其の弐

「はぅぅぅぅぅ~」

「あらあら……ここまで刺されているのは久しぶりに見たよ」

「こんな馬鹿がこれ以外にも?」

「はいな。初めて海を見て飛び込んだ人とかそれぞれですけどね」


 クスクスと笑い漁師の妻が籠の中から茶色の海藻を取り出すと、適当量を手にして揉み出した。


「それは?」

「この辺りではクラゲに刺されると、この海藻を揉んで出て来る汁を塗るんですよ」


 力を込めて揉んでいると、独特な匂いが辺りに漂う。


「何とも言えない匂いだな」

「臭いです」

「あはは。正直きついですけどね」


 しばらく揉んでいると海藻からドロドロとした汁が出てきた。

 女性はそれをレシアの足に擦り付ける様に塗る。


「若いだけあって綺麗な足ね。こんな美人を連れて旅をしているだなんて……羨ましい話だわ」

「見た目だけで中身が子供なので苦労ばかりですが」

「歩けるようになったら絶対に叩きますからね」


 プンスカ怒っているレシアも、自分の手で汁を塗り広げる。

 ドロドロとしてて気分の良いものでは無いが、酷いミミズ腫れの足を見ていると……何でも良いから治して欲しくなって来る。


「最近こんな事ばかりです」

「お前の行いが悪いんだろう?」

「あ~っ! もう絶対に許しませんっ! 後で覚えていろなのですっ!」

「そんなことを言ってるから、そんな目に遭うんだ」

「……にゃ~ん」


 机に伏せてレシアは泣き出す。

 少々イジメすぎたが、良い薬だと思ってミキは軽く肩を竦めた。


「とりあえずこの籠に海藻は常に入っているので、揉んで塗って下さい」

「悪いな」

「いえいえ。時期外れとは言え折角のお客さんですから」


 クスクスと笑って彼女は閉ざされていた客室の掃除へと向かった。


 クラゲに足を刺されて、両足を腫らすこととなった彼女と荷物を背負い途方に暮れていると、偶然通りがかったのが漁師の妻だった。

 事情を説明すると夏季の間だけ営業している村の宿泊施設に案内されたのだ。

 今の時期は漁師たちの酒を飲む場所として食堂だけが解放されている。


 ミキはレシアの向かいに座ると、まだ泣いている相手の頭に手を置いて軽く撫でてやる。


「今夜は海の幸でも味わえると良いな」

「……海の幸?」

「海の魚は川の物と違って泥臭さが無い。生でも食えるほど美味いんだぞ」

「……ゴクリ」


 ムクッと起き上がった顔に止まった涙。

 流石食い意地だけで生きている生き物だと変な方向に感心する。


「個人的には焼いた物の方が好きだがな」

「美味しいんですか?」

「自分の口で確かめろ」

「にゃ~っ! 今から夜が楽しみですっ!」


 泣いていたことすら忘れて彼女は全力ではしゃぎ出す。

 立って歩きだして……その場に蹲った。


「ミキ」

「お前絶対に馬鹿だろう?」

「……否定できない自分が情けないです」


 呆れてため息を一つ。

 彼は椅子から立ち上がると彼女を抱き上げて椅子まで運んだ。


「今日はとりあえず大人しくしていろ」

「はい」


 椅子に腰を落ち着かせて、レシアは抱き付いたままの彼の頬にキスをする。


「……レシア」

「はい?」

「臭いな」

「……うりうりうり」




 部屋の掃除を終えて戻って来た女が見たのは、食堂の床で子供の様に喧嘩をしている二人の姿だった。




「ミキだけズルいです」

「悪いな」

「ぶ~ぶ~」


 頬を膨らまして拗ねる彼女は、僅かに手を入れて来る。

 レシアは海水を沸かして風呂をしている彼の態度に腹を立てているのだ。


「私も入りたいです」

「だからこれは一人用だ」

「入れます」

「入るな。海藻の匂いが移る」

「……我慢の限界ですっ!」


 服を脱ごうとする彼女の脳天に手刀を叩き込んで、ミキは馬鹿を黙らせる。


 使っている湯船は石を削って作った物だ。

 大きな竈を連想させる作りだが、湯船となる部分の底は五右衛門風呂の様に木の板が敷かれている。底の浅い風呂だが湯を浴びられるのは悪く無い。


『ぐぬぬぬぬ』と唸りながら復活して来たレシアは懲りずに自分の服に手を掛けた。

 やれやれと最後に顔を洗って彼は湯船を出る。


「にゃ~ん。暖かです」

「そうか」


 布で水を拭いながら彼は待つ。天罰を。


 しばらくすると……神仏は正しい結論を示した。


「なぁ~んっ! 物凄く臭いですよ!」

「言い忘れたが、その海藻は温めると臭いが強くなるそうだ」

「ミキ~っ!」

「入るなと言ったぞ?」

「なぁ~! も~っ! ミキは最近とっても意地悪です!」

「お前が甘えすぎているだけだ」

「もうもうもう~!」


 余りの臭いに鼻を押さえつつも彼女は湯から出ない。

 その身を清めることに関しては、決して妥協しないのだ。


 やれやれと呆れつつも……ミキは木桶を掴んで井戸へと向かい歩き出した。

 温まった体を水で拭くことになるのは仕方ない。体に臭いが沁み込む前にどうにかしないと、彼女と一緒に寝るのだからたまった物ではない。


 水を汲んで戻ると……流石に臭いで目を回したレシアが湯から出ていた。


「その風呂は使ったら洗っておくのが決まりなんだぞ?」

「……手伝います。でも今は少し時間をください」

「……また足が膨らんで無いか?」

「にゃ……本当だ~っ!」


 血行が良くなれば毒の類も良く回る。


「この水でまず足を冷やせ」

「はい」

「そして何よりまず服を着ろ」

「……はい」


 ようやく気付き、レシアはとりあえず胸元を隠した。




(C) 甲斐八雲

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