其の拾陸

「何や兄さん? 今日はやる気ないんですか?」

「やる気が無い訳じゃないんだがな……このままやれば不用意に殴られるだけだ」

「なら心配要りませんて。どうせ殴られるのは決まってるんですから」


 言われて一切反論が出来ない。

 ミキは袋竹刀を手にすると、木の棒をだらしなく持つ相手と向き合った。


「確かに今日は駄目そうですな。剣先がブレてます」

「分かるのか?」

「はい。まあ打たれ過ぎで腕の力が無くなっているだけかもしれませんがね」


 クククと笑う相手に一歩踏み込み……ミキはいつも通りにタコ殴りにされマガミに運ばれて行った。




「何ですかお嬢さん?」

「……もうミキを殴るのは止めて下さい」

「なら俺っちやのうて兄さんに言ってな。こっちも毎日弱いの殴って疲れるんですわ」


 軽く棒を振り回す彼の動きに澱みが無い。


 レシアは一瞬その動きに視線を奪われかけたが我慢した。

 後でじっくりと見れば良いのだから今は我慢だ。


「ミキは弱くないです」

「せやな。確かに弱くないですよ」

「……はい?」


 クルクルと棒を振り回して、ゴンは軽くその先端を正面の娘に放つ。

 顔面……鼻の先端を狙ったそれが、何も触れることなく空を打つ。


「お嬢さんと同じで咄嗟の動きは良い物があります」

「……」


 空気の流れを見てしゃがんで避けたレシアは、顔を上げて相手に非難がましい視線を向ける。

 ヘラヘラと笑う彼は棒を引いて、それに寄りかかる様に立った。


「兄さんは弱くないんですよ」

「ならどうして毎日殴られているんですか?」

「そりゃ……兄さんが"弱い"からですな」


 と、またヘラヘラと彼は笑う。

 レシアはただ相手が纏う空気を見て言葉を続ける。


「ならどうしたらミキは強くなるんですか?」

「そりゃ~弱いことを止めたらでしょうな」


 相手の纏っている空気に変化は無い。嘘は吐いていない。


「ならどうしたら弱いことを止められるんですか?」

「ふっ」


 恐ろしい気配にレシアの全身の毛が立った。

 恐怖に身が竦んで身動き一つ出来ない。


 と、相手がまた棒を構えて顔面を突いて来る。

 避けたいのに震える体が動かない。


 先端が……鼻の先を軽く突いた。


「避けられませんでしょ? さっきはあんなに簡単に出来たのに」

「……」

「これが強さの断片です。俺っちたちの居た世界では"剣気"とか"気"とか言ってました」


 ヘラヘラと元の状態に戻た彼が言う。


「まあこんな異なる世界でこんなことを言っても通じませんがね」


 嘘は吐いていない。そして冗談も口にしていない。

 レシアは違った意味で体を震わせて、その口をゆっくりと開いた。


「異なる世界って何ですか?」

「何やお嬢さん知らんのか? あの兄さんな……一度死んでるんですわ」


 理解出来ない言葉にレシアは震える。

 何を言ってるのか……だが相手が嘘や冗談を言っていないのは、レシア自身が一番理解していた。


「まあ俺っちもミツさんも死んでますけどね。で、元居た場所からこっちに連れて来られたんですわ」

「ならミキは?」

「何て言いましょうかね……一度死んで生き返った人ですわ。ただしここでは無くて別の場所で死にましたがね」


 あわわと口を震わせ、レシアはその場から駆け出した。




「余計なことを言わないんで欲しいんだど?」

「ですか? でもあの兄さんはずっと言いませんよ?」

「……それでもね」


 影の中から姿を現したマガミは、自分の腹に吸い付く様に触れる棒の先端を見た。

 ただの木の棒のはずなのに……それを打ちこまれれば肉を裂き背中まで飛び出しそうな気配を感じる。


「本気の俺っちとやりますか?」

「……止めておくわ。勝てないとは思わないけど、これでも巫女を守る仕事があるから」


 マガミはそう言うと、ゴンの延髄を狙っていた拳を引いた。

 そして影の中にと姿を消した。


「ほんに……」


 呟きだらしなく棒に寄りかかる。


「何か俺っちが一人嫌われ役やな」


 愚痴でも言わなければやっていられなかった。




 深く息を吐いて体調を確認していた彼は、外から聞こえる足音を疑問に思った。


 レシアが放つ音で間違い無いはずだが、それにしては余りにも無様すぎる。

 子供がドタバタと地を走り回るようなその音は耳障りにすら聞こえたのだ。


「ミキ!」

「どうした?」


 ドアを破壊せんとばかりに押し開き、彼女は改めて閉じると手近な木片でクサビとした。

 何度かドアを引いて開かないことを確認すると、クルッと体ごと向き直る。

 らしくないほど荒れた様子の彼女……怒っているような、泣いているような、そんな顔をしていた。


「どうしてですか?」

「何がだ?」

「どうして何も言ってくれなかったんですか!」


 絶叫に近い声を発して、彼女はポロポロと涙を溢す。

 その様子にミキは困惑するばかりだ。


「どうしてですか!」


 だがレシアは止まらない。

 走り飛びつくと、痣だらけの彼の胸を握った手で打つ。

 その一度一度の衝撃を受けながら……泣いている者を叱れないミキは優しく抱き締めた。


「どうして言ってくれなかったんですか?」

「何をだ?」


 ズッと鼻を啜り、レシアが額で彼の胸を押す。


「ミキが一度死んでるって……そう聞きました」


 思い詰めた様子の言葉に、彼はようやく合点がいった。

 秘密が……秘密を、知られてしまったのだと。




(C) 甲斐八雲

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