其の陸

 自分が言うべき問いかけを先に言われた。


 ミキは苦笑しながら身を正す。


「自分は宮本三木之助。若き剣士と呼んでいる者の息子になります」

「なるほどなるほど……本当に"居た"とはな」


 鼻先を掻きながら老人は笑う。


「ならばあの子は"レシア"か?」

「はい」

「生きてまたその姿を見れるとは……と、今朝は居らんな」

「宿のベッドで寝ています」

「……朝まで頑張ったのか? か~っ! ワシももう少し若ければな~っ!」


 本気で悔しがる老人は、ミキの肩をポンポン叩く。


「良い。あの娘は良い。何より胸が、こう……良い」

「……」


 流石に自分が惚れた相手もそんな目で見られるのはカチンと来る。

 笑えないくらいの殺気を孕んだミキの視線から……老人はよろける様に歩いて逃れる。


「ほっほ~。悪くは無いがちと無骨。殺気一つでも武器としていた"ガンリュー"には遠く及ばないか」

「やはり知っていましたね」

「おっほほ。彼とはただの飲み仲間よ。飲み仲間だったと言うのが正しいか」

「どこまでご存じで?」

「ワシの知ってる限りだな。お主の知らないことが大半じゃよ」

「お教えいただきたい」

「無理無理。ワシは口の堅さだけが唯一の自慢じゃ」


 つまり口止めをされていると言うことだ。


「なら言えることだけでも」

「知恵の回る男だのう」


 ニヒヒと笑って老人は宙を見る。


「ガンリューは人を殺めてこの街より逃げた。ワシが逃がした。荷物は一人の赤子だけ」


 それは分かっている。彼がレシアを連れて東へ向かったのだ。


「ならば問おう。子は何より出でる?」

「母親です」

「その通りだ。……あの娘も大変美しかった。出会った時は臨月であった」


 フラフラと歩き出す遠ざかって行く老人を追いミキも足を動かす。


 何も語ることなくただフラフラと歩く老人。

 何と無くだがどこかに誘われている様な気がして……ミキはその後を追う。


 広場を抜けて木々の間も抜ける。見えて来たのは整然と並ぶ石だ。

 墓石だろうと見ていて目星が付く。


 と、老人が止まった。


「元々体が弱かったそうだ。身重で無理な旅も重なって……玉の様な元気な赤子を産み落とした五十日後に」


 手折れの花が多く置かれている場所に老人はただ視線を向ける。

 つまりはそう言うことだと理解し、ミキも静かに手を合わせた。


「一つ聞きたい」


 念仏を唱えてからミキは老人に問うた。


「彼女の父親は?」

「それを探せば全ての答えと出会えるであろう」

「では……貴方を狙っている者は?」

「……過去の亡霊じゃよ。ワシはずっと亡霊から逃げ続けている」


 フラフラと体を揺らして老人は歩き出す。

 一瞬追うべきかと思った彼だったが、墓石が気になり足を動かさなかった。

 ゆっくりと屈み……石に刻まれた文字を読む。


『レイラ』


 たったそれだけが石には刻まれていた。




 ゴロゴロとベッドの上を転がるレシアは、起きてから落ち着きのない状態だった。


 軽く体を動かせばと思い手足を動かしててみたが、まったく続ける気が沸かない。

 早々に踊りの練習を諦めてベッドの上を転がる。


 一瞬夢だったのかと思ってしまう。


 あんなに強く抱かれてキスされたのは……思い出しただけで頬がカッと熱くなるのを感じた。

 胸の奥から何とも言えない感情が溢れて来て、またジタバタと手足を振り回す。

 興奮が止まらない。少しでも思い出すと体が火照ってしまう。


「にゃ~っ!」


 声を発して起き上がり、床に立って寝間着を脱ぐ。

 向かう先は木の蓋をした湯船だ。


 蓋を退けて手を入れると……暖かくは無いが冷たくもない。温い水だ。

 それでも十分と足先からゆっくりと浸かって行く。


 胸の下まで水に浸けて大きく息を吐く。

 チャプッと音を立て、掬った水で肩を濡らす。

 それだけでもだいぶ気持ちが落ち着く。


「……む~っ!」


 落ち着いたのは一瞬だけだった。

 思い出したら顔が火が出てしまいそうなほど恥ずかしくなって来る。


 あの時彼に自分の顔をこれでもかと見られた。変な顔はしてなかったかと不安になる。

 確かに最近『頑張りが足らない』と言った気もする。でもあんな頑張りを見せられたら足らないのは自分の方だった気づかされた。


 なら自分もあんな風に?


 想像してみる。

 相手を組み敷いて……その頭を抱えてあんな風なキスをする。

 それこそ全てを掻き混ぜられ味わうかのような動きを自分からする。


「にゃ~っ! 無理です無理です。恥ずかしいです!」


 頭を抱えてバシャバシャと水面に額を打ち付ける。

 髪が濡れてしまったが別に拭けば良いだけのことだ。


 それより何より一番の問題は、こんなグルグルと思考が渦巻いている状態で彼と会話することだ。

 何を話せば良いのかすら分からない。今話をしたら絶対に変なことを言ってしまう。それでまた間違いなく怒られる。

 怒られたくない。

 折角この何とも言えない気持ちを、初めて感じる気持ちをもっとずっと味わっていたい。


 と、ガチャガチャと鍵の開く音がして、覚悟を決める前にドアが開いた。


「レシア起きたか? そろそろ朝食に……」


 珍しく彼と目が合ったが、心を読むことにレシアは頭が回らない。

 ミキは後ろ手でドアを閉じると、上半身を晒している彼女に告げた。


「やはり……胸が肥えたな」

「うんにゃ~っ!」


 両手で掬った水を、レシアは彼に向かい放り投げた。




(C) 甲斐八雲

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