閑話
其の壱
「これはわざわざ」
「いえ。こちらこそ初めてお目にかかる」
指定された場所で待っていれば……訪ねて来たのは、その齢若さから想像できないほどの知略を用いて数多くの勝利を呼び寄せている軍師だった。
この地方では珍しいはずの黒髪黒目の人物は、優しそうな表情を浮かべている。
歳は30ぐらいか……それを見定めて自然石に座って居た老人は立ち上がった。
こちらは傍から見ても年老いた様子の解る老人だ。白髪でその顔や手などには皺も見える。
だが背筋には棒でも差し込まれているのかと思うほどピンと伸び、手近に置かれている武器は長くて真っ直ぐの長剣だ。
「どうぞお掛け下さい」
「いえいえ……これも鍛練ですよ」
当たり障りのない言葉を発して相手の気配りを断る。
闘技場あがりの解放奴隷とは言え、地位や立場から言えば市井に居る隊商護衛の仕事を求める荒くれ者と大差ない。
仮に相手が自分と同じ場所の出身だとしてもだ。
それを察してか、軍師の方も繰り返し声を掛けず辺りを見渡すとその目を細めた。
「なら……少し歩きませんか?」
「そうですな」
こちらを伺う気配は五つ。
老人は相手の難しい立場も考慮して共に歩くことを選んだ。
「して本日の呼び出しは何用で?」
「はい。実は……貴殿の腕を見込んで一つ仕事を頼みたいのです」
「ほほう。この老いぼれにですか」
カカカと年寄りらしくわざと笑い、老人は並んで歩く者に問う。
「ファーズンでも指折りの軍師。現在は国の東に砦を築いている責任者様が……この老いぼれに何を頼みますのやら」
「はい。実は……自分の妻子を逃がしていただきたい」
「妻子を?」
「ええ」
「それは何故に?」
「……簡単な話です。自分は近いうちに殺されるでしょう」
自分の死を他人事の様に言う相手に老人は強い興味を得た。
年齢から闘技場での生活も辛くなり、一線を退いてからは蓄えた銭で悠々自適に暮らして来た。
その生活に不満が無いと言えば嘘になる。
平和過ぎる生活は自分自身の中に眠る戦いへの渇望を増殖させるだけだった。
「何故殺されるか聞いても宜しいか?」
「ええ。東の砦が、この国を裏切り独立するからです」
「独立?」
「はい。……正直に言えば、その為に作った砦ですので」
迷うことなく真実のみを告げる軍師は、軽く空を見上げた。
「ご老人。貴殿は何処で目覚めましたか?」
「……このファーズンの片田舎であったよ」
大半の者が答える返事を老人も返して来た。
「そうですか。自分は……ある不思議な場所でした」
「不思議とな。この世界が摩訶不思議であるが?」
「ええ。ただそこはシャーマンたちが"聖地"と呼ぶ場所だったのです」
動かし続ける足が軽くもたついた。
老人は長年培った足腰の動きで転倒を堪え、普通に歩みを続ける。
「聖地など存在しないが……この国の指導者の言葉では無かったか?」
「はい。でも聖地は実在します。そして自分の妻はその聖地で出会った娘です」
「……つまりはシャーマンであると?」
「はい」
「……」
老人はその事実を知り、何とも言えない思いに駆られた。
シャーマンと呼ばれる娘たちが迫害の対象となり、兵に捕まっては犯され殺されている事実を知っている。シャーマンでなくとも疑わしいと言う理由で同様の目に遭った娘すらいる。
グッと首からかけている物を服の上から握り締め、老人は深く息を吐いた。
「妻がシャーマンであれば子もシャーマンであると?」
「いえ。それは分かりません」
「分からない?」
「はい。何故ならまだ妻の腹の中にございますので」
「身重の者を連れて逃げよと申すか?」
「はい。ですからこのような無理難題を頼めるのは、自分が知る限り貴殿のみにございます。ガンリュー殿」
老人……ガンリューは、改めて深く重い息を吐き出した。
相手が自分の素性を知っているのは、相手の部下が届けた手紙から推測出来ている。
何より今の会話で確信している。相手は自分と同じ場所の出だと。
「拙者はただの老いぼれ。買いかぶり過ぎでしょうな」
「ですが貴殿はその齢で剣豪武蔵と戦ったと聞きます」
「……だが負けた。それが全てだ」
老人はどこか自嘲気味な笑みを浮かべた。
そう。あの果し合いで確かに負けたのだ。腕でも、相手の度量にも。
命を奪うことを選ばなかった相手に、自分が自害できない理由を告げ……一思いにと懇願した。
それでも生きろという相手の言葉を受け止めきれずに、感じていた視線から彼の弟子が居ると確信して剣を振り上げたのだ。
案の定……彼の弟子たちが命を取ってくれた。
意識が消える前に聞こえた来た言葉は、弟子を激しく叱責し老いぼれの体を激しく揺する相手の力強さだった。
負けて悔いは無かった。
でも……悲しいかな。未練だけが残った。
「頼めませんかな。ガンリュー殿」
足を止めジッと見つめて来る相手に老人の答えなど決まっていた。
迫害を受けて苦しむ同胞を幾人も見て来たのだ。それから救いたいと思うのはある意味での使命だ。
そっと胸の前で十字を切った老人は深く頷き承諾の威を示した。
受けた以上知りたいことがある。
「……問いたい」
「何でも」
「砦を独立させて何とする?」
「ファーズンの拡大を防ぐ一手となりましょう」
「そうか。なら……妻子を逃がしてどうする? 拙者ももう若くは無いが」
その問いに相手は渋い表情を浮かべたが、意を決した様子で口を開いた。
「……ある人物を探し預けて欲しい」
「ある人物とは?」
「貴方も知る剣豪の……その
(C) 甲斐八雲
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