其の捌

「ミキは行かないんですか?」

「ああ。もう少しこれを描いてから行くよ」

「分かりました」


『客』という言葉にレシアが先に戻って行く。


 その背を見送り、ミキは板を手に辺りを回る。

 聖地中央の舞台を護るのが今回の勝敗を分けるの間違い無い。

 だからこそ、その場所を護ることが必要だ。


(……攻めるならどうする?)


 岩山の中に存在する舞台を攻めるなら手は尽きない。

 ただ向こうはこちらが何もしないとは思っていないだろう。

 もちろん抵抗手段は考えている。だがこちらは間違いなく少数だ。


(中央に目に見える罠を仕掛けて備えるしかない)


 しかし数の多い敵は、別に正面から攻める必要も無い。

 いざとなれば左右から兵を進めて包囲するのことも出来る。

 別動隊を率いて後方に回り舞台の上から強襲することも出来る。

 と、見せかけて正面から全軍突撃で強引に食い破ることも出来る。


 圧倒的に数に劣るこちらとしては、最小限の被害で敵を食らい尽くすしかないのだ。


「難しいな」


 呟きミキは石に腰かける。

 少なくとも敵は包囲陣を敷いて来る。せめて左右の敵を封じればこちらに勝機は生まれる。


 地図を描いた板を眼前に掲げミキはそれを眺めた。


「どうする?」

「簡単であろう。左右に罠を作って敵を嵌める」


 その迷いの無い声はミキの背後からかけられた。


「……だが敵はそれを警戒するぞ?」

「関係無い。こちらは絶望的に味方が少ないのだ。それを敵が知れば功を焦って暴走する」

「誘い込むのか?」

「それしかあるまいて」


 苦笑してミキは板を降ろして背後を見る。

 そこには一人の老人が立っていた。どんな交渉もまとめ上げた伝説の人物が。


「久しぶりだな」

「ええ。来てくれたのですか?」

「当たり前だ。あの娘を育てた一人ぞ? 来ない訳が無い」


 笑い老人はミキの背を叩く。


「まさかあの子に手を出してなかろうな?」

「ちゃんと夫婦となっているので問題は無いかと」

「……それはそれで大問題だがな」


 やれやれと肩を竦める老人……ホルムに椅子代わりの石を譲りミキは立ち上がった。


「ファーズンと戦争をするとは馬鹿か?」

「否定しません。ですが負ければ多分この地は消えましょう」

「そう言う話だったな」


 ファーズンの企みが分かっていないが、果心居士の言葉を借りれば……封じられている閻魔が地上に現れれば、この大陸から生きた人間は一人も居なくなると言う。


 つまりあの天草なる人物はこの大陸を征服する気など無いのだ。


「まあこの大陸がどうなろうが知らんが……あの子の未来は残さねばな」

「ご助力願えますか?」

「手伝ってやろう」


 笑い老人は立ち上がった。その気配にミキは軽く気圧される。

 過去の人だと言っても……それでも彼が今では働けなくなった訳ではない。

 ただ姿を隠し復讐に刃を研いでいただけのことだ。


「必要な物を言え」

「……」


 地図を見つめてミキは覚悟を決めた。


「敵を焼き尽くす物が必要です」

「なら油か。交渉にて手に入れて来よう」

「出来ますか?」

「なに……昔貸した恩を纏めて回収すればな」


 カカカと笑い老人はミキを見つめる。


「それ以外に何が要る?」

「……」


 一瞬の躊躇。だがミキは心を鬼にした。


「敵を誘い出して共に焼け死ぬ者が必要でしょうな」

「なんのなんの実に簡単な仕事だ。この老いて病んだ老骨があの子の役に立つなら安い」

「ですが」


 と、ホルムは優しげな眼をミキに向けた。


「案ずるな。この地に来るのは死ぬ覚悟を抱いた者たちだ。ならお前は迷わず違わず儂たちに命じれば良い。『死んで来い』とな」

「……」

「あはは……そんな顔をするでない。運が良ければ生き残る者も居よう。だがこちらが負ければこの大陸は死の大地となるのだろう? ならば負けられんし、何より儂はもう十分に生きた」


 ポンポンとミキの肩を叩き老人は笑う。晴れ渡ったような空のように清々しい表情で。


「最高の舞台で娘のために死ねるなら……この老骨は喜んで死のう。気にするな若いの。お主は必ず敵の首魁の首を取れ」

「はい」


 覚悟を決めた若者を見つめ、ホルムはもう一度彼の肩を叩く。


「なら油を集めて来よう。問題は大量の油にどう火を点ける?」

「それに関しては考えがあります」




「兄さん」

「どうしたカムート?」

「別に兄さんは行かなくても……」


 弟の声に兄であるアムートは笑う。

 本当に優しい弟だ。だからこそ一人で行かせられない。


「お前にこの火薬を任せるのは不安だしな。一緒に行くよ」

「でもカーリは?」


 その言葉に火薬を片付けるアムートの手が止まる。

 分かっている。下手をすれば生きて帰れないことぐらい。

 だからこそ行く覚悟を決めたのだ。


「アイツなら心配要らない。今までも一人で生きて来たんだ」

「……一人じゃ無くなっていてもか?」

「ああ」


 あの場で出会い縁を得た彼女のお腹に、小さな命が宿っていることをアムートも知っている。

 知っているからこそ行くのだから。


「ミキさんの言葉が正しければ、『エンマ』とか言うのが蘇ると全員死んでしまうらしい。カーリもあの子のお腹の中に居る子供もな。父親としてそれだけは見逃せないよ」

「でも」

「良いんだ。父親が居なくてもカーリが居ればきっと良い子に育つ。何より未来を残さなければ育つことも出来ない」


 荷を背負いアムートは弟を見た。


「お前こそ良いのか? 何人かシャーマンたちと良い仲になっていると聞いたぞ?」

「あ~うん。そっちは……」


 歯切れの悪い言葉に上手く行かなかったのだと兄は気付いた。


「ならお前は何の為に行くんだ?」

「それは……良いだろう。俺だって良い格好がしたいんだ」

「そうか」


 笑い部屋を出ていく兄を見つめカムートは心の中で呟いた。


(兄さんを生きて帰らせる。それが俺の役目だ)


 覚悟を決めてカムートは部屋を出ようとしてそれが目に入った。

 兄とカーリが最後の別れをしていたのだ。

 出るに出れなくなって……弟はしばらく待ちぼうけを食らうこととなった。




(C) 甲斐八雲

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