其の参

「準備は完璧です。さあミキ……行きますよ!」

「……」


 防寒着の替わりに毛皮を纏ったレシアが元気よく片手を突き上げる。

 もう片方の腕に抱かれている七色の球体は、日中とは打って変わって『寒い寒い』と言いたげに彼女の胸に身を寄せている。

 ミキは何度目か分からないため息を吐き、一応忘れ物が無いかだけ確認をした。


 行く気になっている相手を止めることなど不可能だ。何より世界中の不思議を見て回ることがこの旅の目的となりつつあるので、その趣旨に反する行動は出来ない。

 だったら自分が徹底して気を配り彼女を護り抜くしかない。


 無駄に元気なレシアの元へと歩み寄り、彼女の頭を捕らえて抱き寄せ額に唇を這わす。


「離れるなよ。何が起きるか分からんし……何も起きないかもしれないしな」

「ふにゃ~ん。大丈夫です! バッチリ私の耳には昨日の音が届いてます!」

「………………そうか」


 深い深いため息の後にどうにかその言葉を発せられた。


「さあ行きましょうミキ! とりあえずあっちです」


 先頭を切って歩き出した彼女の後を歩き、ミキは視線を飛ばし続ける。

 自分たちの行動を警戒している黒装束の男たちが、こちらの動きに合わせて行動を開始しているのだ。


(付き合わせるのは心苦しいが……諦めて貰うしかないな)


 何も知らずに付いて来る男たちから意識を放し、ミキはただ目の前の彼女だけを見る。

 嬉しそうに楽しそうに……本当に生きていることを全力で堪能している相手は見てて飽きない。




 ミキたちはその夜から姿を消すこととなった。




「ミキ……」

「言い訳は要らん。まずどうするかを考えよう」

「ですね。そうですよね」

「で、助かってからお前への罰はする。尻叩き30回だ」

「うなぁ~ん。ごめんなさ~い」


 全力で泣きながら抱き付いて来る彼女を尻目に、ミキは体勢を少し変えると自分の足元に目を向けた。

 ゴロゴロと転がっている物の感触は、思った通りの物らしい。せめてもの救いは腐りかけで無かったことだ。もしそんな上に落ちようものなら……落ちなくて良かったと心の底から思った。


 尻の下の骨を退けて足の着く場所を作り、レシアを抱えて立ち上がる。

 周りが砂と言うか、土だったのが良かった。擦り傷はありそうだが大きな怪我は無い。


「何なんですかここは?」

「……」


 二人でどうにか立つ姿勢になってペタペタと壁らしき土を触る。

 頭上からはまだ多少砂が降って来るが、それもだいぶ緩くなった。


「まさか」

「分かったんですか?」


 頭上にぽっかりと口を開く穴を見て、ミキは不意にそれに気づいた。


「レシア。お前の力で足元……その下の方に何があるか分からないか?」

「下ですか? ん~……水ですね」

「だろうな」


 たぶんが確信に変わり、ミキは納得した。

 ただ何も分からないレシアがプリプリと怒りだす。


「もうミキ。私にも分かるように説明して下さい」

「分かった。なら言おう」


 と、相手の手を取り両手を拘束する。


「あっあれ?」

「俺が『待て』と言っているのに、『何かあります』とか言って不用意に足を進めた結果二人してこの穴に落っこちた訳だ。事前に言ったよな? 『俺の指示に従え』と。結果はどうなった?」

「はにゃ~ん。ごめんなさ~い」


 聞きたくもない現実にレシアは耳を塞ぎたくなったが両手は彼の手によって封じられている。

 しばらく怒られボロボロと泣きだす彼女を見つめ……結局は惚れた弱みから相手を許して終わる。


「ぐすっ……で、ここは何なんですか?」

「ああ。古井戸だ」

「……井戸?」


 解放された手で涙を拭いつつレシアはまた頭上を見上げる。

 そう言われると何となくそんな気もして来る。


「どうしてここに井戸が?」

「……砂に飲まれたからだろう」

「はい?」

「だから元々あった場所が砂に飲まれて消えたから、井戸だけこうして口を開けて待っていたんだろうな」


 つまり『底無し』と呼ばれる物は全て井戸の後で、実際は底がある。

 ただ何らかしらの理由で井戸の口に砂が蓋となって覆い塞ぎこのような罠になっているのだ。


「あの~ミキ?」

「ん」

「出れますよね?」

「……」


 ついッとわざとらしくミキは視線を逸らす。

 すると見る見る涙目になったレシアが彼に抱き付いてその体を揺らす。


「ごめんなさい。ちゃんと言うことを聞くから……出れますよね? 出れると言ってください」

「どうだろう? ちと難しい……」

「にゃ~ん。こんな場所だとご飯食べられません!」


 そっちかと言いたくなったがミキは寸前で我慢した。


「心配はそれだけか?」

「……はい。だってすぐ傍にミキが居るから寂しくないですし、それに死ぬ時は一緒です。なら心配はご飯くらいで」

「……用を足したくなったら?」

「…………」


 レシアの手がミキをきつく掴み、ガクガクと揺すって来る。


「ダメです。それはダメです。えっと小なら……でもあっちは無理です。いくらミキにでも見せられない物があります!」

「小ならとか恐ろしいことを言うな。もっと慎みを持て」

「いらい」


 相手の頬を抓んで左右に引き延ばす。

 少し遊んでからミキは、彼女の頬から手を放してついで胸元に差し入れた。


「あっミキ……ここでですか?」

「その気になるな。さっさと出るぞ」


 もぞもぞと腰を震わす馬鹿に軽く頭突きをして、ミキは七色の球体を掴み出した。

 神格を帯びているらしいこれを使えば外に出るのは容易だ。だが反面不安もある。

 しばらく待ってみたが後を付けているはずの男たちが何もして来なかったことが気になる。

 上で何か起きているのか……、


「レシア。上の様子はどうなってる?」


 確認出来るのだから迷わずすることをミキは選んだ。




(C) 甲斐八雲

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