其の拾

 ミキはカウンターの隅で拾い集めた噂話などを総合する。


 金持ちなどが隠し持っている説。これに関しては打つ手が無いのでどうしようもない。

 絶滅してもう居ない説。それをすんなり信じてくれるとは到底思えない。

 残るは……北西の木々が多く茂る場所に居る説。現在有力なのはこれだ。実際に羽を見たと言う目撃情報もある。


 ワインを満たしたコップを軽く振って中身を回し眺める。


 ただ誰に聞いても猿人族の脅威が付いて回った。

 曰く……人の背丈よりも大きな猿で、その怪力は人の背骨を簡単に抱き折る。動きは決して遅く無く、最もの問題は群れを作って行動していることだ。


 厄介と言うよりも難敵に等しい。レシアなら群れの長と心通わせればどうにか出来るかもしれないが……彼女が言うにはあの御業にも弱点がある。

 相手に交渉の余地が無ければ駄目なのだ。


 ガギン峠に居たモノたちは、ラーニャが手なずけて連れて来たか、現地でレシアが仲間にした。

 どれも人に対して絶望的な溝が出来上がっていなかったから、心を通わせることが出来る。しかし心底人を嫌っている場合では心を通わせることなど不可能なのだと言う。


 人の躯を餌にしていたガギン峠のモノたちは、ある意味交渉の余地があった。

 だが話を聞く限り、人を心底嫌っている可能性のある猿人族には話を聞く限り難しそうだ。

 長いこと地元の狩人たちと生き死にの争いを続けているらしいのだ。


「無理だな」


 呟いてワインを煽る。


 どう考えても平穏無事に行くのは難しい。ならばどうするか?

 正直に伝えて彼女の答えを聞くしかない。危ない思いをしてでも見たいと言うなら……その危険をすべて取り除くだけだ。


 ワインを飲み干しミキは席を立った。




「ミ~キ~!」

「……」


 宿屋の部屋に戻り扉を開けた先に居たのは、寝間着姿のレシアだった。


 ズイゾグ村で手に入れた寝間着を余程気に入ったのか、彼女は繰り返し洗っては使い続けている。

 薄手の寝間着姿に酔った頭が、ムクリと反応するのを気合で押さえつける。

 若い身としては……本当に無警戒の彼女の姿は危険すぎる。


 ミキはもう一度頭を振って酔いを振り払った。

 あれほどぐっすり寝ていれば、ちっとやそっとでは起きない彼女が何故か起きていた。


「どこに行ってたんですか! ……って、お酒臭いです!」

「ああ。酒場に」

「何で一人で行くんですか!」

「いやぐっすり寝ていたからな」

「起こして下さい! 起きてミキが隣に居ないから、私お手洗いかと思って! でも出て来ないから……凄くお腹が痛くて我慢して我慢して!」


 うるうるとその瞳に涙が貯まって行く。


 彼女が果実の食べ過ぎて腹を下したのが容易に想像出来た。

 それだけに深く息を吐いてミキはやれやれと頭を掻いた。


「私は怒っているんです! たまにはミキも私の説教を受けるべきです!」

「良し分かった。お前の話を聞こう」


 床に座り彼は相手の反応を待つ。

 言い出したレシアは困った様子で辺りを見渡してから、彼の前にちょこんと座った。


「良いですかミキ。ミキはもっと私のことを大切にするべきです。あれです。出来たら毎晩頭とか撫でてくれると嬉しいです。あと抱きしめてくれたりするともっと嬉しいです」

「……レシアよ。説教になって無いぞ?」

「良いんです! それにミキはいつもいつも私には好き勝手やるなと言って怒るのに、自分は好き勝手に動いて……私だって不安になったり怖くなったりするんです」

「まあそれに関しては悪かったな」

「そうです。だからあれです……何しに行ってたんですか?」

「例の鳥の噂話を集めにな」

「一人でですか?」

「こんな時間帯の酒場にお前が行くと厄介事が間違いなく起こるからな。そうなれば話を聞くなんて無理だ」


 首を傾げたレシアの動きが止まる。


 気づけば相手の言葉が正しく思えてくるから不思議なのだ。


「ダメです。ミキはサラッと私を言いくるめるから怖いんです。私は騙されません」

「そうか。まあ良いけど……例の鳥はやっぱり北西の方角に居るみたいだぞ」

「本当ですか?」

「ああ。ただし猿人族が間違いなく居る。それも人と争っているからお前の御業が使えないかもしれない。正直に言うと危険だから、無理して行かなくても良いんじゃないかと俺は思っている」

「ん~。危ないんですか」


 頬に指をあてて考え込む。


「でも見たいです。何と言うかこう……見たいんじゃなくて、見に行かないとダメな気がするんです」

「そうか。なら行くしかないな」

「えっと……危ないんですよね?」

「そういう話だな」

「それでも行くんですか?」

「お前が見たいと言うなら行くさ。なに心配するな。最悪はお前に踊って貰うことになるだけだ」

「む~。それはそれで悪い気がします」


 えいっと正面に居る相手に抱き付いてレシアは甘える。

 胡坐をかいて座る彼の足に体を預けて顔は相手の腹に当てる。そんな彼女の頭をミキはポンポンと撫でた。


「ただし本当に危ないと判断してら見ずに逃げる可能性もあるからな」

「その時は……諦めます」

「なら最初から諦めて欲しい気もするがな」

「だからあれなんです。心の奥の方から『見に行かないと!』って気がしてるんです」

「ふ~ん。シャーマンってお告げとか受けたりするのか?」

「お告げ? お告げって何ですか?」


 問われて彼は返事に困る。

 この世界で祈りの対象は"自然"だ。神仏に祈るのは、西のファーズンの教えぐらいのはずだ。


「……自然が何かが、お前に何か言ってくる感じかな」

「そんな言葉は無いですね。自然が私たちに伝えて来るのは、言葉では無くて気配や感情です」

「初めて聞いたな」


 猫の様に甘えている相手を抱き起し、彼はそのまま抱え上げる。

 ベッドまで運んでその上に横たえた。


「ミキ。寝るんだったら拭いて着替えて下さい。お酒臭いです」

「分かったよ」

「そうしたらギュッて抱きしめてくれないとダメです」

「……今夜だけだからな」

「む~!」


 身を起こして唸る彼女にクスッと笑い、ミキはその頭撫でた。


「俺はお前に抱き付かれている方が好きなんだけど?」

「……分かりました」


 レシアは表情を崩し、その目を弓にした。




(C) 甲斐八雲

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