其の捌
「いらっしゃ……お父さんっ!」
「おおヒナ。ヒナよ……」
千鳥足と呼ぶにふさわしい足取りで、彼は店内に入って来た。
薄汚れた衣服にだらしなく伸びた髭。
頭の毛にも白い物が混ざり、手入れがされていないのか伸びたい放題だ。
店に居た客は『酔っ払いか』と向けた視線を元に戻す。
だが一人だけ見続けている人物がいた。レシアだ。
彼女は店の入り口から入って来た彼の足取りを見つめていた。
酔ってフラフラの歩き方なのに決して倒れそうに見えない。
体だけ見ていれば今にも倒れてしまいそうだが、その足の裏は床を捕まえて放していない。
その歩き方はまるで……
「来る時は裏に回ってっていつも言ってるでしょ?」
「済まんな……」
「もう待ってて」
彼女は厨房へと駆け込むと陶器の瓶を持って戻って来た。
「お母さんには秘密よ。それとあまり飲まないでね」
「おお。有り難い有り難い」
ペコペコと頭を下げた男は、瓶を抱いてフラフラと店から出て行った。
そんなヒナの態度が、まるで厄介払いでもしている感じに見えたのがレシアには不思議だった。
「どうかしたのか?」
店の奥……トイレに行っていた彼が戻って来た。
「ん~。あれです」
「どれだよ」
「あれなんです。こ~んな感じでこ~~んな?」
「分かる言葉で説明しろ」
「む~。……ヒナさんのお父さんが来ました」
「そのことを説明するのに前の言葉が出てくる不思議を俺に説明しろ」
「あ~も~。ミキは私より頭が良いんですから理解して下さい」
「分かるか馬鹿」
「も~!」
適当に動かしている感じにも見える手の動きからレシアが何か伝えたがっているのは分かる。
だがそれを理解出来るのは、きっとこの世に彼女だけだろう。
「言葉で説明しろ」
「だからあれがこ~なんです」
結論として彼女の言葉からミキは答えを見つけることが出来なかった。
「兄貴!」
「ん?」
「うおっと!」
「ちっ」
「舌打ちしましたか! あ……腰のは冗談にならないですから!」
「ちっ」
全員が彼の間合いから逃れたので、ミキは諦めて十手を腰の後ろに差した。
「ミ……キ~!」
「これを回避するんだから本当にお前って凄いよ」
「ふんにゃ~んっ!」
咄嗟の彼の攻撃を背中を反らして回避した彼女は、放物線を描いて地面擦れ擦れになっていた頭と体を起こした。普通なら背中から地面へ倒れてしまう動きだが、体が柔らかいことと下半身の筋肉が確りしているから行える。
傍から見ても怒っているのが分かるほど肩を怒らせる彼女に、ミキはポンポンとその肩を軽く叩いた。
「良い感じで下半身が強くなって来たな」
「……本当ですか?」
「ああ。それに柔軟も続けて来た甲斐があったな……随分と柔らかくなった物だ」
「えへへ。褒められました」
満面の笑みを浮かべる彼女の頬を一撫でして、二人は止めていた足を動かし雑貨店へと
「だから、あ……先生っ!」
「気の利かん奴だな。見逃しているんだから立ち去れよ」
「ちょっと! 俺たちは悪人面してますが悪人じゃありませんから!」
「なら仕事をしろ」
「ですから」
「何度も言ってるが……俺は旅の者。こんな街で権力争いで足を止める気はない」
「ですが」
「いい加減にしておけ」
「……」
刀の柄に手を置き軽く睨むミキに、男たちは迷うことなく後退すると回れ右して立ち去る。
ため息を吐き出して視線を巡らせた彼は……建物の影に隠れている一団を睨んだ。
「そっちも大人しく帰れ。つまらんことを考えれば俺も本気で抜くぞ?」
本気の言葉に隠れていた男たちも消える。
権力争いがしたいのなら自分たちですれば良いものを……。
「何で巻き込もうとするのかね?」
「ん~。あれですね」
「……」
「あれです」
何故か軽く腕を振りながらレシアは何かを言おうとしては口を閉じる。
しばらく待ってみたが……相手の視線が救いを求める物に変わったので諦めた。
「何も思い浮かんでいないのなら無理をするな。待つ方が疲れる」
「……ごめんなさい」
「まあ良い。きっと何か理由があるんだろうが、護衛の仕事が見つかり次第この街を離れよう」
「ですね。……でも良いんですか? 長剣の人を探さなくても」
「探そうにも噂ばかりだからな。それも過去の話だ」
「でも……」
こちらを見て来る彼女の頭をポンポンと優しく叩いてやる。
レシアの言いたいことは分かるが、それを無理やり聞くほどの覚悟は無い。
ただ相手のことを確かめたいと漠然と思っただけ。相手の素性を。その過去を。
ポンポンと置かれた相手の手を掴まえたレシアは、彼の顔を見つめる。
いつも通り微妙に動かされた瞳は上手く覗くことが出来ない。軽く体を動かし覗こうとするが、瞳を動かされて回避される。
「む~。ミキはどうして私に瞳を見せてくれないんですか?」
「誰だって見られたくない物はあるんだよ」
「……私は無いですよ?」
「お前は裏表が無いからな。ある意味幸せで良かったな」
「馬鹿にされてますか?」
「褒めてるぞ」
「褒められてるなら良いです」
ギュッと腕に抱き付いて来た彼女に呆れつつも、ミキはぼんやりと思う。
もしかしたら自分は……長剣の使い手と会いたくは無いのではと。
(C) 甲斐八雲
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