて来ような」
「はい」
甘えるレシアはそっと顔を動かして、夫の唇に自分の物を押し付けた。
「まあなんだ。勝者の特権だと思えば許せるか」
周りの存在を忘れて甘えている二人を見つめ、ミキの育ての親である二人の老人が頭を掻いた。
~あとがき~
これにて聖地編終章の終わりとなります。
物語としての完全完結までには、終章と外伝がありますのでお付き合いして頂ければと。
大団円と言うか、最後は趣味全開で好き勝手に書かせて貰いました。
不安なのはマリルの話があれ過ぎたのと、ミキとアマクサの一騎打ちが意外と淡白になったくらいですかね。
それぞれのキャラクターがちゃんと主人公をして逝ってくれたので作者的には大満足です。
マガミとクベーは生き残ってますのでレシアとのお別れはありません。
って……何でクベーまで生き残ってるんだろう? 作者的には結構謎です。
さて……この長かった話も残すところあと二話。
最後の外伝のあとがきで作者の気持ちを書き入れて終わる予定です。
(C) 甲斐八雲
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