其の参

「多少は腕を上げたと聞いていたが、あの化け物相手じゃ……しょうがないかね」

「うにゃにゃにゃにゃ~っ! 放して下さい! ミキのお尻が削れますっ!」

「へんっ! どうせ今から治療じゃ……削れた尻も治すよ」

「そうじゃ無くてっ!」


 大切な人の襟首を掴んだ老女は、そのまま彼を狼の背から引き摺り下ろすと歩き出した。

 ズルズルと地面に尻の擦れて行く跡を残し、彼が引っ張られて行くのをしばらく見つめたレシアは

現実に戻って慌てて追い駆け出した。


「あわわ~。ダメです。削れます」

「はんっ! ちゃんと鍛えていればこれぐらいどうってこと無いよ」


 と、チラッと老女はレシアの下半身を見た。


「あんたは少し削った方が良さそうだけどね」

「うなぁ~っ! 言ってはいけないことをっ!」


 レシアは先行する老女に追いつき拳を振るう。だがひょいひょいと後ろも見ずに避ける老女と回避の度に尻を削られるミキの悲鳴とで、拳を振るうのを止めた。


 あわあわと声を発しながら付いて来る少女を無視して、老女は大木の真下にある泉へとやって来た。

 綺麗な水をたたえる泉を前にして……老女は彼を掴んでいる腕を動かす。


「あっ」


 余りのことで、レシアの口から一言しか出ない。


 まるで物を放り投げるように、事実彼を放り投げたのだが……綺麗な放物線を描いて大切な人が泉へ投げ込まれ沈んで行った。


「うなぁ~っ!」


 大絶叫の後レシアも迷わず泉へ飛び込む。

 泉の底に当たって跳ねっ返って来た彼は、プカプカと水面に浮かんでいた。


「ミキ~っ! 大丈夫ですか? 知ってます。こういう時はキスして空気を……空気を……えへへ。イタッ」


 少し子供には見せられない表情を浮かべるレシアに、老女が小石を投げつけた。


「巫女なら巫女らしくもう少し威厳のある表情をしな」

「そんなこと言ってもそれってどんな顔ですかっ!」

「まったく……これだから若いのは。良いかいよく見ておくんだよ」


 キリっと表情を引き締める老女にレシアはジッと見つめ続ける。

 しばらく後に老女の表情が緩むと、小首を傾げたレシアが問うた。


「それでまだですか?」

「か~っ! 天然で毒を吐いたよ小娘がっ!」

「はい?」

「もう良い。呼ぶまでそこの馬鹿者を泉に沈めてな」


 肩を怒らせて老女は立ち去って行く。


 訳も分からず泉に浸かるレシアは、ふと泉の水を手に取った。

 七色に見えるその水は……不思議と暖かく浸かっていると気持ちが良い。

 彼を抱き寄せ溺れないように抱えると、レシアは泉の底にある石を見つけて椅子とした。


「ん~。何だかとっても気分が良いです」

「……だな」

「うわっ! 大丈夫ですか?」


 思い出した様子でレシアは彼の顔を見る。

 随分と白い顔をしていたはずの彼の表情に赤みが見えた。


「あれ? 良くなってますか?」

「多少な」

「へ~」


 とは言え元々の怪我が酷いのか、彼はまた目を閉じて沈黙する。

 レシアは暇潰しがてら泉の中をジッと見つめた。


「何か居ますね。誰さんですか?」


 手を伸ばして泉の中に居るモノを呼ぶ。

 水の中に居るそれは、すい~っと泳いでレシアの方へと寄って来た。


「うわ~何ですか? ナマズじゃ無いです……とても薄いです」


 上から潰されて広げられたような魚の姿にレシアは興味を持った。

 と、突然彼女の胸元が大暴れし、近づいて来ていた平たい魚も暴れ出す。


「コケーっ!」


 何事かと見ていると、胸元から飛び出した丸い球体がひと鳴きして魚に向かい舞い降りる。

 それを回避することなく魚も迎え撃つ。


 水面に浮かんだ魚の背に降りた球体……その二つがバタバタと水を叩いて暴れ続ける。


「本当にやかましい小娘だねっ! 少しは静かに出来んのかいっ!」


 また肩を怒らせて老女が歩いて来た。

 だがその足は自然と歩幅が縮み……泉の手前で完全に止まった。


「何で……そこにレジックが居るのじゃ?」


 衝撃的な展開に流石の老女も呆気にとられた。


「にゃ~。喧嘩は駄目です」


 だがレシアは老女のことを気にしている暇はない。

 暴れる二つの存在を引き剥がすので手いっぱいだ。


「あれですよっ! 言うことを聞いてくれない子はミキ直伝のお説教をですねっ」


 バシャッと飛んで来た泉の水を頭から被ったレシアは、自分の中で何かがブツッと切れる音を間違いなく聞いた。


「この~っ! 本当に怒りましたよ~っ!」


 暴れる二つの存在に突進する巫女。


 泉の傍でそれを呆然と眺めていた老女は、癒しを司る平たい形をした魚のような聖獣が、四聖獣の一つに数えられる神の化身とも言える七色の球体状の鳥が……巫女の蹴りで空を飛ぶ様子を見つめた。


「何なのじゃあの巫女は……本当に巫女なのか?」


 疑いたくもなるが、その纏う空気は巫女にしか持てない純白なのだ。


 蹴られた聖獣は己たちの喧嘩を忘れ、次なる獲物であるレシアへと飛びかかる。

 聖獣と巫女の大立ち回りを、他の人狼たちはこの世の終わりを目撃するかのように顔を白くして見ていた。


 と、


「レシア。少し踏み込みが甘いぞ?」

「こうですか?」


 確りと泉の底を踏み込んで蹴り出した足が、七色の球体に当たり吹き飛ばす。

 何度か足の動きを確認したレシアは、満面の笑みを彼へと向けた。


「何か分かった気がします。これで完全勝利ですっ!」

「おう。頑張れ」


 泉に体を沈めて様子を見て来る彼。

 レシアは嬉しそうにビシッと魚を指さした。


「そっちの平たいのも蹴り出してあげますっ!」

「「って止めろ~っ!」」


 現実を逃避していた人狼たちが、我に返ってそう叫んでいた。




(C) 甲斐八雲

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る