其の弐
「む~。む、む~」
「拗ねないで下さい巫女様」
「だって……何なんですか?」
聖地の入り口と呼ばれた場所は、石柱が立ち並ぶ不思議な所だった。
何が起きるのかと期待し興奮するレシアの視界を遮るように姿を現した大きな影。
ミキとレシアを隠すように大きな狼が前後左右を囲ったのだ。
お蔭で色鮮やかな空気が見えるのに、その様子を見ることが出来なかった。
「本来貴女がここに来るにはまだ早すぎるのです。仮に"彼"に見つかりでもしたら」
「見つかったら?」
「はい。二度と旅なんて出来ません。下手をすれば、時が来るまで小屋に監禁です」
「む~」
良く分からないが、面白く無いことになりそうなのは理解出来た。
だからレシアはギュッと相手を背中から抱きしめて自分の匂いを擦り付ける。
「い、たい」
「ごめんなさい。大丈夫ですか?」
「少し、落ち着け」
傷だらけの相手の声にレシアはシュンと頭を下げる。
あのミツとか言う人にボコボコにされた彼の怪我の治りがとにかく悪い。
一番の原因は狼の背に乗り移動を急いだことにある。
それを理解しているからレシアは黙って相手を抱きしめる。
「ごめんなさいミキ」
「……」
「私が何も考えて無いから」
考え無しとか行き当たりばったりとか良く相手に言われていた言葉だ。
自分としては自然の声に耳を傾け、その導きに従っていたつもりだったが……相手の状態を見ると自分の行動が間違いだったのかと思ってしまう。
「狼さん」
「はい」
「ミキの怪我は治るの?」
拗ねていた表情は消え失せ、今度は泣き出しそうな子供の顔を見せる。
見てて飽きないほどクルクルと表情を変える巫女に、マガミは恭しく頷き返した。
「ここは聖地。この大陸の自然が最も濃く集まる場所です。そしてそんな場所には聖獣と呼ばれる存在も数多く居ます。傷を癒す聖獣もです」
柔らかく笑う女性にレシアは、太ももにむず痒さを感じながらも言葉を続ける。
「狼さんも?」
「いいえ。私たちは流浪の存在。人から迫害を受けた異形な存在である私たちの祖先は遂に行き場を無くし……辿り着いたこの場所の片隅に住まわせて貰った存在です」
「へ~。なら誰の許しを得たの?」
ピクッとマガミは動きを止めた。
まさかそんな質問を……と、狼の視力を持つ彼女の目がそれを見つけた。
巫女の太ももに指先を当てて動かしている存在。彼が綴る言葉を巫女が言っていたのだ。
「……今はまだ教えられません。時期が来たら必ず」
「うん。分かった」
それ以上の会話も無く、レシアたちは何処かへと運ばれ続けた。
「ふにゃ~っ!」
自分たちを運んでくれる狼が足を止め、壁となっていた存在も静かに離れた。
結果としてレシアの視界に飛び込んで来たのは、目が痛くなるほどの自然の色だ。
たぶん全色があるのではないかと思うほどの圧倒的な自然……そこは大きな木が中心に据えられた盆地であった。
「ここが聖地の隅にある私たち『人狼』の村です」
「凄い。ふぁ~」
嬉しそうに腕に抱く相手をギュッとして、レシアはその頬にキスをする。
傍から見ても嬉しそうな彼女の様子に、マガミの表情も自然と緩む。
「この窪地に入ってしまえば周りからの視線の大半は遮られます」
ゆっくりとまた狼が歩き出した。
その背に揺られるレシアは、落ち着きなく当たりを見渡す。
「あれは何ですか?」
「ええ。あとで説明しますから」
「あっちのあれは何ですか?」
「ですから後で」
「あれ! あれは何ですっ」
「……あとで説明するから黙りなさい巫女様」
「ふぁい」
相手の頭をガッチリ掴んで落ち着かせたマガミは、ブルブルと震え頷く巫女から手を離した。
落ち着きが無いと言うか、好奇心が強すぎると言うのか……良くもこんな相手を連れて旅など出来るものだと、彼女の腕に抱かれている彼を見て思う。
ただ今の行動を見た仲間たちが、驚愕を通り越して絶望的な表情を向けて来ている。
巫女に対して無礼を働くことなどこの聖地に置いて決してあってはならないことなのだ。それを理解している仲間たちはマガミの身を案じそんな顔をしたのだろう。
事実今の無礼を大婆様にでも知られれば……確かにちょっと、かなり、だいぶ拙い。
「良いですか巫女様」
「ふぁい」
「まずは彼の治療が先です。その手配をしてから村のことを説明します」
「ふぁい」
「彼の怪我を癒すのはとても重要ですよね」
「はい」
「ですから巫女様は彼を抱きしめてジッとしててくださいね」
「分かりました」
またギュッと抱きしめ、レシアはマガミの言うことに従う。
とりあえず自分の身の安全をどう確保しようかと悩んでいたマガミであったが、視線の先にそれを見つけて……思考することを放棄した。
枯れ枝が布切れを纏ったような老女。
大婆様と呼ばれる人狼の中で最も権力を持つ人物が、マガミに向かい首を掻っ切る様な仕草を見せたのだ。
「巫女様」
「はい?」
「私はしばらく席を外しますので、後のことは他の者たちに」
「ふぇ?」
「大丈夫です。では失礼します」
とんっと軽く飛んで姿を消した女性に殺到する影。
レシアは彼女が何かから逃れるように走っている様にも見えたが、とりあえず言われた通り大切な人を抱きしめて頬ずりした。
「久しぶりに会えば死にかけてるとは情けない」
「あ~っ!」
老女を見てレシアは大きな声を上げた。
「ミキミキ見てください。死体が動いてます」
「失礼な子娘だよっ!」
「あてっ」
思わず流れるような動作でレシアの頭を小突く老女。
その様子を見ていた人狼たちは、余りの出来事に驚愕し……卒倒しかけた。
(C) 甲斐八雲
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