其の肆

 煌々と大地を照らす太陽を隠す様に、大きな影が通り過ぎる度に激しく砂が巻きあがる。

 人が立って居ることなど出来ない。

 皆が地面を転がり、荷台ごと横転した馬がいななき叫ぶ。


 どんな戦場であってもこんな地獄絵図はそうそう見られない。

 圧倒的な強者が弱者を弄ぶかのように、子供が地面を這う蟻を玩具にするかのように……空を飛ぶ大トカゲは何度も隊商の上を往復しては、その大きな羽で起こす風で人や馬車を弄び立ち去って行った。


 それをミキは、地面を転がりレシアを抱きしめた状態で見上げていた。

 震えて身動き一つできない彼女を強く抱き締め直し、彼は片手を空へと向けて伸ばした。


「あれは……義父殿でも敵うまい」


 なら一方的に負けても仕方がない筈だ。


 苦笑し、彼はもう一度腕の中に居る相手を抱きしめた。

 全力で庇ってはいたが、余りの風圧で地面を転がったので擦り傷などは負ったかもしれない。


 全身に激しい痛み、多くの打撲を得たミキは……息を吐いてそっとレシアの髪に口を寄せた。


「大丈夫だ。もう終わった」

「……」


 プルプルと震えている彼女の口は、ただ一言をこぼし続けている。

『怖い。怖い』と。




 大トカゲが遠ざかっても人々は動けなかった。

 日が沈み辺りが暗闇に包まれ、身を寄せ合い恐怖に耐えながら迎えた朝日を見てようやく一息ついた。


 打ち所が悪く死んだ者を埋葬し、壊れた荷台は直せる物から急いで直す。

 使えなくなった馬は潰して肉とし、生きて居る者たちで腹の中へと収めて行く。

 毎回この道を使い続けている隊商が、数年振りに襲われた原因……それは最も簡単なことだった。


 気の緩みだ。


 中央草原に入った時点で本来なら気を引き締めるべきであった。だが人は『もう何年と姿を現していないから平気だろう』と勝手解釈して、遠回りしていた道を少しずつ内側に寄せて行った。

 それは中央草原のより内側を通ることとなり、大トカゲに襲われる機会を増やしていたのだ。


 今回はたまたま運が悪かったとも言えるが、大トカゲが地面に舞い降り襲いかかって来ていればもっと酷い被害になっていたことは間違いない。

 だから運が良かったとも言える。


 商人や隊商の責任者などが話し合い、動けるようになってから遠回りの道へと舵を切ることになった。


 全身打撲で地面に座り動くことを諦めているミキは、自分の隣に座る少女を見る。

 馬の肉を焼いた物を……その串焼きを、モソモソと食べている彼女はまだ様子が変だ。

 何か物音がする度に過剰に反応してミキに抱き付いて来る。


 抱き付かれる度に激痛で目の前に星が散るが、それでも彼は耐えて声すら発しない。

 人とは違う物を見ている彼女がどれ程の恐怖を味わったのか計り知れないだけに、ミキはただただ優しく接し続けるのみだ。


「もう良いのか?」

「……はい」


 彼女の言葉に胸元から飛び出して来た球体が、残りの肉を全て飲み込む。

 本当に何をどう食べているのか分からない動きで、肉だけが綺麗に消えてしまった。


 自分の肩を抱きブルブルと身を震わせたレシアは、体を傾けるとポテッとミキに頭を預ける。

 そんな彼女の頭に手を伸ばし彼は優しく撫で続ける。


「ミ……キ」

「ん?」

「あれは……何ですか? 何なんですか?」

「俺も詳しくは知らない。昔から語り継がれている伝承では、この中央草原に住まう大陸最大最強の化け物だとか。その皮膚は鉄よりも硬く、その顎は何でも噛み砕く。立ち向かう者は誰一人として帰らず、故にこの中央草原はあれの狩場と呼ばれている」

「……」


 説明を受けた彼女が理解したのかどうかなどは分からない。

 ただ震えながら必死に頬を擦り付けて来る様子に、ミキは子供でもあやす様な気分にすらなる。


「誰一人として制する者が居ない……この地の支配者さ」

「けっけっけっ……それは違うさね。小僧よ」


 その言葉にミキはともかくレシアですら心底驚き顔を向けた。


 二人が感じ取ることの出来なかった声の主は……まるで陰から湧き出る様にして姿を現す。

 ボロボロの黒い布で全身を覆う老婆だ。


「きっきっきっ……儂を感じ取れなかったのかね? 青い青い」

「何者だ?」

「くっくっくっ……ただの通りすがりの婆さね。でもあんた等のお蔭で"あれ"がまた人をからかうことを思い出してしまった。これじゃあこの辺でのんびり出来ないからね、一言文句を言ってやろうと思ったのさ」


 布の奥から覗き込む老婆の目には、人間らしい気配を感じることが出来ない。

 しいて言うならば人の姿をした別のモノ。


 ミキはそっと刀に手を伸ばし掴もうとするが……ズキッと走った痛みと、腕に抱き付いて来るレシアの動きで諦めた。


「賢い判断だね。今のお前じゃ儂には勝てんよ」

「それはどうかな?」

「こっこっこっ……投げナイフで眉間を狙って、回避したところをその武器で突く。普通の人間なら狩れるだろうが儂には無理だ。飛んで来たナイフを受け止めてその娘に投げつける。さあどうするね?」

「……」


 満身創痍の今の状態では、そんなことをされれば間違いなく庇え切れない。

 ギュッと右腕に抱き付き、フルフルと頭を左右に振り続けているレシアに従うことにする。


「かっかっかっ……その娘に感謝するんだね」


 老婆はそう告げると、隊商の代表たちが話し合っている方へと歩き出した。


「ミキ」

「何だ?」

「あの人……人じゃないです」

「ああ。あの手の老婆は昔から、基本食えん存在だと相場が決まっている」


 激痛に顔をしかめながら、彼はゆっくりと立ち上がろうとした。




(C) 甲斐八雲

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る