其の肆
宿屋の食堂で夕飯を済まし、二人は今夜宿泊する部屋に来た。
隊商の警備とエルンシーズで売った商品の儲けもあって金には困っていない。
何より今夜はレシアの為にと奮発をしている。
「うわ~。湯船ですよね? 部屋にお風呂があります」
「ああ。食事の間に湯を……」
陶器の様な材質の湯舟には半ばまで湯が張られている。香り付けの花も浮かんでいた。
ただそんな説明する時間を彼に与えてくれず、レシアはポイポイと服を脱ぎ散らかして湯船に突撃した。
「あわわ。これってどうやって体を洗えば良いんですか?」
「洗うのはそこに大きな木桶があるだろう? それを置いてその中で体を洗ってから湯船に入るらしい」
「うわ~。贅沢です。嬉しいです。嬉しいですっ!」
体全体で嬉しさを表現して、彼女は早速桶の中で体を洗い始めた。
「ミキ~」
「どうした?」
「えへへ。背中を拭いて貰っても良いですか?」
甘えている様子は見て取れる。
一度して貰って味を占めたのも分かっている。
見透かされているのかもしれないな……と、思いつつも彼は湯船にまでやって来た。
「今日だけだぞ?」
「は~い」
「全く」
受け取った布で背中を拭いてやると、彼女は本当に嬉しそうに柔らかな笑みを見せる。
外見だけなら一級品。その可愛らしい表情からミキはそっと視線を外す。
「ほら。これで良いだろ?」
「は~い。なら次はミキの番です」
「……えっ?」
「なに変な顔しているんですか? 折角暖かなお湯なのに私だけ使ったら勿体無いじゃ無いですか。ほらほら脱いでください」
「いや待てレシア」
「待ちません。ほらほら」
強引なまでに服を掴まれるので、ミキは抵抗することを諦めた。
楽しんでいる様子の彼女に服を剥ぎ取られ、仕方なく桶の中に入ると……レシアも一緒に入って来た。
「ここから一緒でなくても良いだろう?」
「良いんです。ほら拭きますよ」
楽し気に掲げた布でゴシゴシと背中を擦ってくれる。
悪い気はしないので、ミキは自分の手で体を擦る。
「ミキ」
「ん?」
「この何日か……本当にありがとうです」
背中から抱き付いて来たレシアが耳元で囁く。
フッと表情を崩してミキは肩越しで相手の頭を撫でてやった。
「にゃん」
「まったく……湯が冷めるぞ」
「は~い」
使い終えた桶を片付けて貰う。
湯船の方は明日の退室時に掃除するそうなので、木の蓋をして今夜はこのままだ。
ベッドに倒れ込んだレシアは、天井を見上げながら両手で七色の球体を掲げる。
「お前も綺麗になったね」
「コケ~」
『綺麗でしょ!』とでも言いたげに球体が小さな羽を広げる。
普段からそんなに汚れている様子も無いから違いは良く分からないが。
部屋の鍵を確認し、念のために追加でドアが開かないようクサビを仕掛けてミキもベッドに来た。
風呂を優先した部屋選びだったのでベッドの方はごく普通の物だ。それでも二人並んで眠れる大きさはある。
彼女の横で寝っ転がると、早速球体を投げ捨ててレシアが抱き付いて来た。
「今日はどうした?」
「何がですか?」
「そんなに抱き付いて来て」
『そろそろ叱るか?』とも考える彼に、レシアはギュッと力を込めて来た。
「……分からないんです。でもこの街に来てから凄く寂しくて」
「寂しい?」
「はい。とても寂しくて辛くて……ミキが居ると抱き付きたくなって」
言って離れようとする彼女をミキの方から抱きしめてやる。
「きっとまだ本調子じゃないんだろう。今日ぐらいは良いさ」
「ミキ」
スリスリと頭を擦り付けて来る相手に苦笑いをしつつ、ミキはベッドのわきに置かれているランプの灯を消す。
カーテンを閉じていない窓からは月の優しく寂しげな光が入り込んで来る。
レシアはその光源を見つめ……もう一度彼に抱き付いた。
静かな寝息が聞こえて来る。
確りと抱き付いているから逃れることは難しそうだ。
ミキは脱出を諦めて、夕飯までに聞いて回った事柄を頭の中で整理する。
老人の話からして……養父の対戦相手である"ガンリュー"がこの街に居たと目星をつけて聞いて回った。
店の者などから拾えた話では、ガンリューと思われる人物は……この街で罪を犯して逃亡したことになっている。
罪状は殺人。殺した相手はこの国の大臣だ。
だが話を聞く限り不明瞭な点もあった。
まず殺された大臣は刃物で滅多刺しにされていたそうだ。
有数の実力者であり、たぶん南蛮の教えを信ずる彼がそんな残忍な殺し方を望んでするとは思えなかった。
ミキはガンリューを南蛮のデウスの教えを信じる者だと推理していた。
そうであれば自害しなかった理由が理解出来る。
明智玉の話が特に有名だ。
明智光秀の娘である玉は、関ヶ原の折に石田方の人質となることを拒み死んだ。その時彼女はデウスの教えに反すると言い自害せず、兵に槍で突き殺させたと言う話だ。
彼もそんな理由から自害することを選ばなかったのだろう。
それでもだ……納得出来ない点がある。
何故生きて島から出られなかったのだ?
有名な剣術家であった彼を、何が何でも殺したかった者が居ることになる。
養父はその為に決闘することを……殺し合う場を与えられたのかもしれない。
血気盛んな若者を老剣術家と戦わせ、いったい誰が喜ぶのか?
思考を巡らせるミキは、ふとそれを思い出した。
(C) 甲斐八雲
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