其の捌

「あ~幸せです」

「そうだな」


 並んで湯に浸かり二人で空を見る。

 ここ数日同じ生活を送っているが、全く飽きることが無い。


 朝起きてから湯に浸かり朝食を摂る。それから村の中やその周りを見て回り、レシアは踊ったりミキは鍛練したりしてから宿に戻りまた浸かる。一度部屋で休んでから夕食を摂ってまた浸かる。


 そんな生活をもう三日ほど過ごしていた。


 温泉に浸かりながら空を見ているのは飽きない。雲が形を変えていくのを見ているだけで十分だ。特に夕方から夜になる時間帯をレシアは好んでいた。

 色彩の変化が一番多いから見ているだけで刺激を受けるのだ。


 最近は踊ってから温泉に浸かっているせいか疲労も全く感じない。

 好きなだけ踊れる環境に大満足しているのだ。


「でもミキ」

「ん」

「そろそろ旅に戻らないとですね。ここは良い場所だからずっと居たくなってしまいます」

「そうだな。ロバの奴ももう十分に休んだだろ?」

「はい。前足の方を少し痛がってましたけど」

「荷物を背負って山道を歩かせたからな。それが治ったらここを出るとするか」

「は~い」


 そっと相手の肩に頭を預け、レシアは空を見続ける。


 まだ旅に出て少しだと言うのに……今まで生きて来た中で味わったことの無い刺激をたくさん受けている。

 それもこれも隣に居る相手のおかげだと理解していた。


 出会った時は、不思議な踊りを見せる人だとしか思わなかったが……話すようになり、相手の纏う空気に触れる様になり、その結果自分は相手のことを"好き"になっていた。

 初めて得た感情なのに、それをはっきりと理解し自覚出来た。


『お前はいずれ……旅に出る。良いかレシアよ。良き者を見つけろ』


 心の奥底に刻まれた言葉と自分の頭を優しく撫でる老人の手。

 彼女の記憶の中で最も古いのがそれだ。

 それ以前の記憶はない。自分の両親の存在なども。


 老人が亡くなってから面倒を見てくれたのは村人たちだ。

 毎日自由に生きる自分を温かく見守ってくれて……好きにさせてくれた良い人たちばかりだ。

 きっとあの村に行けばラーニャも安心して子供を産むことが出来る。


「ん~」

「どうした?」

「何か少し昔のことを思い出してしまいました」

「昔か……お前は昔から、食って寝て踊る生活だろ?」

「事実ですが、はっきりとそう言われるとカチンと来ます」


 相手に抱き付いて必死に不満をアピールする。

 笑いながら『ごめん』とばかりに彼が頭を優しく撫でてくれたので許すことにする。


 また裸なのに相手の腕に抱き付いてしまったことに気づき、レシアは顔を赤くした。

 彼の隣に居ると、恥ずかしいと言う気持ちがいつの間にかどこかへ消えてしまうのだ。


『もうミキは本当に酷いです』


 心の中で呟いて……レシアはそっと相手の肩にまた頭を預けた。




「お客さん」

「ん?」


 夕飯後の湯浴びを済ませて部屋に戻るミキを女店主が呼び止めた。

 相手は、中年の働き者の様子な恰幅の良い女性だ。


「お客さんはもしかして……シードのお弟子さんたちと問題を起こしたとか無いですよね?」

「記憶に無いがどうした?」

「いやね。『綺麗な女とロバを連れた男を探している』と数人の仲間を連れて今日来たんですよ。丁度お客さんが外出している頃にね」

「そうか。記憶に無いが俺だと勘違いされるのも困るな。出来るだけ滞在中は静かにしよう」

「そう願いますよ」


 店主と別れを告げて一足先に戻っているレシアを追って彼は歩き出した。


 腕を組んで暫し頭を悩ませたが、この村に着てから問題を起こした記憶が"全くない"のだ。

 やはり相手の勘違いか、人違いだろうと結論出して……ミキは部屋へと戻った。


 彼は本当に忘れていた。初日に男を投げ飛ばし、金貨で話を纏めたことを。




「居やがったな!」

「?」


 女店主に忠告を受けた次の日……ミキはいつも通りレシアを連れて村の外へと向かおうとしていた。

 そこを偶然出会ったのだ。相手は朝から待っていたのが事実だが。


 四人の男が近づいて来る。


 先頭を歩く男が一人で怒り、後の三人は無理やり付き合わされたのかやる気を感じない。

 だがミキの隣に居るレシアを見た瞬間……別の意味でやる気が湧いたらしい。


「誰だ?」

「……あの日俺を投げ飛ばしておいて忘れやがったか!」

「済まんな。全く記憶に無い」


 臆することなく正直に告げる。記憶に無いのだから仕方がない。

 その様子に男の顔が真っ赤に染まる。

 レシアは相手が、怒りの感情の色合いが強まるのを眺めていた。


 あとの三人は怒りとは違う感情だ。彼女は理解していないが、それは性欲の感情である。

 激怒した男が肩を怒らせてミキへと近づいて来る。


「まあ良い。お前が金を持ってるのは分かってるんだ。金と女を大人しく渡しな」

「……何だ。ただの小者か。だから記憶にも残らないんだな」

「何だとお前っ!」


 殴りかかって来た男の拳を受け流して足を掛けて転がす。

 また地面に背中を激しく打ち付けた男は息を詰まらせた。


「で、お前たちはどうする?」

「少しはやるようだな」


 話す相手が変わった。三人の男の中でも一番体格の良い者が前に出る。

 ニヤニヤと笑い、彼は懐からそれを取り出す。

 ジャラっと手の平からこぼれたそれは……細い鎖だった。




(C) 甲斐八雲

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