其の玖

「大変だっ!」

「騒ぐなガキがっ!」


 拳骨一つでマデイが沈黙する。

 それを見下ろしたガイルは、視線を西の空へと向けた。

 濛々と立ち昇る煙は……たぶん油を燃やした物だと推測出来た。


「始まったみたいだな」

「ああ。完全に遅れちまった」


 駆け寄って来たハッサンの言葉を受け、ガイルは胸の前で拳を打ち付けた。


「どうする?」

「行くしかあるまい。あっちはもう動いているぞ」


 視線を向ければ別の群れ……化け物たちが起き上がり移動を開始していた。


「野郎共! 化け物ごときに後れを取るなんざ戦士の恥だと思え!」


 腹の底から声を張り上げ、ガイルは周りの者たちを鼓舞しながら歩く。


「ちょいとばかり遠いが走れば間に合う! 化け物共に後れを取るな!」

「「おぉっ!」」


 各々が武器や武具を手に立ち上がると、それを身に付けながら走り出す。

 目的の場所は運良く煙のお陰ではっきりと見える。ならば後は進むだけだ。


「お嬢ちゃんは?」

「先に行ってください」

「良いのか?」

「はい」


 軽装のままで天幕から出て来たラインフィーラは、ガイルに向かいその顔を向けた。


「大将が私なら陣頭指揮を執るのは貴方です。戦士ガイル」

「俺はもう隠居した身なのだがな」

「ええ。なら今日を貴方の引退試合としなさい。良いですね?」

「……」


 格好はともかく凛とした声とその迷いの無い視線を向けて、ガイルは右手を握ると自身の胸に当てた。


「女王陛下に命じられたが如きお言葉ですな。この老骨……見事に引退して来ましょう」

「頼みましたよ」

「はい」


 軽く礼をし、ガイルはその顔に狂暴な笑みを浮かべた。

 今日が引退試合と言うことは、今の自分は現役なのだ。


「さっさと走らんか屑共がっ! 歩いてる奴はこの俺が縊り殺すぞ!」


 過去の彼を知るベテラン勢は全員が震えて死に物狂いで走り出す。

『皆殺し』や『狂戦士』など、現役時代にガイルが得た二つ名はどれも物騒な物ばかりだ。

 それを得るには理由があった。舞台上でそれほどまでに凶悪な勝ち方を収めたと言う事実だ。


 凶暴な指揮官にケツを蹴られて走って行く戦士たちを見つめ、ラインフィーラはようやく息を吐くとその場に崩れるように両膝を着いた。

 戦場間近という現実に腰が引けて気絶してしまいそうなのだ。

 一度知ってしまった実戦の恐怖を……彼女は拭い去ることは出来ない。


 それでも唇を噛んでラインフィーラは立ち上がった。


「食糧と水だけは確保して後の荷物はここで廃棄します」


 残っている騎士たちに命令を出し、ラインフィーラは天幕の中へと戻った。

 暴れるように鼓動する心臓を胸の上から手で押さえ……何度も何度も呼吸を整える。


「行こう」


 そっと呟いてラインフィーラは鎧に手を伸ばした。


「戦えなくても違う形で戦えることを……ミキさんに見せたい」


 それを教えてくれた彼があの場所に居るのだ。だからラインフィーラは立ち止まらなかった。




 立ち昇った煙と炎にファーズン軍の中に動揺が広がる。

 何が起きたのかは理解出来ないが、何かが起きたのは理解出来る。


 さっきまで勝ったつもりで酒を飲み女を抱いていた兵たちだ。

 不意に見せつけられた現実に心が弱まる。


 引き腰になった兵たちは、知らず知らずに隊列の後方へと移動し始める。一人が下がればまた別の誰かが下がり、それが二人となって三人となる。

 隊列は崩れ士気が下がる中、一人の人物が出て来た。


「情けない顔をするな! ただの炎と煙であろう!」


 凛とした声とその姿にファーズン兵の動揺が静まって行く。

 長身の美女。

 ファーズンに置いて最強と呼ばれているヨシオカの中で最高の使い手。セイジュ……その人だった。


「あのような炎は直ぐに収まる! 煙が薄くなり次第、正面の兵は全身を開始し中央を食い破れ!」

「「おおっ!」」


 ファーズン軍で常勝不敗を誇る指揮官の言葉に、兵たちが士気を高める。

 寝不足もあってか興奮した者が拳を天へと突き上げ、勝ち鬨にも似た声を上げる。


「コッコケコー」


 不意に響いたのは気の抜けた鳴き声だった。


 だが不幸にも握った拳を天へと向けていた者たちはそれを見た。

 東の空から旋回しこちらへと飛んで来る大きな存在をだ。


「馬鹿な?」

「あれは?」


 天を見ていた兵たちは気付き動揺する。


 大陸の中央……中央草原と呼ばれる場所には絶対的な支配者が居る。

『大トカゲ』だ。

 それは空を飛び人でも家畜でも何でも餌にして食らう最悪の化け物だ。


 恐怖の対象として長く語られ続けた存在が、今……自分たちに向かい飛んで来るのだ。

 七色の光点を追いかけながら。


「クゥォケェー!」


 大トカゲの前を飛ぶ光点からそんな声が響くと、バクッとトカゲに食われる。

 だがまた新しく光点が発生し、それがファーズンの陣地に目掛けて飛んで来るのだ。

 現状を把握したセイジュは、慌てる兵たちの間を縫って駆けた。


「対化け物用の大型弓の準備を!」

「はっ!」


 念の為に攻城兵器と共に運び込んで来た台座に据え付けられた大型の弓の弦を部下たちに巻き上げさせ、セイジュは空を舞う大トカゲを見つめて唇を舐めた。


「つまらない戦いになるかと思えば楽しめそうだ」


 クスリと笑い準備を進める部下に目をやる。


「翼を潰して地面に落としな。この俺があの化け物の首を取る」




(C) 甲斐八雲

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