其の弐拾

「母さん!」

「久しいなエスラーよ」

「はい」


 先日は騒ぎを鎮めると同時に帰って行った母親の登場に、半裸状態の息子が慌てて駆け寄る。

 一瞬眉を寄せた母親であったが、柔和な笑みを浮かべると跪く我が子の頬に手を当てた。


「ウルラーの兵が屋敷の外を囲い不自由な生活を送っているようだね」

「はいっ!」

「あの馬鹿者は私の言葉にも耳を貸さない」

「……」


 笑っているのに頬に触れる手から強い怒気を感じ息子であるエスラーは震え上がる。

 こんなにも恐ろしい相手に歯向かう兄の正気すら疑う始末だ。


「でも好き勝手に出来るのも今のうち」

「えっ?」


 微笑む母親に促されてエスラーはゆっくりと立ち上がった。


「お前も男であろう?」

「あっ……そこは」

「これは飾りかね?」

「……いいえ」


 下腹部のモノを掴まれエスラーは縮み上がる。

 実の母親なのに本当にそのまま握り潰されそうな恐怖を覚えたからだ。


「女遊びばかりに使っていないでもう少し国のことを考えよ」

「……はい」


 寄って来た母親が耳元に口を寄せ囁く様子に、息子は増々縮み上がる。


「あれに何かあればこの国の次の王位を継ぐのはお前なのだから」

「……」

「遊んでばかりおらずに世継ぎを設けることを考えよ」

「はい」


 クスクスと笑い息子を開放した彼女は、静かに寄って来た女官に手を拭かせた。


「まずはあれが必死に探している女をこちらが手にする」

「ですが母さん」

「分かっています。あれは私の言葉にも耳を貸さぬ。ならば貸す者に命じれば良い」

「ですが」


 しつこく食い下がる息子をひと睨みし、彼女は扇で口元を隠し言葉を続ける。


「お前が失敗したのは相手を間違えたから。それに安易な仕込みのせい」

「……ならどうすれば?」

「案ずるな我が子よ」


 妖艶に笑い彼女はまた扇で口元を隠す。


「殺しても構わない相手に仕掛ければ良い」

「それは?」

「ええ。良い獲物を見つけてある。案ずるな我が子よ」


 まるで何か吐き捨てるかのように言い切る母親に恐怖し……彼は力無く頷き返すしか出来なかった。




「イースリー殿」

「……何か?」


 城の通路を歩く女官に声を掛けて来たのは、内務を預かる男の部下であった。

 彼は慇懃に頷くと彼女に対してそのことを口にする。


「実は我が部下がシャーマンらしき者を見つけたと言うのだが、抵抗が酷くてな。何でも『男の言葉は信用出来ない』と申しているそうだ」

「……そうですか」


 思うこともあってイースリーは内心でため息を吐いた。


 国王たるウルラーは彼女たちの保護を訴え行動している。

 ただ末端に行くほど話がおかしなこととなり、『国王が夜伽相手に求めている』『前王の王妃が集めている』『現王妃が集めている』などその伝わりようは様々だ。


 特に前王の王妃や現王妃などの話を聞く度にイースリーは内心で笑ってしまう。


 自身の出世にしか興味の無いあの女が人を殺す指示を出しても保護する指示など出さない。

 そして形式の上で王妃となっている女は出身である街で暮らし好き勝手にしている。政略結婚である都合、国王たるウルラーに形ばかりの王妃が居ることを知る者は少ない。


 ただ悪い噂ばかりが広がっているからシャーマンたちの抵抗も激しい。


 以前には……王都である旅一座の中にそれらしき者が居ると言うだけで強硬な手段に出てほとんど皆殺しにしてしまった事件などもあるとか。

 そのような話を聞く度にイースリーは『もっと自分に力があれば……』と思ってしまう。


「それで私に出向いて欲しいと?」

「はい。貴女が出向き説得に当たれば相手もこちらの言葉に耳を貸すでしょう」

「そうですね。分かりました」

「なら警護の者はこちらが手配いたします。陛下の方にはこの足でご報告いたしましょう」

「……?」


 性急過ぎる相手の申し出に女官は一瞬戸惑う。

 だが相手は慇懃な様子で言葉を続けた。


「その者が居るのが『あのお方』の屋敷の近くなのです。あまり騒ぐと」

「……分かりました。それならば仕方ないですね」


 強欲すぎる野心に国の運営すら危うくする。

 存在するだけでも害悪な女に……イースリーは自分の心に蓋をした。

 また『嫌な空気』と言う言葉が耳の奥そこで響いた気がしたからだ。


「陛下へのご報告お願いいたします」

「任されましょう」


 一礼をして先を急ぐ女官を見送り……その男は醜い笑みを浮かべる。

 自分も出来たらあの体を好きに弄びたいと思いながらも、同士たちが殺さずに連れて来るかどうか分からないからだ。


 上からの指示は『イースリーと言う女官を指定した場所に誘導する』と言うことだ。

 きっとそこで待ち受けている者たちが彼女を玩具にしてしまうことぐらい分かりきっている。


「損な役回りだ」


 替わりに今夜は女を買いに行こうと決め……彼は国王の元に向かわずに仕事へと戻る。

 行く必要などないし、最初から行く気も無い。彼の仕事はこの時点で終わっていたのだから。


 しかし彼らは知らない。


 子供の頃から暗殺の類に曝されて生きて来た女官がどれ程用心深く行動するのかを。

 結果として……この行為が彼ら前王妃派を地獄に追い詰める初手となったことを。




(C) 甲斐八雲

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