其の参

「見てください。一晩あの臭いのを我慢したらこの通りです」

「……」

「あれ? どうして……にゃごっ!」


 彼の手刀を脳天に喰らい、レシアは頭を抱えて蹲る。


 漁師の朝は早いし、何より酒場として扱われているこの食堂に朝から居る者など旅人の二人だけだ。

 それでもミキは躾を忘れない。

 下着を見せて足を持ち上げる馬鹿に甘い顔はしない。


「少しは慎みを覚えろ。朝から下着を晒すな」

「大丈夫です。これは見られても良いヤツです」


 二発目を喰らってレシアは大の字で床に伏した。


「全く……」


 余程足の腫れが無くなったのが嬉しいのだろう。

 それは理解できてもやはり甘い顔は出来ない。


 頬を膨らまして拗ねるレシアに手を貸し起き上がらせると、服に着いた砂を一緒に払う。


「さてと。まずは朝食を貰いに行くか」

「ほえ?」

「昨日の話を聞いてなかっただろう?」

「ふっ……あんなに美味しい魚を前に、話を聞けだなんて無理に決まってま~」


 掲げられた手刀から、頭を抱えてレシアは逃げ出した。

 甘やかしている気は無いのだが、日に日に彼女の甘えが酷くなっている気がする。


 と、ほよほよと七色の球体が飛んで来て彼女の頭に止まった。


「……ご飯を催促されました」

「主に似て食い意地だけは底無しだな」

「うにゃ~っ!」


 怒って飛びかかって来た彼女を、ミキは手刀で黙らせた。




「おうお客人。どうだい?」

「ああ。焼いて食うからお勧めはあるか?」

「だったらこれを持って行きな」


 漁師の男が薦めて来たのは鯛に似た魚だった。


「ならそれと……その貝は?」

「焼くと旨いぞ」

「ならそれも」


 次々と朝食を選ぶ彼に、レシアは籠の中の物を不思議そうに見ていた。

 見たことのある生き物だ。ただ自分が知っている物とは大きさが違う。


「ミキ? これって蟹ですか?」

「蟹だな」

「私の知っているのと大きさが違います」

「川や山に居るのは小さいからな」

「ほぇ~。山にも居るんですか」


 感心しながら彼女は蟹を見つめる。


 ミキとしては大振りな蟹よりも沢蟹などの小型の物の方が好きだ。

 味噌の汁物などに入れると良い味が出る。


「この蟹は喰えるのか?」

「ぶつ切りにして汁物に入れたりするが、それだけで食ったりはしないな」

「そうか。なら金は払うから今晩の夜に汁物にしてくれないか?」

「分かった。女房に言っておく」


 魚と宿代も一緒に支払い、ミキたちは魚介類を受け取る。


 その足で宿に戻り、外に置かれている薪を適当に掴んで運ぶ。

 石を集めて簡単な竈を作り、ミキは薪に火を点けた。


「ミキ~。この石で良いですか?」

「ああ」


 広くて平らな石を転がして運んで来たレシアから運搬を引き継ぎ、竈の上に平たい石を置く。

 傾きが無いか確認して……石の上に魚を置く。


「良い匂いがしてきました」


 スンスンと鼻を動かし匂いを嗅ぐ彼女は今にも踊り出しそうだ。

 その様子に表情を緩めながら、ミキは竈の薪口に貝を並べる。


「そのまま焼くんですか?」

「ああ。軽く砂抜きはしてあると言う話だから食えるだろう」


 棒で貝を動かしながら、焦げて石に張り付く前に魚を返す。

 忙しく料理をしている間に……一人と一匹は焼けた貝を食べ始めた。


「うにゃ~っ! すっごく美味しいです!」

「そうか」

「昨日食べた貝も美味しかったですけど、こっちも良いです」


 細い棒で巻貝の中身を必死にほじくり出した彼女は、バクッと頬張り……熱さで目を回す。

 七色の鳥の方は、焼けた貝をそのまま吸い込む様に食して行く。


 そんな様子を見ながら彼も焼けた魚に手を伸ばす。

 生でも十分に食することの出来る物だ。やはり旨い。

 その甘い身に舌鼓を打ちながら、箸を使えない彼女の替わりに焼けた身を抓んで口へと運んでやる。


「甘いです。良いです。魚が美味しいです」

「そうだな」


 食べさせて貰う量では我慢出来ないのか、レシアは辺りを探して匙の替わりになる木っ端を見つけて来た。


「軽く水で洗えよ」

「は~い」


 その恐ろしい食欲で……四人前はあったであろう食事が綺麗に消えた。




「ミキ~」

「何だ?」

「これからどうしましょう?」


 海の見える岩場で二人は座っていた。


 石に腰かける彼の股の間に自分の尻を置き、背中を押し付けて甘えて来る彼女を背後から優しく抱く。

 その格好で……ミキは彼女の肩越しに海を見ていた。


「予定通り西の海を見に行く」

「でも海は見ましたよ?」

「ああ。ただ……調べてみたいことがあるんだ」

「調べる?」


 相手の言葉にレシアは興味を覚えた。


「場所によって海のしょっぱさが違うらしい」

「本当ですか?」

「知らないよ。だから調べるんだ」


 そんなことを言っていたのは、日ノ本中を旅して回っていた養父だった。

 旅の土産話の一つかとも思っていたが、海のある場所に行く度に『あそこの海はしょっぱかった』だの『薄かった』だのと聞かされた。


「本当に場所によって味が違うのか……それを確かめてから次の旅の目的を決めよう」

「は~い。ならこの海の味を確かめないとですね!」

「……そうだな」


 石から降りた彼女に手を引かれ、ミキは苦笑しながら後を追う。


「ちなみに次は何かしたいとかあるか?」

「ん~。あっ!」


 笑みを浮かべてレシアは言う。


「誰も行ったことの無い場所に行ってみたいです」


 本当に難しいことをサラッと言ってのける相手に彼は苦笑した。




(C) 甲斐八雲

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