其の拾弐
「何や兄さん。結局旦那の所へ行かなかったんですか?」
「色々とあってな」
「モテる男は辛いっすな~」
ミツからの伝言を届けると、青年は二人の女性に引きずられて行ってしまった。
勝手に部屋として使っている場所で説得され、当面ミツとは顔を合わさない方向で纏まった。
それからマガミはレシアをたっぷりと舐めてから姿を消し、しばらく床で伸びていたレシアも仕事を思い出して七色の球体を捕まえてその尻を叩いて荷物を吐き出させる。
念の為一晩ほどコブの治療に努めたミキは、ミツでは無くてゴンを探したのだ。
カラカラと笑う男は木の棒を担ぎヘラヘラとしている。
だが隙が全く無い。
どこから打ち込んでも自分の刃が届かない……そう痛感しミキは痛感した。
「先日のあれは手抜きか?」
「はいな。弱いもんいじめは嫌いなもんで」
「弱いか……俺はやっぱり弱いのか?」
「いえいえ。兄さんは十分に強いですよ。ただ……何と言いましょうかね~」
木の棒を肩に担いでクネクネと体を揺すった彼は、最も簡単な言葉を思い出した。
「やっぱり弱いんでしょうね」
「遠回しでからかうな」
「あはは。ですが事実です」
ほいッと軽い掛け声と共に木の棒を宙に飛ばし、落ちて来た物を片手で受ける。
クルクルと回して、フンッの掛け声と共に幾分か腰を下ろした姿勢で構えた。
「ほれ。今です」
「……何がだ?」
突然の掛け声にミキは困惑した。
「あはは。ほんま似てませんな~。今の俺っちの遊びを眺める……いえ、目で追って何かを盗もうとする。それ自体悪いこと違います。ですがこれが実戦だったら? 試合だったら?」
「……」
「武蔵なら俺っちが棒を放った時点で腰の物を抜いてます」
「だが今のは」
「それが命のやり取りってもんです。勝った者が自分の都合の良い文章を書けるっちゅうことですわ」
また棒を担いでヘラヘラとし始める。
何と言うか掴みどころが無い。押そうとして手を伸ばしても柔軟に受け止められて押しきれない。だがその芯は極太で決して折れる気配が無い。
「夢想権之助殿」
「あはは。今はゴンです。余りその名を口にせんで下さい」
「どうしてだ?」
「あら? 兄さんは知らんのですか? そうか……武蔵の身内でしたな。教えられてないんでしょうかね」
「何が?」
クククと笑った彼は、数歩下がって身構える。
「俺っちは武蔵に勝った男です。だからそれを知る馬鹿共が押し掛けて来る。ほんに困った話ですわ」
自然と刀に手を伸ばし、ミキは抜刀し掛けていた。
確かに目の前の杖術使いは強い。強いがそれは常人の範囲でだ。
義父やミツとは違って決して化け物の類では無い。
故に一瞬で心の中が沸騰した。
「あははっ! やっぱり兄さんは弱いですな。ミツさんならそれを聞いてなんも反応しませんでした」
「……義父の名を使いからかわれたんだ」
「からかう? ちゃいます。事実のみ言うてます」
担いでいた棒の先を地面に押し付け、ゴンは真っ直ぐ立つ。
それだけで相手の気配が段違いに変化した。
「俺っちは武蔵て試合をして負けました。だが
怒気を孕む相手の気配にミキは数歩下がって身構える。
化け物では無いが……その入り口に片足をかけているのは間違いない。
「お母んは喜んでくれましたわ。お蔭で俺っちの中で何かが音を立てて壊れたのも知らずに」
にやけた表情が冷たい石の様な物へと変わる。
感情を感じさせない、無。
ミキは改めて呼吸を整い相手の動きを見る。
「本当に悔しかった。試合で負けたのよりもずっと……ずっと悔しかった。手加減されて勝って何の意味があります? 逆に『お前は弱い』とはっきりと告げられただけです」
ジャリッと音を響かせゴンが一歩足を踏み出し構えた。
「だから兄さん。今から俺っちが憂さ晴らしさせて貰います。……死んだら堪忍な」
その踏み込みが見えなかった。
フラフラ~と建物の中を歩いていたレシアはそれを見た。
中庭らしい場所で一方的にやられている愛おしい人の姿をだ。
一瞬見間違いかとも思ったが、その纏う空気を見間違えるはずが無い。
「お~お~姉ちゃん。こんな場所にって消えたっ!」
「兄貴っ!」
「ぅぇぁっ!」
不意に現れた何かに声を掛けられた気がしたが、レシアは無視して走り続ける。
自分が好きになった人は決して弱くない。そうずっと思っていた。
だがここに来て彼は負け続けている。その姿を見ると胸が張り裂けてしまいそうなほど辛い。
辛いし痛いし……何よりも悲しい。
階段を数歩跨ぎで駆け下り、中庭へと出ると……地面に蹲る彼が棒で滅多打ちにされていた。
「止め……止めてくだっ!」
相手が向けて来た気配で全身が凍った。喉に舌が張り付き言葉にならない。
(怖い怖い怖い……)
明確に向けられる殺意にレシアは恐怖した。
知らなかった。
戦うことが、彼がいつも立っている場所がこんなにも怖い所だったなんて。
「止めて……くだ……」
貼り付く舌を必死に動かし、レシアは自分に活を入れ続ける。
少しでも気を抜けば恐怖の余りに卒倒しそうだった。
「……これで最後にしといたる」
大きく振り上げられた棒が落ち、打たれた彼の身が震えた。
(C) 甲斐八雲
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