其の漆
薄っすらと目を開け、レシアは彼に抱き付いた。
こうして朝の微睡みを甘えて過ごすのがたまらなく……はて? 今日の彼はとても柔らかい。
また鳥さんが忍び込んだのかと思い、左手で掴んでいる物を退かそうとする。が動かない。
「あら? 朝から過激なのね」
「……うにょ~!」
目を開けて確認したら、彼が彼女に変わっていた。
自分の手が掴んでいるのは自分が持つ物よりも大きな存在だと認識している物体だった。
「ミキは?」
「彼ならたぶん焚火の前に居るわよ」
「なっなら私も」
急いで出て行こうとするレシアをマリルは捕まえて抱き寄せた。
「あら? 寝ている私を襲って……逃げるなんて許せないわね」
「うにゃ~! 何処を触ってるんですか!」
「大丈夫。お姉さんが気持ち良くなる方法を教えてあげるから」
「なぁ~! 何処を……って本当にどこを触るんですか! そこはダメです!」
「大丈夫よ。ちょっと黙ってなさい」
「うなぁ~! ミキ~! 助けて下さい~!」
しばらくして水汲みがてら早朝の鍛錬から戻って来たミキが見たのは、何故か笑顔のマリルと膝を抱えてブツブツと呟いている妻の姿だった。
「幽霊や亡霊などと呼ばれる類か?」
街道を進みながらミキはマリルの話を総括してそう結論づけた。
それ以外に該当する事案など無いが、ここは本来自分が居た場所とは違う。自分の知識が当てはまるとも限らないから言葉は慎重になる。
「本当に……薄気味悪いわ」
「今までにその手の類を見たことは?」
「無いわよ」
二の腕を擦りながら隣で歩くマリルは終始寒そうに体を震わせる。
気温的には寒くは無いが、体験したことが心の重りとなって寒く感じさせるのだろう。
「毛皮ならその馬鹿鳥の中に入ってる」
「ありがとう。……どうすれば良いの?」
フヨフヨと浮かんでいる球体を捕まえたマリルに、手本だと言いたげにミキは鳥の口に腕を突っ込む。
不思議と探している物が差し込んだ手に触れるのでそれを引き抜けば良いだけだ。
「おい馬鹿鳥。次この手の冗談をやったら香草焼きにするぞ」
引き抜いた妻の下着らしい物を改めて押し込み、ミキは丸まった毛皮を引き抜いた。
「便利ね」
「馬鹿すぎて疲れるがな」
旅をする上での一番の負担……荷物持ちを助平な鳥がすべて賄うので三人の移動速度は徒歩としては早い部類だ。何より食料の痛みは少ないので重宝する。
この存在を他の者が知ればどれほどの金を生むか……ただこの球体は気分屋で女好きだ。
何だかんだてレシアの傍を離れないのは、何かしらの意味があるのかもしれない。
肩に毛皮を引っ掛け首元を覆うようにしたマリルは、それでも数度体を震わせる。
精神的な物だからこれ以上の処置は難しい。
そう判断して……ミキは根本的な治療を始めることとした。
「レシア~」
「……」
一人前を行く妻が肩越しに振り返る。
少し離れている間に何かあったのか、マリルを警戒する妻の様子が怪しい。
おかしいと思わないのは普段の様子を見ていれば……ある意味今もいつも通りだ。
「ちょっと来い」
「嫌です」
即答だ。
やれやれと息を吐いてミキはマリルの左側に立ち位置を変えた。
利き腕の右側にマリルが居ることとなり咄嗟の反応の際に腕をぶつけてしまいそうで嫌なのだが……今は今後のことを考え原因究明を優先した。
「今日はお前にこの左腕に抱き付いて欲しい気分だったが……それなら」
「もうミキ。これで良いんですか?」
言ってる途中で駆けて来た妻が抱き付いた。
手間が省けて良いのだが……本当に良いのかかなり悩む。
甘えるレシアをそのままに、ミキを中心に三人並んで街道を進む。
荷馬車が通る場所だから道幅に問題は無い。
「マリルが見た物が何か分かるか?」
「ん~」
夫の左腕に右腕を絡めているレシアは、自身の左手の指を唇に当てて……ゆっくりと首を傾げる。
「白いモヤモヤですよね?」
「そうらしいな」
「ん~」
増々首を傾げて……左肩に妻の頭が当たる。
チラリと視線を向ければ、たぶん甘えたい気持ちが勝っているのが分かった。
「そんな物でしたら私の目にはいつも映ってますしね」
「そうだよな」
たぶんそうだろうと思っていたが正解だった。
呆れる夫に、隣を行くマリルが言葉の意味を理解し……ギョッと目を見開いてレシアを見る。
「私の場合は全部見えますから……違いが分からないんです。子供の頃からこれが普通でしたし」
シャーマンの巫女たる彼女の目は、その感覚は特別すぎる。
普通の者に見えない事柄も普段通り見えるが故の弊害だ。
「ならマリルの周りに何か見えるか?」
「ん~。苦しんだ表情で抱き付いていた男の人たちはまとめて鎮めましたし……今は特に何も居ないですよ? ただお婆さんが一人付いてて、『もうしばらく一緒に居たい』と言ってるからそのままにしてますけど」
レシアの発言に辺りを見渡すマリル。
だが『お婆さん』という言葉に何か思うことでもあったのか、俯き加減に歩みを続ける。
「なら白い獣のような物は見えないと?」
「はい。マリルさんの傍には居ません」
胸を張って彼女が断言するなら間違いでは無いはずだ。
「ただ私たちの前をずっと大きな獣がノシノシと歩いてますけどね」
そして彼女の頭もある意味で間違いない。本当に馬鹿なのだ。
ミキは黙って自分の妻を両の拳で挟むようにしてグリグリとした。
(C) 甲斐八雲
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