其の参

「ほえぇ~。ミキミキ。凄いですよ」

「ああ」

「何て言うか……大地が割れてます」


 彼女が言っている言葉には誤りがある。

 だが詳しいことを知らない者が見ればそう勘違いしても仕方ない。


 東部と北部の境から中央草原、南部と縦に分断する大渓谷……その一部分に隊商は差し掛かっていた。

 無論谷を渡す橋などは無く、先人たちが作り出した道を使い一度底まで降りて反対側へと昇る。


 場所によっては底に水が走っている場所もあるが、それは雨期に溜まり出来た物であり、峡谷の様に底を川が走っている訳ではない。

 なぜこの地に、凹の様な谷が存在しているのかは謎のままなのだ。


 ガタガタと馬車は揺れながらゆっくりと坂道を下り底に付く。

 今日はここで夜営を張り明日はほぼ一日を費やして反対側の坂を昇ることになる。


「降りは馬車が一気に駆け下りないようにすれば良いが、昇りは上げる作業と落ちない作業を同時にしながらなんで大変らしい」

「へ~」

「だから今日はぐっすり寝て明日に備えておけ。女と言えども明日は砂袋を持って走ることになるそうだ」

「は~い」


 元気に答えたレシアは、張り終えた天幕の様子を確認して早速燃えだした焚火の方へと歩いて行く。

 別にそこで踊る必要は無いのだが、火を燃やす性質上……一番平らな場所がそこなのだ。


 やんややんやと寝る支度を終えたのか分からないが、男たちが騒ぎ出して手を叩いている。

 少しは愛嬌を振りまけば良いのだが、レシアはただ練習の為に踊っているので周りの声にあまり耳を傾けない。普段通り適当に軽く踊ってみせるだけだ。


「若いの」

「ん?」

「明日の登りは……まあ地獄だが、問題はそこからの数日間だ。期待してるぞ」


 熟練の護衛がそう声を掛け、寝ずの番に備えてさっさと寝てしまう。

 ミキは何となく明日登る坂を見上げて……気持ちをその先へと向けた。


『中央草原』


 この大陸のほぼ中央に存在する草原と丘陵地帯とで構成される部分を指す。

 そしてもう一つの呼び名が、


「大トカゲの狩場か」


 自嘲気味に笑う。


 何でも中央草原には古来より空を飛ぶ大きなトカゲが居て、不用意に入り込む人間を一飲みにしてしまうらしい。

 ただの伝承だろうと思う者も多いが、この隊商の中にはその姿を見た者が多数いる。

 法螺や嘘では無く、実在する存在なのだ。


「見てはみたいが……出会いたくは無いな」


 視線を巡らせて舞を披露している彼女を見る。

 練習がてらの軽い踊りでさえ見入ってしまうほどの美しさだ。


 今日は頭に七色の球体を乗せているから、しっとりした感じで踊ってはいるが。


「シャーマンは……って色々と言われているからな」


 もし本当に出くわして生き残ることが出来たら、少しぐらい彼女に八つ当たりでもしようとミキは決めた。



 しかし三日後……それは現実となった。




「伏せろ~っ!」


 誰かの叫びに、彼は荷馬車の上に居るレシアを引き摺り下ろした。


 抱きしめて地面を転がるようにして荷馬車の下へと体を押し込む。

 叩きつけるような風に、その圧に、荷台がギシギシと音を立てる。


 ガタガタと震えているレシアの様子を確認して、ミキは彼女の額に唇を当てた。


「大丈夫だ。まだ生きてる」

「……」


 カタカタと奥歯を震わせているレシアは完全に飲み込まれていた。


 それは恐怖だ。


 絶対的な権力者……支配者が持つ圧倒的な気配に飲まれ、屈服してしまっていた。

 ポンポンと彼女を抱きしめ背中を叩いてやりながら、ミキはこの状態が、この嵐が静まるのを待った。




 それは本当に不意だった。

 ミキがいつも通り、飛蝗バッタ蟋蟀コオロギが混ざった様な化け物を斬り捨てて間もなくのことだった。


 移動を再開することになったので、地面に立って居たミキは荷台に上がろうとした。

 不意に荷馬車の上で寝ていたレシアが立ち上がり、ある一点をこ見つめる。


 彼女の様子を不審に思ったミキが声を掛けようとした瞬間『コォッコォケェーッ!』とえらく音程のを外して騒いだ球体が、彼女の上で騒ぎ出し……そのまま逃げるようにレシアの胸に飛び込んだ。


 元々何を考えているのか分からない生き物ではあるが、彼女の双丘が三つの丘になったのを見ると間抜けにしか見えないので、ミキは彼女の服から引き抜くかと思ったのだが……それでも空を見ているレシアがらしく無いことに気づいた。


「どうした?」

「……来ます」

「何が?」

「……ダメです。あれはダメですっ!」


 ボロッと涙をこぼし震えだした彼女は、頭を抱え蹲った。


「ダメです! 来ちゃダメです! アナタは皆を殺してしまいますっ!」


 何事かと思い荷台に上がろうとした彼は、全身を貫く殺気に身を震わせた。

 振り返るのと同時にそれが頭上を通り過ぎる。


「ごふっ」


 背後から叩きつけられた風に押され荷台と激しくぶつかったミキは、不意のことで息を詰まらせた。

 どうにか堪えて視線を向ければ、通り過ぎたモノの姿が向こう側で浮かんでいた。


 背中にある羽で空を叩き、その巨体を浮かべているそれは……間違いなく大きなトカゲと呼んでも差し支えの無い存在。


 彼が元居た世界ではその生き物を形容する存在は居ない。

 ただ西洋ではこう呼ばれている……『ドラゴン』と。




(C) 甲斐八雲

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