其の肆

「ミキはあれです。最近私に対して少しあれです」

「今夜は説教する気でいたから後で詳しく話そうか?」

「にゃ~ん」


 ジタバタと暴れるが彼女が離れる様子は微塵も無い。

 焚火の前で安物のワインを飲んでいるミキは、ポンポンとレシアの頭を撫でてやった。


 目を弓にして彼女はますます体を押し付ける様にして甘えて来る。

 今日はそんな気分なのか……甘え方が半端無い。それか別の理由があるのだろう。


「それで何をした?」

「……ごめんなさい。我慢出来なくて干した果実を食べてしまいました」

「あれか。あれなら別に良い。お前の為に貰って来た物だからな」

「本当ですか? あとで怒りませんか?」

「ああ。今夜怒るのは別の理由だ」

「にゃ~ん」


 またジタバタと暴れたが、彼女は逃げ出さない。


「で、俺はいつまでお前たちののろけを聞けばいい?」

「普段の会話だけどな」

「これだから……良いか? 女を知らない奴からすれば、その会話全てがのろけなんだよ」


 やれやれと言った様子でキャッシバは肩を竦め、焚火にかざしている棒をクルリと回す。

 その先端には川魚が刺されていて……彼女が逃げ出さない理由はその魚を狙っているからだ。


 まあ数匹焼かれているから一匹貰っても文句は言われまい。


「ミキはこれからどうする気だ?」

「とりあえずシュンルーツを巡って西に向かう」

「西? お前もファーズンに行くのか?」

「お前?」

「ああ。あくまで噂だが、ここに居たヨークも西に向かったらしい。何でも今ファーズンは強い者を広く集め、その力を示せば報酬も地位を思いのままなんだとさ」

「初めて聞いたな」

「だろうな。東部では西部の話はあまり伝わらないからな」


 焚火に薪をくべてキャッシバは言葉を続ける。


「大陸の中央……"大トカゲの狩場"が存在している都合、西部の話は北部経由でしか入らないしな」

「南部はどうなんだ?」

「ああ。南部はいつも通りだ。北東辺りの部族が戦いを始めて通商が止まっている。船を介した商売は西部としか行って無いしな」


 相手の言葉はある意味いつも通りだ。


 大陸の南部……砂のアフリズムは、砂漠とオアシスが有名な大国だ。複数の部族が水場であるオアシスを巡り戦いを繰り返す為に常に内戦状態である。

 大陸南の港町に首都があるのだが、そこから出る船は漁業か西部への通商のみに使われる。東部に船が来ないのは、大規模な港町が整備されていないからだ。

 だから南部や西部の話は北部経由でまずシュンルーツに入る。それから東へと広がるのだ。


「なら西に向かうには北部から入るのが一番か?」

「そうなるが……ちと嫌な話も届いてる」

「……」

「北部と西部の国境付近で争いが生じているらしい。だから現在北部から西に向かうのは、中央を抜けて南部に入り船で西部に向かうしかない」

「どこもかしこも戦うことが好きらしい」


 ファーズンが人を集めているのも戦争に備えてかもしれない。

 そう考えれば西に向かうのは得策では無いのかも知れないが、


「レシア? 西に向かうのは危ないらしいぞ」

「にゅ? ……んっく。危ないなら危なくない道を通って行きましょう」

「お前ならそう言うと思ったよ」


 キャッシバから半ば強奪する形で焼き魚を手に入れた彼女に軽く手刀を叩き込みながら、ミキは相手の言葉を尊重することにした。


「まあ出来るだけ安全な道を通って世界を巡るさ」

「あの時のガキが本当に言うようになったもんだな」

「別れてから何年経ったと思っているんだ?」

「……三年か?」

「五年だよ」

「そんなになるのか? 道理で俺も齢を取った訳だ」


 あははと笑って彼はワインを煽る。


「最近は昔の様に体が動かなくなって来てな……そろそろ引退時なんだと解ってはいるんだ」

「だから姑息な手が増えたのか?」

「まあな。確実に勝つ為なら何でもするさ。生きて帰らないと……嫁と子供が待って居るしな」

「今は何処に?」

「ブライドンの北西部の小さな村に居るよ。嫁はたぶんもう引退して畑を耕しながら家族一緒に居て欲しいと願っているんだろうさ」


 一匹目を食べ終えたレシアに二匹目を渡す彼はどこか寂し気だ。


「分かってはいるんだ。俺にはお前みたいな才能は無い。今まで無事に生きて来れたのは運が良かったんだろうってな。でも舞台に立つ以上……戦いと向き合う以上、何て言うかこう滾る物があるんだよ」

「滾る物か。分からなくは無いな」

「そうだろ? あのギリギリの戦いの中でどうにか勝ちを拾えた時の込み上がって来る感情なんてな……俺がもっと若かったらその夜は何人もの女を買って抱きまくるだろうさ」

「済まん。そっちの気持ちは分からんでも無いが、実行するのは後々厄介だ」


 笑顔で魚を頬張るレシアだがなぜか片手で彼の足を抓っていた。

 その気は無いと解らせる為に相手を抱き寄せる。

 すまし顔の青年が困った様子なのが余程嬉しいのか、キャッシバは一通り笑った。


「……だから全力で戦えたらと願ってしまうが」

「ギリギリの戦いは硬貨の表裏と同じだ。どっちに転ぶか分からない」

「その通りだ。だからモヤモヤとした感情を抱えて、俺たち年寄りは引退して行くんだろうな」


 あははと力無く笑った彼は……本当に老けたのだとミキはその事実を痛感した。




(C) 甲斐八雲

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