其の玖
「えっ……ええっ! うひょ~」
「何て声を出してるんだ全く」
パシッと隣に居る相手の頭を叩き、ミキは嘆息した。
頭を押さえつつまだ驚いているレシアの目は、芸人兄弟の兄アムートを見つめたままだ。
昨夜色々と互いの話をした結果打ち解け、ミキたちは朝から彼らの練習風景を覗きに来たのだ。
弟のカムートは使う道具の確認などをしているが、兄はまず体操から始める。
ただその体操が信じられない動きばかりで、見ているレシアの目がどんどん丸くなっていた。
「柔らかいと言う程度を越えているな。軟体と言うべきか」
「あはは。これでも最初は人並みにしか曲がらなかったんですよ。でも毎日練習して曲げ続けたからこそ、ここまで柔らかくなるんです」
口では言い表せない複雑な体勢になってそれでもまだ体を捻じ曲げようとする兄の様子に、コソコソと離れて行ったレシアが自分の体を少し曲げ……カッと目や口を開いて戻って来た。
「無理です」
「一気にやるな馬鹿が」
もう一回パシッと叩いて注意しておく。
アムートはそんな彼女の様子を見て笑うと、立ち上がり今度は猫背となる。何をするのかと思って見ていると、彼のお腹が信じられないほど動き出す。
内臓がどこへ行ったのかと思うほどへっこむ腹を見て……レシアが自分のお腹を触ってミキを見た。
「大丈夫です。今日から頑張って減らしますっ!」
「まだ何も言ってないぞ?」
「良いんです。どうせ言われるって分かっているから良いんですっ!」
なら言われないように注意しろと言いたくなるが、本人がやる気を見せているのだから悪くない。
脈動するような腹の動きを眺めるミキは、あの動きを使い腹の中の水筒を押していたのだと理解した。
「凄いでしょ? うちの兄さんは」
「ああ。並大抵の努力じゃ無いな」
「あはは。そんなに褒めないで下さい。俺は才能が無いからこうやって必死に鍛錬し続けているんです」
「才能が無いか」
それは自分にも言えることだとミキは噛み締める。
本当に天に愛されている存在などは、日々の練習だけでその才能をどんどんと伸ばして行く。見ていて羨ましいほどに光り輝いてだ。
少し意地悪したくなったミキは、自分の隣で腹をへっこましている彼女の尻をポンと叩いた。
「なっ!」
「こっちの肉もどうにかしろ。最近重いぞ?」
「なぁぁぁぁああああ~っ!」
怒りだしポカポカと叩いて来る相手を軽くあしらって、ミキは笑っておく。
羨ましいほどの才能を持つ相手に対する嫌がらせなどこれで十分だからだ。
後は一通り火のついていない松明を投げ合う練習や、まだ客に見せていない考案中の芸などを見て感想を求められる。
ミキは見て感じたことを伝え、レシアは身振り手振りで説明する。
天才の言葉が理解出来ない二人は困った様子を見せたが、通訳が板について来たミキがかみ砕いて説明すると納得してくれた。
あとは軽く道具の片づけと公演の準備だけだからと言われ立ち去るように促されたことで、ミキは一歩踏み込みそもそもの質問をする。
二人の手を見て疑問に思っていたこと。
『何故その手に剣ダコがあるのか?』を。
「「……」」
ミキの問いに何の言葉も返ってこない。
言いにくいであろうことぐらいは分かるが、それでもミキは気になってしまった。
二人が余りにも好青年だからこそ……その似つかわしくない剣を持つ様子が。
「言いたくないのなら無理には聞かんよ。ただ俺は闘技場上がりの解放奴隷だ。剣の腕だけならその辺の兵よりも遥かに上だ。だから俺に手伝えることがあるかもしれない」
「手伝う?」
「ああ。俺たちは自由気ままな旅人だ。この街にも次の王都への隊商が向かうまでの期間しか居ない。つまりは汚れ仕事くらい引き受けても構わないってことだ」
「「……」」
らしくない言葉にレシアが手を伸ばし彼の服の袖を引く。
心配するなと目を向け伝えると、ミキは軽く踏み込み彼女から離れた。
「物は試しだ。かかって来い。俺の実力を見せてやる」
言ってミキは腰の後ろに手を回す。
南部に来てからは腰に刀は差していない。フード付きのローブを着るのに邪魔になるのと、何より今は"それ"に頼りたくなかった。
実力を上げるためにあえてそれ以外ばかり使うようにしている。
故に彼が掴んだのは十手だ。
ミキの様子を見て……兄弟は静かに頷き合うと、松明を武器替わりに構える。
先手を打って来たのは弟の方だ。芸はからっきしとか言いながらも、余程剣の方を振り込んでいるのか良い袈裟斬りだ。だがミキはクルリと体を返すだけでその攻撃を交わす。
と、松明を構えた兄が迷うことなく突進して来る。
それも回避しようとしてミキは気付いた。弟の動きだ。まるで兄を使い捨てにするように弟がこちらの動きを見ている。兄の攻撃を回避しようものなら弟の攻撃が飛んで来る。
ならば、
「っ!」
正面から腕を掴まれ攻撃を封じられた兄が驚き顔を上げる。
だがミキはそのまま強引に体を動かし、弟との間に兄の体が入り込む様に仕向ける。一瞬の躊躇で弟もまた攻撃の機会を失った。
兄を見捨てる覚悟で大振りに振るえばミキを打つことも出来たかもしれない。
だが決死の突撃で兄が死ななかった場合を想定していなかったのだろう……攻撃が続かなかったのだ。
(C) 甲斐八雲
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