其の弐拾弐

 身を丸くさせて眠る存在の顎の下を軽く指でくすぐる。

 ふにゃっと緩んだ表情を見せ、むにゃむにゃと口を動かす。


「……もう食べれません……」


 えへへと笑い声を発し、幸せな夢でも見ているのであろう彼女から視線を外す。


 ベッドから出て準備しておいた服を手にして着替えを済ませ、袋竹刀を差して腰の後ろには×を作る様に十手を差す。

 二本の刀は荷物の横に立てかけておく。今のところ出番があるとも思えない。


 軽く肩を回して彼はドアに向かい足を進める。

 気配一つ発せず、彼女は開いたドアの横に立っていた。


「……」


 言葉は発せず、顎で指し示す。

 ミキはただ黙って一礼してから彼女の案内に従う。


 互いに黙って廊下を歩き外に出る。

 向かう先は……いつもと変わらない中庭だった。


 だがその場に居る人物はいつもとは違う。

 ヘラヘラとした杖術家では無く、鉄の様な硬さを誇る頑強な剣術家だ。

 石に腰かけこちらを見つめているだけなのに、その眼圧だけで足が地面に張り付いてしまいそうになる。


「こいつ等がしくじったせいでこの場所が知られたそうだ」


 顎で背後をしゃくる彼の動きにミキは視線を向ける。


 砂利の上で正座させられている男二人が、真っ青な顔をして口から泡を吹いていた。

 石を抱きしめられての正座は辛そうに見える。砂利の上ならなおさらだろう。


「まだ余裕がありそうなのでもう一回り大きな石を探して来ます」

「行くな。ゴンが探しに行っている」

「だから居なかったんですね」


 いつもヘラヘラとしている彼が居ないことを疑問に思っていたが、その理由があるなら仕方ない。

 出来れば抱き応えのある良い重さの石を見つけてきてくれればと願う。


 ニヤッと笑い手にしていた小樽を放った化け物がその目を向けて来る。


「小僧。覚悟は出来たか?」

「ええ」

「言葉だけじゃすぐ死ぬぞ?」

「死にたくないんで袋竹刀でお願いします」

「こんな玩具でも人は殺せる」


 獲物を掴んで立ち上がった彼に、ミキは数歩下がって腰の十手を抜いた。


「……人にこんな玩具を使うように言って、自分は十手とはな」

「この程度の手加減ぐらい良いでしょう?」

「手加減か」


 ニヤリと笑った彼は、足元に転がっていた小樽を掴んで宙に放る。

 右手が逆袈裟……左下から右上へと斜めに向けて振られた。


 コンッコンッと二つに分かれた小樽が地面を転がった。


「化け物ですか? 化け物でしたね」


 ミキは苦笑して改めて十手を構える。


 相手の強さは強靭な背筋から繰り出される最速の振りだ。

 自身が扱う『抜き』と呼んでいる速さの抜刀とは違い、彼はどんな状態からでも最速で振り抜ける。


 生まれ持っての才能……強靭な骨格とずば抜けた筋力から剣術。

 義父である宮本武蔵と同じだ。生まれた時から戦い勝つことを運命づけられた存在なのだ。


「最初は五度ほど振る。それで死んだら終いだ。良いな?」

「はい」

「なら……一つ」


 相手の体が揺れたと思った瞬間、横から圧倒的な気配を感じた。

 十手で受けられたのはただの偶然。その動きを目で追えなかったのだ。


「二つ」

「ぐっ!」


 続けざまに振られた竹刀は、受けた十手を力任せに押し潰す様な形で振るわれる。

 咄嗟に片方の手を伸ばし両手で受ける。


「三つ」


 両手で受けたが為に生じたがら空きの胴体へ竹刀を振るわれる。

 死に物狂いで後退したが……服が裂け、腹には横に痛みが走った。


「四つ」


 また逆袈裟だ。


 一度見ている剣筋だが、それでも直に向けられるとまるで別物。

 十手でどうにか受け流すことで相手の一撃を交わす。


 だがミキの体勢は完全に流され、そして相手は袋竹刀を頭上へと掲げた。


「最後だ」


 迷いの無い上段斬り。ゴウッと空が切れる音がした。


 その時のミキの反応は、ほぼ無意識なものだった。

 ただ『死にたくない』と願った彼は、自分の体を前へと動かした。


「ぐぅ……」


 左肩に受けた激痛に息が詰まる。

 それでもミキは五回の振りを受けて生き延びた。


「……ここで踏み込むか。大阿呆者だな」


 袋竹刀を放り、肩を押さえて蹲る若者に手を伸ばす。

 竹刀を受けた左肩は痣を作り腫れていた。


「動かせるか?」

「……はい」


 痛みは走るがミキは肩を回す。

 その様子からミツは骨に異常が無いことを確認し、こちらの様子を凶悪な視線で見ている人狼に顔を向ける。


「部屋に居る女たちから薬を貰って来い。俺の壺を寄こせと言えば分かるはずだ」

「ええ」


 返事をしながら姿を消した人狼に肩を竦め、彼は脂汗を浮かべる若者を見た。


「動きが悪い。攻め好きの武蔵の弟子らしいがな」

「ですか」

「ああ。だがお前の動きは武蔵の"二天流"には向いていない。むしろ俺の方に向いているな」

「二天流?」


 知らない名にミキは自然と聞き返していた。


 ニヤッと笑った彼は、ミキの腰から竹刀を抜くと放り投げた方も拾う。

 片方の手に一刀を持ち、彼は足の前で交差する様に構えた。


「俺も軽くしか見ていないが、武蔵は晩年二刀の剣を振るっていた。名を二天流だ」

「……」


 軽く振って見せるその動きから……ミキはふとそれに気づき笑っていた。


「二刀を振るう理由が分かったか?」

「はい」


 実に義父らしいと思えた。


「俺には分からんがな。良ければ教えろ」

「はい。……義父殿はきっと負けたくなかったんです。老いで衰えることからも」


 だからの二刀だろう。


「刀を二本で人の倍も打ち込む。つまり倍の速さで相手を倒さば、老いた体が疲れる前に相手を倒せる」


 その返事にミツも笑う。


「本当に負けず嫌いの男だったらしいな」

「はい。それが我が義父……宮本武蔵です」




(C) 甲斐八雲

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