其の漆

「ミキ~。何をしているんですか?」

「ん? ああ……地図を作っている」

「ほぇ~」


 聖地を覆っていた力が無くなり、姿を現した場所の地図作りをしていた彼は手を止め、抱き付いて来た妻の頭に手を置いて引き剥がす。

 全力で抵抗を見せるレシアだったが、途中から地図に興味を持ったらしく……彼の腕力に逆らわず離れてからまたその腕に抱き付いた。


「聖地ってこんな感じなんですね」

「ああ」


 左腕に抱き付いているから良しとし、ミキは持っている木の板を彼女に渡す。

 板を眺めながら辺りの様子を伺うレシアが小さく首を傾げた。


「狼さんたちの住まいは何処ですか?」

「俺が教えて欲しいよ」

「ふぇ?」

「どこを探しても、前回俺たちが行った場所が見つからないんだ」


 頭を掻きながらミキは息を吐く。


 マガミにそのことを聞こうと思ったのだが……彼女はここ数日姿を現していない。

 壮絶な老婆との殴り合いをしていたから、しばらくは動けないだけかもしれないが。


「お前の力で探せないか?」

「ん~。ん? ん~」


 彼の腕に抱き付いたままでレシアは辺りを見渡す。

 何となくそれらしい気配はあるのだが……どうも何かが違う気もする。


「あっちにそれっぽいのがあるんですけど」

「ふむ」


 自身無さげに言う彼女の能力だけを信じてミキは歩き出す。

 気分良く腕に抱き付いている妻の体温に僅かながら不満を抱ていてると、不意にレシアが足を止めた。


「消えました」

「何がだ?」

「気配です。この辺だったのに……あっ」


 視線を巡らせていたレシアが今来た方に目を向ける。


「今度はあっちに」

「……レシア?」

「本当です。本当に消えてあっちに湧いたんです」


 叱られるのを事前に察知したかのようにレシアが必死に言葉を綴る。

 頭の足らない妻ではあるが、嘘だけは口にしないと言う美点がある。


「なら動いたか?」

「ですかね?」


 二人並んで首を傾げ、ミキは妻を引き剥がして来た道を戻るように言う。

 軽い足取りで駆けて行ったレシアは、不意に止まると夫に体を向けた。


「ミキ~! 今度はあっちです!」


 声を張り上げ彼女は右手の方を指さす。

 それを見て彼は納得した。たぶん逃げているのだ。


「分かった。戻って来い」

「は~い」


 元気に駆けて来る妻の手から逃れようと、ミキは軽くその場から右に飛んで回避したが……事前に分かっていたと言いたげな表情でレシアは対応し抱き付いて来る。

 本当に無駄と思えるほどに優秀で困る。


「で、何が分かったんですか?」

「ああ。たぶん逃げるんだ」

「はい?」

「言葉の通りだよ。あの場所は選ばれた者にしか入れない。まだ隠し事をしているとは……本当に困ったものだな」

「カカカ。そう言うな若いの」

「のひょ~っ!」


 奇怪な声を上げてレシアが飛び跳ねる。

 不意に湧き出て来た老人がレシアの尻を撫でていたのだ。


「巫女の尻は変わらず良いな」

「勝手に触らないで下さい!」

「うむうむ。じゃが胸はあっちの女子おなごの方が良い」

「……」


 自分の胸に手を当ててレシアが何か言いたげに老人を睨む。

 たぶん負けていないとか言いたいのだろうが……大きさで言うなら負けている。


 妻の肩に手を回して抱き寄せながらミキは息を吐く。


「理由を伺っても?」

「そこに尻があったからじゃ」

「そっちは特に文句は言いません」

「言わないのっ!」


 夫の言葉にうるうると両目を潤ませレシアが見つめる。


「お前が避ければ良いんだ。俺の妻なら出来るだろう?」

「……分かりました。次からは容赦しません」


『容赦しない回避とは?』と疑問に思ったが、ミキはとりあえず受け流すことにした。


「それで理由は?」

「うむ。彼らは最初からこの地に暮らしていた訳ではない」


 普段は怪しい僧侶であるが、腐っても僧である。

 その表情を正して語りだす彼の言葉には何とも言えない説得力が伴っている。


「各地で迫害を受けて流れ着いて来たのじゃ。さすれば人から逃れたいであろう?」

「だからこのような仕掛けを?」

「うむ。儂が作ったのだがな」

「……」


 何かあっさりとした言葉にミキは渋面となる。


「いや~。若い娘っ子共に囲まれ懇願されての~。儂もまだこっちに来て物事を良く理解しておらなかった。掛かって来る全ての娘を相手し、最後に出て来たのが若かりし長老の婆じゃ。『娘たちを傷物にしたのだから責任を取れ』と迫られてな……仕方なく交換条件であれを作った」


 本当にどうでも良い過去だった。


 チラリと隣に居る妻に顔を向けると、珍しくレシアが軽蔑の眼差しを向けていた。

 どうやら事実らしい。


「まっそう言う訳で、あの場所は狼共の案内が無ければ入れん。安心して守りを固めると良い」


 二人からの非難染みた視線が嫌になったのか、老人はそう話を纏めると立ち去ろうとする。


「っと、忘れておった。主たちに客が来るぞ?」

「客ですか」

「ああ。近くに居た者たちは急いで向かってくれたようじゃな」


『カカカ』と笑い老人は去っていく。

 その背を見送るミキの腕にレシアが黙って抱き付いた。


「嫌ですからね」

「何がだ?」

「ミキはあんな風にならないで下さい」

「……努力はするさ」


 妻に独占欲があることを知り、ミキは軽く笑っていた。




(C) 甲斐八雲

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