其の漆

 着替えなどもあり朝食には遅い時間となった食堂は比較的空いていた。

 これ幸いとテーブルの一つを二人で占拠し、適当に注文をする。


 怒りながらも彼女のその食欲は尽きない。

 レシアは丸々としたライ麦パンを抱え、千切っては口に運ぶを繰り返していた。


 薄く切った物を食するミキもその初めての味に感心する。

 人の食欲とは本当にキリが無い……自身の目の前に居る相手を見つめてフッと笑う。


「何ですか? どうせ私は肥えた女ですよ」

「だからって拗ねてそんなに食べると増々太るぞ?」

「良いんです」


 プンスカ怒ったままスープの皿を掴んでそのまま飲み始める。

 何と言うか……悪酔いした者の所業だ。傍迷惑で困る。


「……」


 からかい過ぎてしまった以上、何を言っても逆効果になり得る。

 ミキは机に置かれた紙に手を伸ばし……それを見つけた。


「済まん。この果実を頼む」

「はい。これですね?」

「ああ」


 給仕の女に注文すると、その目を見開いた彼女がこっちを見ていた。


「何だ?」

「果実ですか?」

「ああ」

「……」


 今にも涎を溢さん表情だ。

 年頃の娘がと思うが……叱ればまた拗ねるのは必至だ。


 別に食べたいのであれば自分で注文すれば良いのだが、彼女は基本"許し"が無いと自ら注文しない。

 二人の金だと言っているのに、勝手に使うことに抵抗があるのだ。


 戻って来た給仕の女がテーブルに果実を置く。赤い色をした『イチゴ』の様に見える。

 手を伸ばして抓んで味わうと……酸味が強いが悪く無い味だ。


 パンを抱えているレシアの口の端から涎がこぼれた。


「食べるか?」

「良いんですか?」

「パンや肉を山のように喰われるくらいならこっちの方が良い」

「……」


 無言で皿に手を伸ばし、まさかの皿ごと回収して行った。


「すっぱっ……でも美味しいです」


 一度食べて味が分かると彼女の手は止まらない。

 代わりに彼女が抱えていたパンや肉を回収し、改めて切って分ける。


 二人分にと頼んだ物を、一人で抱えて食い始めた時は流石に苦笑しか出来なかったが。


「ん~。もう少し甘いと良いんですけどね」

「時期が少し早かったのかもしれないな」

「ですね」


 綺麗に切り分けられた食事に目を向け、レシアは改めて食べる気を全面に押し出す。

 カップに水を注いで準備万端とまず肉から食べ始めた。

 その様子を確認してからミキも自分の分を口にする。


 しばらくの間……食事に集中し、食べたそうにこっちを見ている相手に残りを押し付けた所で、ミキは本題を口にした。


「レシア」

「はい?」

「少しこの街に留まりたいんだが……良いか?」

「良いですよ」


 パンが食べたいだけなのか、その返事はあっさりとしている。


「でもどうしてですか?」


 肉にフォークを刺しながら彼女は純粋に思ったことを口にする。

 成長と見るべきか、ただの偶然か……ミキはその判断を保留した。


「少し調べたいことがある」

「昨日のお爺さんのことですか?」

「ああ」

「……まっ良いですよ。次は南の海に行ってその味を確認するだけですしね」


 目標が変化してしまったが彼女は気にしていない様子だ。

 旅をして世界を見て回れればその理由など何でも良いのだろう。


「でもあのお爺さん……大丈夫ですか?」

「お前は気付いてるよな」

「はい。二人ほど見張ってます」

「あんな爺さんが何故追われているのかも気になるしな……まっ今回は俺の我が儘だ」

「良いですよ。ミキはいつも私に優しくしてくれて……って、最近優しくないです」

「昨日は優しくしてやったろう?」


 何気ない口調だったが、レシアの顔が真っ赤になった。


「ななな何を……あれは優しいとかじゃなくてですね。あれはその……あれは違うんですっ!」

「ならもうしない方が良いか?」

「……」


 ピタッと彼女の動きが止まる。


 静かにゆっくりと傾いたその顔は、何やら考え込んでいる様子だった。

 ミキは自分のカップに水を注ぎ待つことしばらく……レシアはその顔をますます赤くさせた。


「……たまになら……して欲しいです」

「分かったよ」

「はう」


 恥ずかしそうに椅子を滑り、彼女はテーブルの下へと姿を消して行った。




 広場の長椅子に腰かけミキは空を見る。

 食後の軽い運動と踊っている彼女の姿は常に視界の隅に捕らえている。

 頭の上に七色の球体を鎮座させ踊る彼女は……鎮座?


「レシア」

「はい?」

「余りに自然だったから気づかなかったが、頭の上の大きくなってないか?」

「……そう言われれば」


 ガシッと捕まえて顔の前に運んで来ると、普段は拳大の大きさなのに……今は彼女の頭より一回り小さいくらいだ。


「ん~。なるほど」

「何だって?」

「そんな気分だそうです」

「……捨てて来い」


 そもそも鳥では無い不可思議な生き物だ。普通に考えるだけ無駄だった。

 ミキは呆れた様子でまた視線を空に向ける。


 ガンリューが殺したと言う人物のことを調べるのが謎を解く気がする。

 ただそれに彼女を付き合わせることが正直気乗りしない。


 育ての親が人殺しの逃亡者だと知れば……。


 昨日の彼女は聞いて回っている間、寝込んで鈍っている体をほぐすとことあるごとに踊って話など聞いていなかった。お蔭で聞かせたくない話は聞かせずに済んだ。

 だが今日もそうするとは限らない。


 ため息を吐いてミキは目を閉じた。

 そんなことよりも胸の奥に重く圧し掛かる存在がある。

 いつ彼女に、あの場所のことを切り出せば良いのか……自分の未熟さを痛感した。




(C) 甲斐八雲

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