其の拾捌

 逝き果てた女たちをベッドに転がし、ミツは袋竹刀を手に歩いていた。

 途中から気配を発しては、お楽しみの邪魔をしてくれた犬っころを探していたのだ。


 不意に彼の体が傾き……右手で持つ竹刀が跳ね上がる。

 完全な不意打ちだったはずなのに一撃を脇腹に受けた少女が通路を転がった。


 若長と呼ばれる個体と共に居た幼い獣だ。


「躾も出来ていないのか? けもの?」

「前に貴方にやられたことが悔しくて仕方ないのよ。その子は私にしか負けたことが無かったから」

「なら良い経験だ。上には上が居ると確りその身に叩き込んでやろう」


 脂汗を流し蹲る少女の元に恐ろしい気配を発する彼が歩み寄る。

 詰まらされた呼吸と、圧倒的な圧力に屈し……身動きできない少女の前にマガミが影の名から姿を現した。


「庇うか?」

「一応ね。これでも私は『未来の長』と呼ばれている存在だしね」

「ならばお前もねじ伏せるぞ?」

「嫌ね。暴力だけで解決しようとする男は」


 鋭い踏み込みと片手突き。

 マガミは全身の体毛で空気の揺れを感じ取り咄嗟に身を交わす。

 何度も出来る技では無いが、必殺の一撃を交わせば普段の彼なら追撃は、


「甘いな」


 足に何かが触れるのを感じ、マガミは運を天に任せる。

 人狼がもたらす身体能力が良い方向に発揮され、床に片手を突いてトンボを切ると無事に着地した。

 軸足に蹴りを放った化け物は、面白くなさそうにまた竹刀を構える。


「無駄に動くな?」

「ただの偶然よ」

「なら次は偶然など起きぬように」


 一瞬で相手との間合いから逃れたマガミは、軽く息を吐いて立ち上がる。

 どんなに背伸びをしても目の前に居る化け物を食い殺す方法が無いのだ。


「ここ数日……砦の周りに人の気配があるわ」


 ピクッと反応したミツは、肩を竦めて息を吐いた。


「誰がしくじった?」

「私たちじゃ無いわよ。街に行かないのだから」

「そう言うことか」


 該当する二人の顔を思い出し、後でぶん殴ると決めた。


 仕方なく構えを解いたミツは、目の前の獣を睨む。


「なら小僧共の飯はどうしている?」

「……私たちは生まれながらに獲物を狩る存在よ。それに今の巫女はお肉好きだし」

「肉ばかり食うな。魚を食え」

「そんな我が儘を言うから、街の兵士に気づかれたんでしょ?」


 苛立った様子で彼が放り投げて来た袋竹刀を受け取り、マガミはそれを投げ返す。


「まあボチボチ潮時だったのかもな」

「逃げるの?」

「否」


 好戦的な笑みを浮かべ、彼は舌で唇を舐める。


「殺してから悠々と逃れるさ」

「怖い怖い」


 わざとらしく肩を竦め、マガミはその体を影へと向ける。


「けもの」

「何よ?」

「小僧に言っておけ。『俺たちがここを移動する日までに顔を出さなければ殺す』と」


 クスッと人狼は笑う。


「顔を見せたら殺す。顔を見せなかったら殺す。つまり貴方は彼を殺したいの?」

「ああ」


 悠然と佇み彼も笑う。


「取るに足らない人物なら、ここで死んだ方が良いだろう」

「どうして?」

「……西に行けば嫌でも宿命を知ることになる」


 クルッとマガミに背を向けミツは歩き出した。


「用があるなら戸を叩け。覗かれると気が散る」

「あらあら」


 クスクスと笑いマガミは影の中に消えた。


 別に用など無かった。ただマガミとしては……今後の為に見ておきたかっただけだ。




「何や兄さん。今日は来ないんでっしゃろか?」


 いつも通り中庭で待つゴンは……一人待ちぼうけを喰らっていた。


 どんなに殴られても顔を出していた相手が、今日は朝から姿を見せない。

 特に時間を決めていなかった自分のミスに気づき、彼は夕暮れまでその場に居ることとなった。



 結局その日……ミキは来なかった。




『一昨日から巫女と青年の姿を見ていない』


 マガミはそれに気づいて砦の中を歩いていた。

 目的の場所は決まっている。彼らが勝手に使っている一室だ。


 ただ……あの飢えた巫女が姿を見せないのが気にはなる。

 彼らとて非常食の干し肉ぐらい持っているとしても、干し肉よりも焼いた肉を好むはずだ。


 軽い足取りで向かう彼女は、ヒクッと鼻を動かし止まった。


 自分の鼻を奥に纏わり付くような濃厚な匂い。

 体の芯に火が灯り、プルルとその豊満な自身の体を抱きしめ震える。

 濃密過ぎる匂いに頭の奥が溶かされてしまいそうだ。


 はしたなくも少し鼻を上げ、マガミはその良い香りの発生源に誘われる。

 嗅げば嗅ぐほど体が火照る。止められない興奮に胸の中が踊る。


 ゆっくりじっくりと嗅げば、その匂いの半分は巫女たる少女のものだと分かる。

 新緑の草原の中でひと際輝く様に咲き誇る花。

 だが決して強い匂いでは無く、さわやかで心地の良い匂い。


 ヒクヒクと鼻を動かすと、もう片方の匂いも分かった。


 岩場に生える決して屈しない雑草だ。

 こちらはどんなに踏まれても雨に打たれても、枯れることなく生き続ける。

 決して挫けない強い生命力を発する匂い。


 その二つが濃密に混ざり合う匂いに……マガミは、魅入られたようにドアの前で足を止めた。

 ノブに手を掛け開けようとするが動かない。引いても押してもドアが動かない。

 ヒキッと……太い青筋を額に浮かべた彼女は、己の足を振り上げた。


 轟音一発。


 粉砕されたドアが部屋の中に打ち込まれた。




(C) 甲斐八雲

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