其の拾肆
「どうかなさいましたか三木之助様?」
「……つい反射的にな。鍛錬のし過ぎかな」
「もう」
二人での外出に機嫌を良くしていた妻が拗ねる。
彼は自分が自然と振り下ろしていた右の手刀を見た。何かを打った感触がはっきりと残っている右手をだ。
「さあ参りましょう。三木之助様」
「ああ。行こうか」
行くことを促しながらも彼女からは動かない。夫の後ろを付いて歩く模範的な妻なのだから仕方ない。
だが彼は何も言わずに妻の手を握ると歩き出した。
「ちょっと……三木之助様?」
「気にするな。ただの気紛れだ」
「ですが」
「今日はやけに『ですが』が多いな」
「……貴方様がらしく無いことをするから」
「気にするな。夫婦であろう」
「……」
頬を赤らめて沈黙する妻の手を引き彼は屋敷を出た。
「ん? ん?」
キョロキョロと辺りを見渡し……レシアはようやくそれに気づいた。一緒に居たはずの七色の球体が居ないのだ。
「鳥さん?」
言いようのない不安が押し寄せて来る。
彼に続いて鳥までもが消えた。これが意味することは、
「も~っ! みんなして自由過ぎますっ! 何かするなら一声掛けないとダメじゃないですかっ!」
普段の自分の行動などすっかり忘れてレシアは怒る。怒ることで不安を紛らわせる。
「分かりました。ええ分かりました。みんなして自由なことをするなら私だってするんですから!」
絶叫して……彼女は村の中心である場所に向かった。
岩場の上に登りそこから村中を見渡す。
砂に大半飲み込まれている場所は、とても"村"があったようには見えない。
廃墟も廃墟……何と言うか墓場にも似た空気が満ちていた。
「も~頭に来ました。みんなして私のことを……あ~っ!」
押し寄せ続ける不安を誤魔化すように声を上げ、レシアはその場で踊りだした。
自分には彼のような知恵も知識も何も無い。出来ることは踊ることだと思い出したのだ。
だからレシアは踊りだす。踊り続ける。
その踊りに誘われるように動きだす者たちに気づかずに。
静かな街中を歩いて行く。
手を繋ぎ歩く二人に視線を向ける者も居たが、先頭を行く彼は気にせず、手を引かれる妻は頬を紅くして通り過ぎた。
通りを過ぎて野原へと出る。普段なら義父の弟子たちが鍛錬に使う場所でもあるが今日は無人だ。
「ここは静かだな」
「はい」
さわさわと雑草の間を抜けてくる風が心地いい。
彼は掴んでいた妻の手を放すと、相手を後ろから抱きしめた。
「三木之助様?」
胸の前に来た夫の腕に指を当て……妻は戸惑いの声を上げる。
だが彼は何も言わずに相手のことを優しく抱き締めた。
「済まなかったな」
「……何がでしょうか?」
「……約束を守らせて」
ピクッと反応した妻に彼は言葉を続ける。
「一人で逝かせて済まなかった」
「……」
何も言わぬ妻に対して彼は言葉を続けた。
「俺はお前を不幸にした酷い夫だ。お前の名に反する行いばかりだ」
「そんなことは」
「事実だよ」
ギュッと抱きしめ彼は妻の耳元に口を寄せた。
「幸……君を殺したのは俺との約束だ」
不意に世界が音を立てて崩れるように崩壊した。
黒く闇が覆うような場所で、ミキは腕の中に居る存在を逃がさずに居た。
それが何なのかは分からない。だがまだ"彼女"は最愛の人の形をしていた。
「気づいていたのですか?」
「ああ」
「いつから?」
「目を覚ました時から」
「……ならどうして?」
「少し話したかった。それに」
腕の拘束を解いてミキは彼女の体を自分の方へと向ける。
あの時の……最後に見た妻がそこに立っていた。寸分狂わずにだ。
「俺は結局……"未練"を抱えていたのだろうな。剣に対する未練と」
ゆっくりと妻の顔を正面から見る。
「お前に対する未練だ」
「……」
重すぎる言葉を受けた彼女は、そっと胸に手を当てた。
自分如き存在が耐えるには本当に重すぎたのだ。
「貴方は不思議な人ですね」
「そうか?」
「はい。私のような存在に胸の内を打ち明けるだなんて」
柔らかく笑い妻だった者がそっと手を伸ばす。彼の胸に手を当てた。
「私は貴方が思う通りただの亡霊。人の記憶に入り込んで甘い夢を見せる存在」
「ああ。良い夢だったよ」
「そうですか」
言って女性は笑顔を見せる。
その姿は彼の"記憶"に強く残っている祝言の後に見せた妻の笑みだった。
「でもただの模倣です。姿を似せただけの……残像です」
「分かっているさ」
自分の胸に触れている彼女の手を掴む。
「全ては貴方の記憶。私が見せるのは全て思い出」
「それでも良いと思う者も多いだろう」
「はい。皆が満足して……そして立ち去ります」
分かっている。そして立ち去った者はこう言うのだ。『存在しない村で良い思いをした』と。
次なる餌を呼び込むために。新しい人を喰らう為に。
「教えてくれ」
「はい」
「お前は何処に居る?」
「……」
握っている手が迫った。彼女が歩を進め抱き付いたのだ。
「貴方様のお連れの方なら見つけられましょう」
「そうか」
「はい。ですから……全て終わらせてください」
顔を上げ彼女は涙を溢し笑う。
それもまた記憶にある妻の表情だった。
「宜しくお願いします。三木之助様」
「ああ分かった。その願いを叶えよう……幸よ」
軽く口づけを交わすと、妻だった者は闇に溶けるようにして消え去った。
(C) 甲斐八雲
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