其の弐拾陸

 逃げ出す準備は整った。

 明日の夜明け前に行動を開始すると、この場の主であるミツはそう宣言した。


 彼の言葉に逆らう者は居ない。

 普段姿を見せない彼の女たちですら全員従っている。


 ふと気になったミキは、荷車に荷を縛り付けているゴンに問うた。

『あの女たちはどうしたのか?』と。呆れた様子で彼は答えた。


『全員拾ったんですわ。口減らしだったり、賊に連れ去られ者だったり……そうして行き場を失った女を大将は助けては拾い集めてるんです。金を貰い街に行った者も居ますが、女手一つで生きるには怖いですんで、あの人の元に残る者も居るってことでするわ』


 そう言われれば納得する。


 姿を見た女たちは、無理やり従わされている気配はない。

 各々が助け合って荷を纏めている様子からして、ミツと言う存在の元で生きる場所を得たのだろう……と、何となくだが理解出来た。


『俺っちも助けてるんですがね。ぜ~んぶ大将が攫ってくんですわ~』と愚痴を言う相手に適当な返事を投げ返し、ミキは自分たちの荷物へと向かう。

 と、彼の足がそれを見て止まった。


「……最近姿を見ないと思ったが」


 荷物の傍に丸々と太った球体が鎮座していた。

 どっちが荷物か分からないほど丸々としている。

 その球体を呆れた様子でマガミが叩き、レシアがお腹らしき部分を揺すっていた。


「マガミ」

「なに?」

「薪と火を持って来てくれ」


 ミキの言葉にビクッと球体が震える。

 何かを察した人狼は意地悪そうに薄く笑った。


「ええ良いわ。それと味付けは?」

「塩で良いだろう。鳥の丸焼きならな」

「コッコケ~ッ!」


 ひと鳴きして球体が縮んでいく。

 見る見る縮んでいつもの大きさになると、レシアの頭の上に飛び乗った。

 鳥の様子を見ていたレシアが腰に手を当てて彼を見る。


「もうミキ」

「どうした?」


 どこか少し怒った様子だ。


「ちょっと食べ過ぎて膨らんでいただけじゃないですか。それを丸焼きだなんて」

「大きい分だけ食べ応えがあるぞ?」

「……」


 彼の言葉に一瞬ときめいたレシア。

 コケ~と弱々しく鳴いて球体が彼女の頭上を転がる。


「荷物を持つから許して下さいって」

「最初から素直にそう言えば良い」


 荷物を全て飲み込み吐き出せる。

 彼が時折"ナナイロ"と呼んでいる球体が突然使って見せた能力だ。


 何故かマガミは額を押さえて呆れているが、ミキはとりあえず無視することにした。


「出発は明日の夜明け前……マガミ。そのまま中央草原を避けて南へ向かえるか?」

「ええ出来るわ」


 その為に彼女はここに来たはずだ。


「ただし分かっているわよね?」

「さあな。知らんよ」

「ならそれで良いわ」


 特に言葉を用いずマガミはクルッと背を向けると姿を消した。

 残されたミキとレシアは、荷物の傍に腰を下ろすと時が過ぎるのをゆっくりと待った。




 夕暮れ時……ずっと姿を見せなかったミツが現れた。

 眠そうに頭を掻いて軽く首を鳴らす。

 全身が脱力しきった理想的な体勢で、彼は歩を進めて中庭の中心に立つ。


 正座して待っていたミキは、腰に刀を差して立ち上がった。

 歩を進めて向かうのは化け物たる人物の前だ。


「真剣勝負。で、良いな?」

「はい」


 自分の前に立つ青年にミツは笑うと、グルッと視線を巡らせた。

 この場に居る全員がこちらを見ている。


 体の芯に熱を帯び……ミツはブルッと身を震わせた。


「悪く無いな。ああ悪く無い」


 歌うように声を発して無骨だが作りの確りした直刀の剣を抜く。

 ミキは右手で脇差を抜いた。


「脇差か?」

「ええ」

「それだったら小刀を持つべきだったな」

「確かに」


 片手で正眼に構え、ミキは呼吸を整えた。


「ゴン。合図を任せる」

「はいな」


 転がっている小樽を掴んだゴンは、それを宙へと放った。

 放物線を描いて相対する二人の真ん中に落ちた樽は、コーンと音を立てる。


 動いたのはミキだった。踏み込みながら片手突きを放つ。

 だがミツはそれを見てから反応する。体を動かし僅かな動作で放たれて来た突きを回避する。

 その流れるようなミツの動きからは、普段の粗暴な感じは全く見られない。


(綺麗なものだ)


 攻撃を交わされた身でありながらミキは素直にそう思う。

 と、相手の胴を薙ぐ一撃が放たれた。


 咄嗟に左手で十手を掴みミキはそれを腹の前に構える。

 ギギギと鉄が擦れる音を発し、重い一撃に壊れたままの左肩が悲鳴を上げた。


「受けたか!」


 吠えたミツが一歩踏み込んで来る。


 恐ろしいほどの剛腕から振られる剣が胴へと向かい迫る。

 筋力では圧倒的に負けている。だからミキは迷うことなく後ろへ飛ぶ。


 半ば相手の剛剣に吹き飛ばされた形となったが、ミキは再度構えた。

 右手に刀を、左手に十手を。


「小僧。それがお前の答えか?」

「らしい」


 咄嗟に導いた答えではあるが、自然としっくりと来る。

 それは攻めと護りの形だった。


 息を吐いてミキは改めて構えた。


「武蔵では無く俺でも無い。自分で自分の剣術みちを作るか?」

「そんな大層なものじゃないさ。ただ死にたくないから必死に足掻くだけだ」

「今のお前なら多少は長生き出来るだろう」


 フッと笑ってミツは正眼に構えた。


「名乗れよ小僧」


 左足を半歩前に出しミキは左手で持つ十手を前に出す。


宮本三木之助みやもとみきのすけ玄刻はるとき


 それを受けミツもまた恐ろしいほどの気配を発する。

 野生の獣よりも始末に負えない本物の化け物が。


柳生十兵衛やぎゅうじゅうべい三厳みつよし

「「いざ!」」




(C) 甲斐八雲

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