聖地編 前章『彼が呼ぶのなら』

其の壱

 ハインハル王国王都ハインハル



 隣国のブライドン王国から知らせも無く訪れた使者を出迎えた国王は、相手の姿に驚かされた。

 皮鎧を身に纏った見目麗しい女性だったのだ。


「お初にお目に掛かります。ハインハル国王様。わたくしはブライドン王国コンソート領のラインフィーラと申します」

「ハインハル国王セイアスだ」


 玉座に座っている王は名乗る女性を見つめた。


「それで急ぎの用とは?」

「はい」


 緩やかに笑った女性は、無礼を承知で誘うように国王に右手を差し出す。

 まるで踊りに誘うかのような動きは澱みも無く可憐ですらある。


「国王陛下のご助力を賜りたく……参りました」

「ふむ。助力と?」

「はい」


 差し出されたその手は動かず、女性はただただ王を見つめる。


「ガギン峠でとても不思議なことが起きたそうですね? 我が国にもその話は"詳しく"はありませんが届いております」

「ふむ。して?」


 値踏みをするような王の視線に、ラインフィーラはただただ笑う。


「受けた恩を返す時だと思います。もしセイアス王にその気持ちがあるのでしたら……わたくしめに剣を与えて欲しいのです」

「剣とな? いささか無粋ではあるな」

「はい。ですがわたくしの役目はその剣を届けること。振るうのは"彼"にございます」

「そうか。彼か」


 頷き国王は玉座に深く腰を掛ける。

 ハインハルもブライドンも大きく国力を減らすばかりの出来事が続き、しばらく争うことなど出来ない。兵を差し向けたくてもそれは出来ないのだ。


「正直に申そう。我が国は彼に恩がある。返せるのであれば返したい。だが兵は出せん」

「はい。我が国とて同じです。我が国は王の国よりも彼への恩が少なく、今回わたくしがこの場に来れたのはちょっとした幸運があったから」

「ふむ。幸運とな?」

「はい」


 ニコリと笑いラインフィーラは差し伸べた手をそのままに言葉を綴る。


「我が王国内の戦士団の大多数が西へ向かうことを希望しています。理由は……『友を助けに行く為』と」

「そうか。友をな」


 チラリと視線を向けると、仕えし部下が一歩前へと出て首を垂れた。


「同じようの申し出を我が国でも受けています」

「そうか」


 胸の内で笑い、セイアスは心を決めた。


「兵は出せん。出せるのは資金と許可のみだ」

「はい」


 女性の頷きに王は玉座から立ち上がった。


「ならば我が国の『剣』を持って彼に届けよ。ラインフィーラよ」


 歩き彼女の前へと来た王は、迷うことなく差し出されたままの手を握る。


「彼に届けよ。『決して負けるな』の言葉と共に」

「承りました国王様。必ずや勝利を届けて参りましょう」


 力強く握って来る国王の掌を、ラインフィーラもまた強く握り抱えした。




 ハインハル某所



「ダメよリシャーラ。大人しくなさい」


 周りに集まる"仲間"たちの気配に浮かれ、元気に笑う我が子にラーニャは優しい表情を向ける。


 シャーマンとしての自分の力の弱さは良く理解していた。それでも心を込めて横笛を吹いたら……まだ物言えぬ我が子が供に歌ってくれたのだ。


 お陰で数多くの仲間たちが集まった。

 普段は何を考えているのか分からない一つ目の巨人すらも仲間を引き連れて来てくれた。

 それ程に"彼女"は慕われているのだろう。否……彼女だからこそ皆が向かおうと集まってくれるのだ。


「皆……人を襲ったりしたらダメですからね」


 優しく告げて、ラーニャは今一度胸に抱く我が子を見つめ横笛を取り出した。

 ゆっくりと吹き始めると、音色が風に乗り四方へと広がる。すると我が子が楽しげに歌い出した。


「あ~う~あ~」


 手足をばたつかせて歌う彼女はもしかしたら踊っているのかもしれない。

 そう言えば彼女が歌うことは無かった。短い時間だが、一緒に居て見れたのは踊りばかりだ。


「リシャーラ。行きましょう。あの人の踊りは本当に凄いのだから」

「あ~。あ~」


 柔らかく巨人に抱きかかえられ、ラーニャたちは静かに移動を始める。


 人でなくても受けた恩を忘れることはない。

 周りから化け物と呼ばれても彼らが、彼女たちから受けた恩は確かに残っている。

 そして化け物と呼ばれる彼らほど『仲間』を想う生き物も居ない。だからこそ『仲間』の救いの声に反応し、彼らは集い歩き出すのだ。


 どんなに困難が待っていようとも……迷わず西を向いて。




 ブライドン王国内



「大丈夫?」

「へっ平気だ」

「本当に?」

「任せておけって!」


 ガクガクと震えている彼を見て、クリナは小さく息を吐いた。


 雑用で鍛えられた体は頼もしく見えるが、彼の心は余り戦いに向いていない。

 基本優しくて甘いのだ。


「ガイルさんたちの傍から離れないで」

「任せておけって!」


 震えている彼を見ていると不安にしかならない。

 だが国の許しを得て、大半の戦士団は西へ向かうこととなった。

 腕に自身のある者は意気揚々と仕度を進めるが、初陣である彼……マデイは震えが止まらないのだ。


「ねえマデイ?」

「止めるなよクリナ。俺はミキに誓ったんだ。あの二人の面倒を見るって」

「……うん」


 面倒を見るはずの老人二人の方が、今から腕が鳴ると言わんばかりにグルグルと肩を回している。

 あっちを見ている限り頼もしくあって不安にならない。


「ならマデイ約束して」

「おっおう」

「生きて帰って来てね」

「任せておけ」


 逆に気負いになってしまったようなのでクリナは不安になった。

 だが彼は軽く咳払いをすると、真面目な顔をクリナに向けた。


「クリナ」

「はい」

「帰って来たら……俺と結婚して欲しい」

「良いわよ」

「……はい?」


 余りにも迷いの無い返事にマデイが面食らう。

 何となくこの場の雰囲気を借りて口にしたが……こんなにあっさりだとからかわれたのか不安になる。


 だがクリナは優しく笑い、そして彼を見ながら自分のお腹に手を伸ばした。


「生きて帰って来て。たぶんここに貴方の子供が居るから」

「……本当か?」

「ええ」

「……」


 今までの震えとは違う震えを見せ、マデイは両腕を高らかに上げた。


「絶対に生きて帰って幸せにしてやるからな!」

「はい」


 薄っすらと涙を浮かべてクリナは幸せを噛み締めた。

 やはり自分が悪くなかったのだと知れて、何より幸せを得られて。


 元気に歩き出した彼の背中越しに、『任せておけ』と言いたげな老人二人に……クリナは深々と頭を下げた。

"彼"を育てた二人が居れば、自分の夫は必ず帰って来るはずだからだ。




(C) 甲斐八雲

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