其の拾陸

「私が綺麗だなんて……そんなことはありません」

「ん~でも、本当に綺麗な」

「あり得ないんです!」


 切り裂くようなその叫び声に、叱られた子犬の様レシアが身を縮めた。

 プルプルと震えながら恐る恐る相手を見ている様子が何処か可愛らしく……ミキは彼女の頭を撫でてやりながらクリナを見た。


 こちらも全身を震わせて……泣いていた。

 きつく自分の腕で体を抱きしめて、何らかの恐怖に抗う様にだ。


 そっと息を吐いて、ミキは抱き付いているレシアの頭を軽く叩いた。

 怯えた視線を向けて来る相手を軽く睨みつけて、『黙ってろ』と強く心の中で念じておく。


「済まないな。これの言葉に悪気は無いんだ。ただ……人の本質を見つめるので、お前の過去や体験は度外視で言葉を発する。ある意味で子供だから許してやって欲しい」


 軽く頭を下げてこちらの非礼を詫びる。


 全身を震わせ、その唇をきつく噛み締めている彼女からは明確な返事は帰ってこない。

 まだ心の中が荒んでいて、言葉を発することすら出来ないのだろう。


「まあ……言い訳にしかならないが、これの人を見る目は世界有数だと思う。たぶんな。それがお前の本質を"綺麗"だと言ったんだ。ならたぶんそうなんだろう。過去がどんなに不幸であっても、人の本質は変わらないと思う。善人は死ぬまで善人であると俺はそう思っている」

「……」


 涙色に染まるその目が、弱々しく悲し気な表情が、震えたままの状態でミキに向く。


「お前はただ一生懸命幸せになろうと頑張って来たんだ。結果……良くない方向へと転がり続けたがな。でも頑張って来た行為は決して無駄じゃない。お前の血肉となって確かに残っている」


 フッと息を吐いて、ミキはその顔に笑みを浮かべた。


「自分で言ってたじゃないか。子を成すことが出来なくても……自分の生きた証を残したいと。それがお前の本質だよ。一生懸命に頑張り続けられるのはとても素晴らしい才能なんだ。だからそう自分を蔑むな。堂々と胸を張ってこれからを生きれば良い」

「……そう思いますか?」

「ああ。どん底の底に居るなら、後は上を目指して昇るだけだ。その行程は大変だろうが……目標とすれば至極簡単だ」

「簡単……ですか?」

「ああ簡単だ。ただしまた一生懸命頑張らないといけないけどな」

「そうですね」


 その顔に涙を残したままのクリナは、引き攣る様な笑みを見せた。


 う~う~唸っているレシアの目に何が見えているのかなんて、何も見えないミキですら容易に想像が出来た。

 きっと綺麗な空気とやらを纏っているのだろう。


 ミキはそこで改めて座り直すと、真剣な眼差しをクリナへ向けた。


「実はお前に頼みたいことがある」

「……私にですか?」

「ああ。掻い摘んで今後の成り行きを説明すると、出会った隊商にお前を預け王都シュンルーツへ辿り着いたら……馬車に乗ってファルーフへ向かって欲しい」

「古都ですよね?」

「そうだ。そこの闘技場に今、"キャッシバ"と言う俺の古くからの知り合いがいる。そいつに手紙を書くから、ハインハルに居る"クックマン"と言う奴隷商人の元へ行って欲しい。勿論その足代はこっちで負担する」

「……それで?」


 戸惑い困った様子で彼女は話を促す。


「クックマンの元へ着いたら、もう一つ手紙を渡しておくからそれを見せれば良い。アイツならお前を"シュバル"の元へ送り届けてくれるはずだ」

「しゅばる?」

「ああ。俺が育った戦士団だ。そこに居る俺の親代わりの老人にお前を預けようと思っている」


 話の途中で気づいていたレシアは、うんうんと激しく頭を上下に振って肯定している。まだ律儀に『黙ってろ』の厳命を守っている様子だ。

 良く分かっていないクリナは……どこかまだ困った様子で視線を彷徨わせている。


「あの……その人に預けるって?」

「ああ。お前のことは俺が買う。だからその代金を持ってシュバルの所に居る"ガイル"の元に行って欲しい」

「その人は?」

「……俺の育ての親だ」


 言葉を続けるのが照れくさいのか、ミキは軽く頬を掻いた。


「ガキの頃から育てて貰った恩がある。だが俺はレシアと旅に出ることを選び……恩返しをしない親不孝者になってしまった訳だ。それが心残りでな。もし良い人が居たらと思っていたんだ」

「……それで私なんですか?」

「ああ。あの頑固で偏屈な爺には丁度良いと思う。何より働き者のお前が側に居れば、あの見栄っ張りのことだから休まず働く。老いてる暇も無いほどにな」


 ニコニコと笑っているレシアの態度にイラッとして、軽く手刀を振り下ろしておく。

 素直に食らった彼女は、それでも笑顔のままだ。


「俺の代わりにあの人が死ぬまで側に居てやってくれないか? あの人が死んだら自由だ。齢も齢だし……そんなに長いこと拘束もされん。何よりそこそこの銭を貯めているはずだから死んだら全部貰えば良い」

「……つまり私にその恩人の介護をして、死ぬのを見届けて欲しいと?」

「その通りだな。否定はしないよ」

「無茶を言うんですね」

「それも理解している。だからお前を『買う』と言ったろ?」

「商人でも無いのに売り買いすると、協会から恨まれますよ?」

「悪いな。これでも商人協会所属の商人でもあるんだ」


 懐から取り出した鉄の板を相手に見せる。

 目を丸くして驚いたクリナは……その表情を崩した。


「……どん底から拾ってくれた貴方のお願いです。なら断る理由もありませんね」

「助かるよ」

「なら私をかって買ってください。お代は……その恩人さんの元に辿り着けるだけの旅費で良いです」

「良いのか? そんなはした金で?」

「ええ」


 クスッと笑ったクリナは、その目を細めた。


「そのはした金が……私に素晴らしい未来を与えてくれると信じていますから」




(C) 甲斐八雲

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る