其の弐拾
建物の中から中庭を見下ろし、彼は手酌でワインを煽る。
一日振りの雑魚共の戯れは、多少なりとも酒のつまみにはなる。
普段実力を出したがらない杖術の達人が、らしくないほど本気になっているのは笑える。
二歩ほど離れて打ち合えば、圧倒的な実力差で終われると言うのに……本当に馬鹿者だ。
恩だ義理だのを抱え込むから苦労することになる。
自由に生きて自由に死ぬ。
何者にも縛られないで生きる……どうしてそう生きられないのか?
「女に惚れて必死に生きる……か」
十手を振り回し必死に生きようとする若者。その姿は何者にも縛られていない。
否。太い綱の様な物で縛られていると言えなくないが、それは自らが体に巻いて相手と結んだ物だ。
愛だの恋だのと言う甘い言葉で片付けられないほどの想い。
「想い人の為に命を捨てられるか」
クククと笑い肩越しに室内を見る。
明かりの無い薄暗い室内は……ベッドの上には、女共がその白い肌を晒して眠っている。
誰もが自分の強さに惚れて言い寄って来た女たちだ。悪くは無い。
だがそんな女たちの為に『命を賭けられるか?』と問われると、否だ。
それ程までの想い入れは無い。命を賭して守りたいとは思わない。
「どうやら俺もまだまだらしいな」
元居た場所でも命を賭して成し遂げたい物など無かった。
そして今もまだ見つけられずにいる。
「アイツは見つけたらしいな……自分の全てを賭けられるモノを」
何と羨ましい話だろう。
故にミツは笑う。良い気分で……とても良い気分でだ。
「いい加減にしいや……兄さんっ!」
三段突きを繰り出すが、相手は必死に逃れる。
鍛えられた足腰と何よりその目の良さが始末に負えない。
どんなに攻撃をしても紙一重で回避し続ける。
「ほんまにしぶといわ~」
呆れ果ててゴンはその場に座ると大の字に寝っ転がる。
東の空にあったはずの太陽が、だいぶ西に傾いていた。
「今日の所はこの辺で勘弁したるわ」
「そりゃ助かった」
ミキも同様に倒れ込んで空を見た。
手足が棒のようになって全く動かない。自分の実力の限界を超えて動かした様な気すらする。
「あ~しんど」
体を起したゴンは、とりあえず腹いせでミキの顔に小石を投げておいた。
汗で額に張り付いた小石を払い、深く息を吐く。
「なあ?」
「何です?」
「……どうして俺の稽古に」
一度言葉を止めて、乾いた唇を舐める。
「どうして俺に稽古をつけてくれたんだ?」
「あはは。俺っちは武蔵に対する腹いせを
片膝を立ててゴンは肘を置く。
「俺っちのお母んの我が儘を聞いて手合わせし、負けてくれた武蔵への腹いせです」
心底悔しい思いをした瞬間だった。
自分の心が打ち砕かれるほどの……悲しくて辛い出来事だった。
「俺っちがどんなに天地がひっくり返っても勝てないと思っていた人に勝つ。それも実力じゃのうて相手の優しさでや。ほんまこんな苦しくて辛いことはは無かった」
「……だからレシアに俺のことを告げたのか?」
「はい。兄さんはずっと黙っていてそうなんで」
腹が立ったからミキは手近な石を掴んで投げた。
「何や? 感謝する場所ちゃうん?」
「誰がするか」
「そんなこと言って、本当は礼の一つでも言う気やったんやろ?」
「知らん」
図星だったのか、ミキからまた石が飛んで来る。
煩そうに手で払い、カカカと笑ってゴンはまた空を見た。
澄み渡る空は、どんな場所でも同じらしい。
「武蔵に勝った後……俺っちは中身の無い抜け殻になった。弟子たちに杖術を教えていたが戦う気なんてちっとも無かった。で、お母んが病気になって、看病していた俺っちにも移ってポックリや」
死ぬ時なんて本当に呆気無かった。呆気ないほど自分の死が迫って来たのだ。
「未練だけを抱えて死んだら……こんな場所。兄さんも同じでしょ?」
「そうだな」
「俺っちも兄さんも大将も……み~んな未練を抱えてポックリ逝った。つまりこの場所は未練がましい野郎共の棺桶なんと違いますかね?」
面白い話だった。確かにミキが出会った者はすべて男性だ。
「……女は居ないのか?」
「俺っちは知りません」
「居るわよ」
第三者の声に男二人が顔を動かす。
豊満な体を薄い布で包む女性……野性味溢れるマガミだ。
何故かその顔がとてもツヤツヤで満足気に見えるのは気のせいだろうか?
ミキは軽く頭を振って確認したが、どうやら見間違いでは無いらしい。
何をしていたのか聞くと疲れそうだから相手の言葉に耳を傾けた。
「シャーマンたちの初代は女性。それも貴方たちと同じ場所から来たそうよ」
「秘密じゃ無いのか?」
「……ただの独り言よ」
片目を瞑って寄こす彼女はミキの隣に座る。彼の体を捕まえて膝枕をし始める。
「何や? 普通勝った俺っちに優しくするもんと違います?」
「あら? ごめんなさい……実力はどうか知らないけど、顔は断然こっちの勝ちだから」
「これだから女は嫌いやわ~」
ジタバタと暴れるゴンを無視してミキはマガミを見る。
豊かな膨らみが邪魔で顔は見えないが気にしない。
「初代の名は?」
「ん~。本当かどうかは知らないけど、『オクニ』と名乗っていたらしいわ」
「オクニ?」
ミキは首を傾げて考える。聞いたことのある名前の様な気がするのだが、
「もしかして『
「ああそれだ」
言われて見ればまさにその通りだ。
彼女は巫女にして舞の天才だったと言う。そして彼女の舞は独特であったとも聞く。
「良く知ってたな?」
「……うちの大将は傾奇者に憧れてますんで、そんな話を聞いたんですわ」
『だからこれ以上聞かんといて』と言ってゴンは会話を打ち切った。
(C) 甲斐八雲
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