其の参

「ふっふっふっ……次の相手は私です。ミキ!」

「起きて来てたのか?」

「こんな時間まで寝てる訳ありません! ちゃんと朝から起きてますから!」

「……頬のここに涎と腕枕の跡が」

「嘘っ! ちょっと待ってて下さい」


 乱入しようとした彼女は両頬を押さえてその場から逃げ出した。


 やはり朝起きてから適当に暇を潰して昼寝をしていたのだろう。これで夜になれば『眠れないです』と言い出して、天幕内をゴロゴロとするのだからたまったものでは無い。

 久しぶりに今夜あたり真面目に説教しておくのも良いのかもしれない。


「で、次が居なければ今日は終いとするぞ?」

「なら最後に俺とやるか」

「悪くない」


 野次馬を押し退けて出て来たのは古くからの知り合いだ。

 軽く肩を回しながら……練習だからだろう鎧を脱いでいる相手は、戦士とは思えないほど軽装だ。

 腰にはこの世界では一般的な長さの剣、ブロードソードを下げている。


「小便臭かったガキのお前が今では恐ろしい強さで偉そうにしているとはな」

「人は成長する者だよ。キャッシバ」

「本当に口が悪いな。あの二人はもう少し礼儀作法を……そんな物は母親の腹の中に忘れて来た様な奴らだったな」


 呆れながら笑みを浮かべた彼は、スラリと剣を抜いて中段に構える。

 中堅扱いではあるが、ミキの見立てでは熟練者扱いされてもおかしくない。

 何よりシュバルの所で真面目に腕を磨き、解放奴隷となるだけの試合と経験を積んだのだ。弱い訳が無い。


「強くなって若くて綺麗な女を連れて……さぞ気分が良いだろう?」

「言葉に棘があるぞ? 嫁さんと上手く行ってないのか?」

「うちはいつでも仲睦まじいさ! 旦那の尻を蹴飛ばして稼ぎが少ないと言うぐらいにな!」

「……」


 野次馬たちの視線が生暖かくなった。


 戦士の中には買った女を妻とする者も居るので妻帯者は多い。

 苦労して初めて買った女なだけに、思い入れが強くなりそのまま結ばれることが多いからだ。

 キャッシバもそのパターンだった。


 なかなか気の強い女だったとミキの記憶に残っている。


「剣を新調したら仕送りも減るだろう? それにアイツに手土産を買って行ったと言うのに……」

「おいキャッシバ。俺以上にのろけが聞こえて来るんだが?」

「だから言ったろう? ウチは仲が良いんだと」


 ニヤリと笑って彼はフッと突きを繰り出して来た。

 キャッシバが話をしながら僅かに爪先程度の距離をジリジリ詰めていたのだ。

 それに気づいていたのは熟練クラスと軽口に付き合っていたミキだ。


 頭を軽く振って相手の突きを回避した彼は、迷うことなく足を進めて距離を詰める。

 手にしている武器は十手だ。


「可愛げが無いな!」

「話には付き合ったさ」

「この!」


 突き出された十手を腕で払って彼は苦し紛れに剣を振るう。

 それを空いているもう片方の十手で受けて……ミキは後方に跳んだ。


「姑息な戦い方は新人の手本には向いていないんだがな」

「知るかよ。俺は昔っからすまし顔のお前を、一発全力で殴ってみたかっただけだ」

「……何かしたか?」

「うちの嫁がお前を見て良く言ってた。『次に買われるならあっちの方が良いわね』って」

「嫉妬かよ」


 また会話をしながら距離を詰めて来た相手の攻撃をミキは回避する。

 本当に間合いを詰めるのが上手い。昔から派手さは無いが堅実な戦い方をする人だとは思っていたが、シュバルの所を出てから姑息が加わり、なかなかどうして厄介な相手になっていた。


「ミキよ」

「ん?」

「楽しいな!」

「……そうだな」


 普段なら練習相手として相手に打ち込ませることを主としているミキだが、相手が古くからの知り合いとあって遠慮なしに攻撃もする。

 確かに相手の言う通り楽しくて仕方がないのだ。


 こんな命のやり取りをする稼業だから、ふとしたことで知り合いと永遠の別れとなることが多い。だが相手は子供の頃からの知り合いで、そしてようやく実力を隠さずに戦えることが出来るのだ。

 本当に楽しくて仕方がない。


「ミキよ」

「ん?」

「少しは手を抜け!」


 必死に剣を動かし回避に徹する相手が悲鳴染みた声を上げる。

 手加減はしているのだがまだ足らないらしい。だが、


「悪い。昔を思い出したら……沸々と色々なことが浮かんで来てな」

「……」

「一発殴りたいとか言ってたが、何発か納得のいかない拳を喰らったな……と」

「ミキよ」

「ん?」


 剣を構えてキャッシバを大きく息を吐き出し、キリッとその表情を引き締めた。


「過去とは水に流すものだろう?」

「そうだな。一発入れたら水に流そう」

「お前は外道か! どんな教育を受けたらそんな風に育つ!」

「ガイルとハッサンに言ってくれ」

「あの二人が父親なら納得だよ! こんちくしょう!」


 それでも逃げ出すことを選ばないのは年長者としての意地なのだろうか?


 ミキはその口元に笑みを浮かべると、十手を振るい相手に攻撃を繰り出し続けた。




 結局勝負は体力切れで音を上げたキャッシバの負けと言う形で幕を閉じた。


 ただミキはその後もう一戦強制的に行うこととなる。

 顔に何の跡も無いと知ったレシアが、可愛らしく目じりを釣り上げて襲いかかって来たのだった。




(C) 甲斐八雲

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