其の弐拾参

「ふにゃ?」


 目覚めたレシアは、自分の隣に手を伸ばし空振りする。

 寝る前に居た存在が居なくなっているのだ。


 体を起し……ずれ落ちた寝間着を無意識に直しながら周りを見る。

 ベッドに居るはずの相手がいない。隣に居ない。つまりそれは……


「うなぁ~っ!」


 彼が一人で相手の所に向かったことが容易に想像出来た。


 慌ててベッドから這い出して……数歩駆けて足を止める。


 自分の寝間着は形こそ前のままだが、気候に合わせて段々と薄くなっていた。

 今着ている物は肌が透けてしまいそうなほど薄い生地で作られている。とにかく薄いのだ。


「なぁ~っ! もぉ~っ!」


 吠えて急いで着替えを求める。

 自分の荷物を引っ繰り返して生地を取り出すと、周りに目を走らせて服を作る。


 前なら迷うことなく今の姿で部屋を出れたかもしれない。多少恥ずかしいが。


 だが今は出来ない。彼女の中に確固たる思いが出来上がったからだ。

『彼以外に裸を晒したくない』と。


 急いで出来た服に着替えて、レシアは部屋を飛び出した。

 向かう先は何となく分かる。まるで空気が『こっちだよ』と教えてくれるからだ。


 自身の最高速度で廊下を駆け、中庭に飛び出せば……彼は肩を押さえて地面に座っていた。

 良く見る『正座』と言う座り方だ。あれは足がしびしびになるから嫌いなのだが、何かやると彼に強要される。故にその辛さは理解している。


「ミキ~っ!」


 駆け寄り地面に足を滑らせ、レシアは緊急停止した。

 そして自然と彼の横に座った。


「土下座ですね。分かっています。もう何度もミキに対してやって来た私の実力のほどをっ! むぎゅ!」


 彼女の土下座が完成する前に、背後から現れた人狼がその頭を踏んで黙らせた。


「うちの巫女様に何を教えているのかしら?」

「その巫女様の頭を踏んで黙らせる方が問題だと思うが?」

「……見えなかったのよ」

「それは仕方ないな」


 退かされた足の下からレシアがガバッと顔を上げた。


「何か今物凄くあれな感じなの扱いを受けた気がします!」

「そうか? いつも通りだろう?」

「違います。ミキはもっとこう……」


 過去にされたことを思い返し、レシアは答えを導いた。


「もっとこう痛いです! むぎゅ!」

「だから踏むなって」

「ごめんなさい。ついね」


 呆れ果てた人狼が足を退かすと、癇癪を起したレシアが立ち上がる。


「だからどうして人の頭を踏むんですか! 私の頭を踏んで良いのはミキだけです!」

「……殴ってはいるが踏んでは居ないはずだぞ?」


 恐ろしい目で睨んで来たマガミに、彼は言い訳をしておく。


「だからミキだから良いんであって踏んで欲しいとか言ってません!」

「そうよね。もし本気でそう言ってたら、ね?」

「……はいそうです。頭を踏まれて喜ぶなんてこと……」


 自然と視線を背けたレシアは顔を紅くして恥ずかしがる。

 彼がもし本当に踏んで来たら、別にそれはそれで良いかな~とか一瞬考えた反応だ。


 巫女の精神を犯している犯人を見つけたマガミは、支度を終えて戻って来た彼に声を掛けた。


「ちょっとここの罰当たりを斬ってくれるかしら?」

「構わんが良いのか」

「……今日の所は我慢するわ」


 本当にやりかねない相手だから、マガミは我慢することとした。


 現状何が起きたのか良く分かっていないミツだが、少女が一人増えているから何かあったのだろうと察した。

 面倒臭いことになりそうなので尋ねたりはしないが。


「面倒は嫌いだからさっさと済ませるか」

「はい」


 立ち上がったミキは、動く右手で袋竹刀を手にする。


 対するミツは着替えて来て、まるで作務衣のような格好をしていた。


「打って来い」

「では」


 片手で上段に構えミキは竹刀を振り下ろす。

 自身が出せる最速の一撃を……相手は造作も無く両手で挟んで受け止めた。


「これがうちの流派の奥義だ。『無刀取り』と言う。知っているか?」

「……確か上泉信綱かみいずみ のぶつな殿の新陰流かと」


 聞きかじった知識ではあるが、ミキが思い出せたのはそれだ。


「ああその通りだ。うちの祖父が弟子入りし学んだ。以来一族で鍛え続けて奥義とした」


 挟み止めていた竹刀を開放し、彼はまた打ち込んで来いと合図を寄こす。

 片腕とは言えミキの打ち込みの全てを彼は取って押さえる。


「武蔵が攻めなら俺の一族は護りと言ったところか」


 だからこそ『将軍家指南役にまでなったのだ』とその言葉を飲み込みミツは笑う。


「お前の剣は攻めるよりも護りに向いている。たぶんその臆病な性格ゆえだろうな」

「そうですか」


 素直に認めミキは改めて相手を見た。


 化け物の様に強い相手が実は護る方が上手いとは皮肉なことだ。

 否、争いが無くなった世となってしまったと言うべきかもしれない。


「お前が学びたいと言うなら教えてはやる。だが二天流は諦めろ。俺も知らん」

「なら貴方の新陰流で」


 迷うことなど無い。学べる物は全て学ぼう……とミキは腹をくくった。

 大切な者を護る為ならどんなことでもする。


 ニヤッと笑ったミツは、右の拳でミキの胸を打った。


「なら教えてやる。条件は一つ……死なずに生き残れ。それだけだ」

「分かりました」


 トンと拳でもう一度胸を突かれて、ガクッと体勢が崩れる。


「今日は休め。明日から……今日死んでおけば良かったと思うほどの地獄を見せてやるからな」


 レシアとマガミは彼に対して殺気の混ざった視線を向けたのは言うまでもない。




(C) 甲斐八雲

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る