其の弐

「ミキミキミキ」

「どうした?」

「あれですね……どこか街の様子が前の所に戻って来た様な?」

「……昨日した説明をちゃんと聞いていたか?」

「聞いてました。聞いてましたけど……覚えているとは限りませんっ!」


 軽く右手を上げる彼の様子に、頭を抱えてレシアは逃げ出した。

 やれやれと肩を竦め、『大丈夫かな?』と判断してやって来た少女の耳を抓む。


「イタタタタです」

「少しは真面目に聞け。良いな」

「はーい」


 返事からしてダメそうだが、強く言い過ぎると拗ねてしまう。

 成長しているのか後退しているのか……その事実を痛感すると軽く目眩さえしてくる。


「ここはマルトーロだから。またあんな天幕の様な建物を見ても不思議じゃない」

「……戻って来たんですか?」

「戻って来たと言うべきなのか困る所だな。マルトーロは大陸の北部に位置する横に長い国なんだ」

「ん~」

「つまり俺たちはマルトーロの東側から入って一度抜け、そして今度は西側に来た」

「あ~。少し分かりました」


 少しかと思いつつ、掴んでいるだけの耳を開放する。

 大して痛くも無いはずなのに彼女は両手で自分の耳を押さえると、チラチラとミキの様子を伺い続ける。


「今夜は節約だ」

「え~。水浴びがしたいです」

「水浴びなら良いぞ。水ならな」

「……ミキの意地悪」


 本当は湯の方が良いと分かっているが、草原が多く木々の少ないマルトーロでは薪の値段が高い。結果として湯を買うにもそれなりに値が張ってしまう。


「水を満たした壺を日の当たる場所に置いておけ」

「う~。寝る前に拭きたかったです」

「贅沢を言うな。水で体を拭けるだけ幸せだぞ?」

「……そうなんですか?」

「ああ。南部は水が少ないから水浴びなんて贅沢はまず出来ないしな」

「……」


 久しぶりに絶望染みた彼女の表情を見る。

 この世の終わり……楽しみにしていた最後の肉を、頭上の球体に食べられた時の様な表情が痛々しい。


「南部に行くのは止めましょう」

「南部を通らないと西部に行けないんだ」

「うにゃ~ん」


 清潔を重んじる節のある彼女からすれば、身を清められないのは余程悲しいことらしい。

 今にも泣き出しそうな彼女を見て、ミキは心の中で頭を振った。


(本当に甘すぎるな)


 心中で呟き、相手の肩に手を回して今日の宿を探し始める。

 小さな壺程度の湯なら……夕飯を少し押さえればどうにかなるだろうと考えながら。




 草原が多いマルトーロは、生き物と自然の宝庫だ。

 大陸の馬の多くはこの地で生産されるとも言われている。


 故にこの国では、大きな街には馬を使用した賭け事が行われる。

『遠距離走』だ。


 決められた場所から馬を走らせ、決められた場所を折り返して戻って来る。

 最初に戻って来る馬を予想して行われる賭けだ。




「ミキミキミキ」

「ん?」

「あの子が良いです」

「……6番か」

「はい」


 競争する馬を見れる場所……馬見所で、レシアが一頭の栗毛を指さす。

 体格の良い他の馬の中では小柄に見えるが、肉付きは悪くなさそうだ。


「なら自分で買って来い」

「はーい」


 お金を渡すと、彼女は人込みの中に消える。文字通り姿を消したかのように溶け込む。

 どんなに混雑していてもすり抜けるように発券場に行って賭け札を買って来る。シャーマンの御業の無駄遣いにしか見えないが、おかげでギリギリまで馬を見て買うことが出来る。


 闘技場生活が長いこともあったミキだが、基本賭け事はあまり好きではない。

 何より10頭も走るこの競技では、普通なら当たる気など起きない。


 だが生き物と心を通うことの出来る少女は、誰もが知り得ないことを知ることが出来る。

 つまり……直接馬に『調子』を聞けるのだ。


「買って来ました」

「早かったな」

「はい。札を売ってる所がとても空いてたので」

「……」


 そろそろ販売も終わる頃だ。

 終了間際で空いていると言うことは……ミキは考えることを放棄した。


「お前と居ると本当に稼いでばかりだな」

「そうですか?」

「ああ。少なくともこの旅を始めてから一度として所持金で困ったことは無い」

「ですね」


 お金の概念がいまいち怪しい少女だから、きっと言葉の意味を理解していないとミキは悟った。


「まあ良い。このまま勝ち続けたら、今夜は何が良い?」

「はい?」

「お湯か豪華な食事か」

「むむむ」


 魅力ある彼の提案に腕を組んでレシアは悩む。

 正直に言えば両方だが、きっとそんな贅沢は彼が許してくれない。

 贅沢し過ぎれば自然にも嫌われてしまうから……ここはグッと我慢だ。


「今日はご飯で、明日がお湯で」

「……だったらあの栗毛が一番に帰って来ることを祈っておけ」

「大丈夫ですよ。あの子が言ってました」


 明るい笑みを浮かべレシアは軽く胸を張る。


「『今日負けると肉にされるから絶対に負けない。負けられない』って」

「……大丈夫か?」

「はい。だから可愛そうなので、他の子たちにあの子を勝たせるようにお願いしました」

「……」

「だからあの子は勝ちますよ。ってミキ? どうして右手が? ……ふにゃ~んっ!」


 脳天に手刀を叩き込み、無自覚で不正行為をした馬鹿へのお仕置きを終える。

 彼女とすればただ馬の命を救ったに過ぎないのだろうが……不正は不正だ。


「次からは負けるようにお願いするな。良いな?」

「はいです……」


 頭を押さえてレシアは承諾した。




(C) 甲斐八雲

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