其の拾

 呼吸を整えながら、ミキは山道を歩いていた。

 先導するに飛ぶ球体は、ふよふよと頼りないが真っ直ぐ目的地に向かっている。


 ズキッと痛む脇腹に顔をしかめ、それでも唇を噛み締めて前を向く。

 足は止められない。


 どうせ何も考えずに迎えに来ると信じている馬鹿が居るのだから。

 だからこそ……止まれない。




「若いと聞いていたが……ただの小僧か」


 崩れ落ちた様子の門らしかった場所を抜けると、そこには化け物が立っていた。


 自然体と言うよりも、まるで精巧に作られた庭園に置かれている石のように馴染んでいる。

 言うなれば義父同様の気配を発する相手が目の前に居るのだ。


「ゴンの奴はどうした? 悪い癖を出してまた遊んだか?」

「知らんよ。何度か合わせたら石に躓いた。『腰打ったさかい堪忍な』とか言ってたが」

「それを遊びと言うんだ。全くあの馬鹿は……実力の欠片も出さん」


 相対したミキは分かっている。

 あの夢想権之助がどれ程強いのかを。


 くわわ~と欠伸をする人物に、ミキは正面に立ち腰に手を掛けた。


「この俺の気配を感じて挑むか?」

「はい」

「……死ぬぞ?」

「でも貴方を越えねば認めて貰えない」

「やれやれだな」


 手に持っていたワイン樽を放り投げ、彼は立て掛けてある武器を手にした。

 縦に長く割いた棒に皮を巻きつけた袋竹刀だ。


「こっちには"竹"が無いからな。数度殴れば折れちまう」

「……」


 一瞬躊躇いはしたが、ミキは腰の刀を抜く。


「気にするな。どうせ当たらん」

「……」

「さて。これが折れるまで立っていたらお前を一人前と認めよう」


 適当に袋竹刀を肩に担ぎミキを見る。


「その時は名乗ってやってもいい。だが今は名乗らん。良いな小僧」

「はい」

「……お前は名乗れ。どうせすぐに忘れるだろうが」


 好き放題な言葉だが、ミキは基本中の基本……正眼に構えた。


「浪人、宮本三木之助玄刻」


 ニヤッと化け物が笑った。


「宮本を名乗るか小僧。武蔵の子は……伊織だけだと思っていたがな。まあ良い。来いよ」


 先手を譲られたミキは、迷うこと無く踏み込んだ。

 先手必勝。一番早い一撃で相手を、


「遅いぞ小僧? 止まって見える」


 容赦のない一撃で、ミキの意識は完全に途切れた。




「……キ。ミキ!」

「ぐっ」

「良かったミキ!」


 ギュッと抱き付いて来る柔らかな感触に、グルグルと頭の中が回っているミキは、現状を把握できずに居た。


 圧倒的な暴力を受けてから記憶が無い。

 理不尽なまでの実力差。久しく……死んでから味わったことの無い感覚だった。


「ミキ? 大丈夫ですか?」


 心配そうに顔を見て来る相手の視線を咄嗟にずらしたのはいつものことだ。

 ただ自分が何故そうしたのか分からずに、良く良く相手の目以外を見る。

 整った顔の作りは可愛らしい。どこか愛嬌もあって……微かに似ている様な気もしなくもない。


(誰に似ているんだ?)


 混濁とする思考が記憶に蓋をして思い出せない。でもこうして抱かれているのは悪く無い。


「ちょっとミキ? 重い……」


 抱き付いてる相手を押し倒して組み伏せる。

 サッと頬が朱に染まったのが何とも可愛らしい。


「んっ……ミキ? そこは……んっ」


 白い首筋に唇を当てると、腕の中の少女が甘い声を発した。と、


「私が水を汲みに行ってる間にどうして発情しているのかしら?」


 頭上から掛かる声を気にせず彼は白い首筋を吸う。

 流石に無視された存在が、彼の首根っこを掴み持ち上げた。


「ちょっといい加減に……って、あら? 完全にいってるわね。仕方ない」


 パンパンパンと往復で頬を叩かれ、焦点が合っていなかった青年の目に力が戻る。


「ちょっと! ミキを叩かないで下さい」

「大丈夫よ。これぐらい」

「でもでもダメです」

「はいはい」


 掴んでいた首を外し座らせると巫女たる彼女が抱き付く。

 隠れて見ていた彼女は、彼が一撃で屈するなどとは思っても居なかったのだろう。

 故の過保護だ。


「ミキ。大丈夫ですよ」

「……」


 彷徨っていた焦点が定まり、彼はゆっくりと顔を上げた。

 抱き付いているのはいつも通りのレシアだと納得し、もう一人の気配に目を向ける。


「目は覚めた?」

「……ああ」

「そう。ならとりあえず頭でも冷やしておきなさい。酷いコブよ」


 受け取った濡れた布の存在に困ると、抱き付いている甘えん坊が奪い取り彼の頭に押し付ける。

 ズキズキズキと全身を貫く様な痛みが走り、余りの刺激に意識が覚醒した。


「くっ……もう少し優しくしろ」

「ごめんなさい」


 抱き付いたまま器用に側頭部へ布を当てて来る彼女の背中をひと撫でし、ミキは狼たる女性に目を向けた。


「負けたんだな?」

「ええ。あっさり一撃でね」

「そうか」

「真剣なら死んでたわ」

「あんなに強く殴ったら木の棒だって死んじゃいます」


 グイグイと抱き付いて来る彼女が若干邪魔臭くなったので、ミキは全力で引き剥がそうとする。


「熱い。離れろ」

「嫌です。イテテ……嫌です」

「全く」


 引き剥がすことを諦め、ミキは今一度女性に目を向けた。

 迷いはあるが確認すべき重要なことがある。

 だから挫けそうになる心に活を入れて問うた。


「お前から見て……俺はレシアに相応しいか?」

「そう質問している時点でダメよ」


 分かりきった答えが返って来た。




(C) 甲斐八雲

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