其の拾伍

 全身が焼けるような痛みに耐えてミキは歩いていた。


『痛い』と言い聞かせているのに抱き付いて寝ようとする彼女を引き剥がすのにも一苦労したが、その甲斐あって月夜の晩を一人で彷徨うことが出来た。

 一人と言うのは語弊があるが……だが彼は気にせずに居た。


 最近ゴンにタコ殴りに合っている中庭の石に腰かけ天を見上げる。

 深く息を吐き吸い込むと、肺の中に冷たい空気が流れ込んで来た。


 荒ぶりそうな気持ちに冷や水を掛けた様な気になり、自身が苛立っていることに気づく。

 分かっている。自分は武蔵の養子だ。

 それだけに彼に関わう者と出会うのは宿命なのかもしれない。


 ならばレシアは? 巌流小次郎に育てられたシャーマンの子に自分と何の接点がある?


 一瞬頭の中に浮かんだのは、生き死にを約束した相手だった。

 だが彼女とレシアは違う。

 人の根と言うか根柢部分は似ているが、容姿から何から全く違うのだ。

 そもそも彼女は礼儀作法など確りしていたが、踊りなどはからっきしだった。それをからかった義父がタコ殴りに合っていたほどだ。


 思考が脱線しミキは軽く頭を振った。


 違う。認めたくなかったのだ。

 彼女が……レシアが自分たちの"関係者"の一人だと。


 質問に対してマガミは何も答えなかった。

 言葉を発せず、ただ顔の向きを変えさせられ……口の動きだけで伝えて来た。

『ひ・み・つ』と。


 答えだ。それが答えなのだ。


 ならば誰?


 義父はこの場所に"呼べなかった"と聞いた。


 ならば誰が?


「体は打たれ過ぎて熱いくらいなのにな」


 代わりに冷え切った思考は嫌になるほど現実を見せて来る。

 本当に嫌になるほどにだ。


 深く深くため息を吐いて空を見上げる。

 藍色に見える天空には月が一つ浮かんでいた。

 その光が強すぎるのか、星の姿も映さないほどに。


 と、不意に沸いた気配に、ほとんど咄嗟に地面を蹴ってミキはその場から離れた。

 ゴンッと鈍い音を立て、座っていた石に小型のワイン樽がぶつかり地面へと落ちる。


「こんな良い夜に気落ちした野郎の姿で酒など飲めるか。邪魔だから消えろ」

「……」


 地面に膝を着いた状態で、ミキはそれを認識し背中に冷や汗が流れるのを感じた。


 いつから居たのか……最初からか、それとも途中からか、それすら分からないほど彼は自然とそこに座っていたのだ。

 義父ほどの腕を持つ正真正銘の化け物。


「一つ伺いたい」

「何だ?」

「貴方は武蔵とし合ったことは?」


 フッと鼻で笑った彼……ミツは、グイッとワインを煽ると息を吐いた。


「無い。俺があった時にはただの爺だった。年寄りに勝って自慢など出来るか?」

「……」


 老人であった巌流小次郎に勝った義父のことを思うと納得する。

 人がその事実を知れば、嫌でも陰で文句を言うであろう。


『相手が老いていたから勝てたのだ』と。


「若い頃に出会い戦ってみたかったと思う。残念なことにこっちに居ないらしいしな」

「その様で」

「替わりに居たのが名も知らん養子だと言う。本当にこの世はつまらん」


 相手の言葉に頭の一つでも掻くしかない。事実なだけに反論が出来ない。


伊織いおり

「ん?」

「確か貴方は『武蔵の子は伊織』とか申していましたな」

「ああそうだ」


 酒を飲む手を止め、彼はボリボリと体を掻きながら視線を向けて来た。


「俺が知る限り武蔵の子は伊織とか言う養子だ。だがゴンに聞いたらどうやらお前が先らしいな」

「そうですか」


 知らなかったのは、自分が死んでから養子を取ったからだろう。


 なら自分の後を継いだ弟は?


 口を開こうとしたミキよりも先に声が飛んで来た。


「お前は何で死んだ?」

「……腹を斬りました」

「何故?」

「主君、本多忠刻ほんだ ただとき殿の後を追い」

「はっ! こんな所にも大馬鹿者が居たかっ!」


 その言葉にミキは相手を見る。

 冷たくガラス玉の様な目がミキを見つめていた。


「俺は家の為とか国の為とかいう言葉が大っ嫌いなんだよ。結局自分を殺すことにしかならない」

「……」

「それで腹を斬ったお前は何を得た? 伊織を知らんと言うことはお前の家は潰えたのか? なあ真面目な小僧よ……お前の生はそんなことの為にあったのか?」


 痛い言葉が胸に突き刺さる。

 相手の言っている言葉に何の間違いがあろうか?


「俺も家の為、幕府の為、流派の為にと自分を殺して生きた。その結果得たのは周りからの嫉妬や恨みだけだった」


 ミツは静かに小樽に手を伸ばす。


「自分の父親からも疎まれるほどにな」


 苦い物でも飲み下すかのように、彼は小樽に口を付け煽る。


「悔しかった。俺はもっと自由に生きたかった。何者にも縛られずに、武蔵のように……違うな。前田利益まえだ としますの様な傾奇者になりたかった」


 自嘲気味に笑いワインで濡れた口元を拭う。


「お前はどう生きたかった?」

「……」


 そう問われてもミキには答えなど無い。

 あの頃の自分はただ必死に強くありたいと願い自身を鍛えていた。


 何の為に?

 自分は何の為に自分を鍛えていたのだろうか?


 その自問に思考を停止させる。


「俺と同じで周りに言われて従っていただけの馬鹿者か。だからお前は弱いんだ小僧」

「……」


 飲み終えたのであろう小樽を逆さに振り、投げ捨てた彼は石の上に立つ。


「良い感じに酔えた。今宵は寝所で女たちが待っているから見逃してやる。次会う時までに『どうして』の答えを見つけておけ」


 言って彼は軽い足取りで歩いて行く。

 その後ろ姿はとても酔っている様には見えなかった。




(C) 甲斐八雲

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