北部編 参章『予定外の結末』
其の壱
治安は良いと聞いていたが、化け物の襲来はあるらしい。
ミキとレシアは途中で知り合った小規模の隊商に便乗させて貰い、北へ北へと向かう。
工業で栄えている工のエルンシーズの王都でも立ち寄り、色々と見聞き出来れば良いと思いながら途中の街で隊商と別れた。
気まぐれな彼女が棒を倒して行き先を決めれば、その棒は北を指した。
だから二人は迷うことなく、更に北を目指したのだ。
ソワソワしている彼女の様子に気づき、ミキは背負っている袋の位置を振って正す。
「どうした? 手洗いか?」
「ってミキは私を何だと思っているんですか!」
「食って寝て踊るだけの」
「むきぃぃぃぃぃいいいい!」
拳を振り回し襲って来る相手の手を掴んで、クルッとその場で一回り。
「イノシシみたいに突進して来るな」
「むきぃ~っ! 私だって女なんですから、お手洗いに行きたい時はこう黙って……」
「勝手に消えるな。探すのが面倒だ」
「探さないで下さい!」
プンプンと怒っているがその表情は何処か柔らかい。
やはり何かお面白そうなものを見つけて興奮しているのだろう。
本当に無駄なまでに高性能な彼女にミキは手を焼き続けている。
「それで何を見つけたんだ?」
「えっとですね……あっちに大きな水があります。良いですよね? 水浴びしても」
「そこそこ寒いが平気か?」
「……身を清める為なら寒さだって」
ポロッと涙を溢して宣言する彼女の頭を優しく撫でる。
冷たいと知っていても止められないのが、彼女のシャーマンたる宿命なのだろう。
「出来たら焚火を起こすまで飛び込むなよ?」
「飛び込みません! ミキは私を何だと思っているんですか?」
「勢い任せの衝動娘」
「あ~っ! 難しい言葉を使って誤魔化しましたね! でも分かります。絶対に今のは……」
どっちかな? と覗き込んで来る彼女に、彼は軽く笑ってやる。
「褒め言葉ですね。もうミキったら~」
首に飛びついて頬にキスをして来る。
相手が笑っているのだから、気づかれなければ悪口だって褒め言葉だ。
「今夜の野営地も探さなきゃならないから早く行くぞ」
「は~い」
嬉しそうに左腕に抱き付き、彼女が見せる極上の笑みに……ミキは軽く息を吐いた。
途中から漂って来る匂いにミキは違和感を覚えていた。
久しく嗅ぐそれが何だかを思い出している間に、答えの方が目の前に広がったのだ。
ザザーンと寄せては返す白波。
それを見て鼻を動かせば、漂っているのが磯の香りだと分かる。
つまり……そう言うことだ。
「ミキミキミキっ! 物凄く大きな湖です!」
「……」
両手を胸の前で握り締めて、訳も分からず振り続ける彼女の様子に……一瞬それで押し通そうかとも考えたが、辿り着いてしまった物は仕方がない。
「レシア」
「何ですか?」
「……これが"海"だ」
「そうですか」
話を聞いていないのか、我慢出来ずに走り出した彼女は……しばらく走ってからそれ以上の速度で戻って来た。
「ミキ! 今なんて言いましたか?」
「海だな。これが海だ」
「……」
頬に指をあててレシアは首を傾げて見せる。
余りにも可愛らしい動作に、思わず彼は相手を抱きしめてしまいそうになった。
「って、これが海なんですか!」
「ああ。ずっと北を目指せばいずれ海に出るよな。すっかりそのことを忘れていた」
失念と言うか、完全なド忘れだ。
地図も持たずに旅をしていることもあったが、ミキの中でいつしか『海は西』が沁み付いていた。
「じゃあじゃあ……目的達成ですか?」
「そうとも言えるな」
「嫌です嫌です。もっと色々と見たいです」
地面を蹴って嫌がる彼女は子供の様だ。
気持ちは分かるが……別にこれで旅が終わった訳では無い。
「まあ目の前に海があるんだ。とりあえずそれを見てから考えるとするか」
「……はい」
渋々と言った様子で彼女は頷いた。
「うわ~! ……にゃ~ん」
「靴は脱げよ」
「は~い」
走りながら器用に靴紐を解いて、彼女はサンダルの様な形状をした靴を置いて行く。
ミキは背負った荷物を砂の上に置くと、彼女の足跡を辿るように歩を進めた。
靴跡から靴、そして裸足の跡へ……その変化を楽しみ彼女の靴だけを回収する。
視線を海へと向けると、早速素足のまま突撃した彼女が波と戯れていた。
「ミキミキっ! 凄いです。こうザ~っと来て、ああ。足元の砂が無くなります」
「そうか」
「にゃ~ん。気持ち良いです。楽しいです。すっごいです」
自分の言葉を体現するかのように彼女は足を振り上げ波を蹴る。
と、ブヨブヨ~とした物が一緒に宙を舞った。
ふとそれが気になったミキは、砂浜に転がったモノを見る。
透明で水の塊の様なそれを……彼は何であるのか知っていた。
「レシア」
「はい?」
「……足がちょっと痛いとか感じて無いか?」
「はい。ちょっと痛いです。でも知ってます。海の水はとってもしょっぱいって。たくさんの塩が混ざっているって。だからその塩でヒリヒリと言うか、チクチクと言うか、ジンジンと言うか……」
手遅れだった。これ完全に失念していた。
「ちょっとミキ? いたたた。痛いです」
波で遊ぶ彼女の腕を掴んで砂浜まで引きずる。
不満の声など後回しだ。急ぎしゃがんで彼女の足を確認した。
「あの~何か? ってあれ?」
「刺されてるな」
「何なんですか!」
無数のクラゲに刺されたレシアの足は、至る所が膨らんでいた。
(C) 甲斐八雲
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