其の拾伍

「こけーっ!」

「ほっほっほっ……ヌシが飛んで来るとは思わなんだ」


 雲を椅子にしていた老人は、目の前に来た七色の球体に胡乱気な目を向ける。

 今では真ん丸な成りをしているが、その正体は南を守護する大精霊にして四聖獣の一つだ。


「前の世界にあのような思想があると言うことは……昔はこっちとあっちを渡る者が居ったのかもしれんな。どう思う朱雀殿?」

「こぉけぇ~っ!」


 何やら怒っている様子の球体は騒ぐだけだ。

 それほどあの娘のことを気に入っているのであろう。


 生きながらにして自然の力を纏う歴史上稀に見る巫女だ。乙女としての清純を失っても余るほどの才能……むしろ失っていなければ、彼女はいずれその力に飲み込まれて自然と同化していたかもしれない。


「あの若造が本能で察したとは……思えんな。若い若い」

「こっこっこっこけ~っ!」

「何をそんなに怒る? そもそもこの地を放置したのは誰じゃ?」


 老人の指摘に怒って羽を動かしていた球体が止まる。文字通りピタッと止まって……クルッと180度回って相手から顔を背けた。

 だが老人からは逃れられない。反らした顔の先で老人が座っていた。


「人の生と死を司る存在が『餌を追っていたら帰れなくなった』など、恥ずかしくて恥ずかしくて誰にも言えんよな?」

「こ……」


 七色の球体から汗が噴き出る。傍から見ても冷や汗の類だ。


「この地に眠る存在の守護も兼ねていたヌシは、今の今まで何をしていた? まさか三歩進むと忘れる鳥ではあるまいし……すっかり忘れて生きていた訳じゃあるまい?」

「こ~」


 人であったら口笛でも吹いて誤魔化しそうな雰囲気を漂わせ、球体は知らない体を振る舞う。

 だが老人はそんな聖獣の心をはっきりと理解していた。


「本当にヌシは四聖獣の中でもっとも不真面目な奴だな。真面目過ぎる玄武よりは良いのかもしれんが……青龍も白虎ももう少し真面目にやっていたぞ」

「こっけ~」

「不貞腐れて不満を申すな。まったく……お国が見たら泣くぞ」

「……」


 やれやれと肩を竦めて老人は立ち上がる。

 雲の上から眼下を見下ろす。踊る少女目掛けて亡者共が殺到していた。


「ヌシのお気に入りの娘が危険に身を晒しているが……どうする?」

「……」


 フワフワと漂うように浮いていた球体が、考え込むようにクルクルと回りだした。


「どうする?」

「……」


 重ねて問うと、鳥は何処か行きたそうな感じで下を見た。だが動かない。

 故に老人はもう一度口を開きかけ、


「さっさと行け!」


 素早く拳を振るって球体を殴り落とした。


「まったく……お国よ」


 呆れながら息を吐き、老人は朱色の盃を取り出す。


「死ねぬ儂には……ちとこの場所はつまらなくなって来た」


 雲の先、空の向こうに目を向ける。


 東の大山脈の向こうにも大地が続いていることを老人は知っている。

 知っているがこの地を離れられないのだ。


「誓いを果たして儂の拘束を解いて貰わんと……本当に『死しても一緒』とは辛すぎるぞ」


 苦笑して老人は眼下を睨む。そこに眠っているのは亡き妻だ。

 向こうの世界では名前を変え、姿を変え過ごしていたが……最後に捕まった相手が悪かった。


 娘しか居なかった名古屋家の者に幻術を施し、名古屋山三郎なごや さんさぶろうと名乗って好き勝手をしようと企んだ彼の前に現れたのがお国だった。

 一発で正体を見破られ、挙句逃げられないように術まで使われ……強制的に夫婦となったのだ。


 俗世間での生活が煩わしくなって騒ぎを起こして死んだ振りをしたが、もちろん彼女は騙されなかった。それからと言うもの……ずっと二人で世間を見て回った。踊り好きな彼女が祖となり『かぶき』なる踊りが生じたことも知っている。


 ただ彼女は踊ることが好きなだけだった。

 そして自身は知らぬ間にそれを見ていることが好きになっていた。

 ただそれだけの関係であったのだが……。


「なあお国よ。お前の居ない世界とは本当につまらないものだな。これだったら共に同じ時にこちらへと渡り、同じ時を過ごし、同じ時に死ねれば幸いであっただろうに」


 軽く煽った清酒を……老人は雲の上から溢した。

 亡き妻の聖地はかに向けて、まるで雨でも降らせるかのように。




「にぃやぁ~っ!」


 岩場の上で踊っていたレシアは奇声にも似た声を上げて逃れ続けていた。

 知らない間におかしな者たちに囲まれて逃げ道を失っていたのだ。

 半分腐って溶けたような死体が、『ア~ア~』言いながら近づいて来る。


「臭いです~っ!」


 見た目や相手が伸ばして来る腕など大して問題ではない。

 軽やかな足取りで踊るように全てを交わす。だが臭いばかりは誤魔化せない。

 鼻の奥に突き刺さる刺激臭に、目から涙がこぼれ落ちるほど臭い。


「ミキ~っ! もしかしたら結構ダメかもしれませ~ん!」


 余りの臭さで気絶寸前だ。


 フラフラとしながらも彼女は亡者たちの攻撃を交わし続ける。

 当たり前だ。彼以外の男性に……彼が見ていない場所で触れられるのは良くない。それぐらいの知識は流石のレシアも持っていた。


「助けて下さ~い!」


 と、その声が天に通じたのか……頭上から七色の球体が降って来て、レシアの頭の上に落っこちた。




(C) 甲斐八雲

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