其の拾参
「そういう事か」
「……」
小川で体を清めた彼女は、ことごとくレシアの手伝いを拒絶し続けた。
体を見られたくなかったのだろうと……戻って来てから憤慨し続けるレシアの頭を撫でてやり、その辺りの配慮を忘れていたことを心の中で謝っておく。
口に出さないのは、相手を慮ってのことだ。
彼女の荷物の中に存在していた着替えを着せ、焚火の前で食事をしながら相手の話をようやく全て聞き出した。
行商をしていた両親に連れられた彼女……クリナは王都へ向かっていたのだ。
理由は出稼ぎ。贔屓にしている宿屋で定期的に働くことで、彼女の両親は仕事を得ていた。
「これから行く宛は?」
その問いにフルフルと頭を振る。
男の荷物を漁ってみたが、現金だけしか手に入らなかった。彼女の両親から奪った物だろう。
ただその金額も決して多くない。余程苦しい商いをしていたのが計り知れる。
いやもしかしたら……
「身売りか?」
その問いに俯いたままのクリナがビクッと反応した。
答えとしては十分だった。
商売が苦しくなっていた両親は、彼女を売ろうとしていたのだろう。
それを理解してて彼女は今回の行商に付いて来ていたのだ。親孝行と言えばそれまでだが。
「なぜ自分を捨てる?」
「……私は結婚して子供が出来ずに捨てられました。その話が村の中に広がり、この齢もあって貰い手が無いんです。だから」
黙って話を聞いていたレシアがギュッと抱き付いて来る。
そんな彼女の頭を撫でてやり、ミキは深く息を吐いた。
その話は想定していなかったのだ。これは後でどうにかしないとならないだろう。
「俺には奴隷商人への伝手がある。お前の人生だ……明日の朝までに決めろ」
「……」
「奴隷となって売られるも良い。取り戻した金を持って王都で仕事を得て暮らすも良い。……子を成せなくても何も人生を投げ捨てる必要なんて無いんだ」
「……」
「これは置いとく。好きに使え」
ミキは隠してある投擲用の投げナイフを取り出しクリナの足元に投げた。
それを見つめる彼女の目に……暗い火が点って見えた。
「ミキ」
「ん?」
「あの人は……どうするんですかね?」
「さあな」
天幕が狭いこともありレシアと二人で使うことを勧めたが、彼女は一晩考えたいと焚火の傍に陣取った。だから天幕の中にはいつも通り二人きりだ。
身を寄せて来るレシアが普段以上に抱き付いて離れない。
ミキは軽く笑うと彼女の耳元に囁いた。
「子供が出来なくてもお前と別れたりしないから心配するな」
「……本当ですか?」
「ああ。信じろ」
「……良かったです」
ギュッと抱き付いた彼女は、安心したのかそのまま眠ってしまった。
クリナは足元に転がってていたナイフを手にすると、それを手の中で転がしていた。
両親の命を奪った道具より小振りだが、その機能は劣ることは無い。
尖った先端を自分の首に当てて突き刺せば……その全てが終わる。ようやく終われる。
だから彼女はそれを見つめて手の中で転がしていた。
こんなにも簡単に終われる自分の人生が、本当に滑稽で涙が溢れて止まらない。
商売はそんな上手では無かった両親に囲まれ育った自分は、本当に愛されていた。
見た目は良かったからだろう……村の豪農の長男に嫁ぐことが決まった。十五で嫁いだあの時が幸せの絶頂だった。
毎年毎年子供を成せないことをネチネチと姑に言われ、それでも家事を率先してすることで自分の居場所を護ろうと努力し続けた。
二十の時……夫が手伝いの村娘と子を成したことで世界が一変した。
"子を作れない"と言うレッテルを張られ実家へと戻された。そうなればもう貰い手など居ない。
三年間……自分を養ってくれた両親には心から感謝していた。
自分が子を成せず捨てられたことで、豪農から仕事を得られなくなったことを恨んでいた両親を。
仕入れに使うお金を生活費に回してしまい窮地に陥った両親が、自分を売ることを考えるのはもっともなことだった。
自分たちの老後の心配など今は考える余裕すら無いのだから。
どん底だと思っていた人生はまだその下があった。二重底なんて本当に酷い世界だ。
両親を殺して興奮しいきり立っていたあの男は、きっと初めて人を殺したのだろう。
その思いの捌け口として存分に使われたのだから良く分かる。
これで本当に終わったと思っていたのに……この世界はどこまで自分を苦しめて弄ぶのだろうか?
クククと喉の奥で笑い、クリナは顔を覆って涙を溢し続けた。
「薪をくべないと火が消えるぞ」
「……なら凍えて死ねば良いのよ」
「朝食の為にまた灯さないとならないから勘弁してくれ」
焚火の傍に来たミキは、近くに在る薪を適当に放り込んだ。
「ねえ?」
「……」
「どうして私を助けたの?」
「……お前の後ろ姿が、俺の知っている後ろ姿と似てたからだ」
「そう。その人も死にたがっていたのね」
「いや……長生きする気満々だったよ。ただ子が成せなくて、それを自分のせいにして苦しんでいた」
「……」
薪の木を軽く掴んで……ミキは苦笑染みた笑みを浮かべた。
彼女は決して夫のせいにしなかった。全ては自分のせいだと追い詰めていたのだ。
その背中は何処かいつも寂しげで……見てて心が潰れそうなほど苦しかった。
薪を入れ終え、ミキはゆっくりと立ち上がった。
何かの間違いでレシアが今起き出しでもしたら大変だ。
「ねえ?」
「ん」
その声が天幕に戻ろうとした彼を引き留める。
「その人はどうなったの?」
「……知らないんだ。いやたぶん分かっている。でも今はまだ知らないんだ」
苦しそうな言葉を残し彼は深く息を吐き、その足を動かした。
寂しそうな背中を見送ったクリナは……手の中のナイフをもう一度転がした。
(C) 甲斐八雲
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