其の漆

「私は貴方と子を成すことが出来ない女にございます。どうか宮本家の為に」


 城から戻って来ると彼女は改まり、深く頭を下げてそのことを告げて来た。

 何度目か忘れるほど……何度も言われて来た言葉だ。

 それだけに周りの空気や雰囲気が、相手の心に重くのしかかっているのかもしれない。


「断るよ幸」

「……どうしても?」

「何度も言わすな。俺たちに子供が成せないのなら九郎に家を継がせる。だから俺に妾を探すくらいなら彼奴に良き女を探して来ると良い」

「本当にそれで良いのですか?」

「くどい。それに俺とて義父殿の養子だ。いざとなれば実家の方から誰か良い子供を引き取って継がせても良い。お前一人が苦しみ悲しむ必要なんてないのだ」

「本当に?」

「何度も言わすな。俺はお前が良いんだ」

「……分かりました。三木之助様」


 納得などしていない様子が手に取る様に解る。

 それだけに三木之助とて責任を感じてしまうのだ。

 仕事が忙しいからと言って……最愛の者を家に一人で置いていることを。


 出来ることなら常に一緒に居たいのだが、それは叶わぬことだ。

 分かっている。自分が本当に酷い男だと言うことを。



 史実では、宮本三木之助が切腹した後……家を継いだのは、弟の九郎太郎であると伝わっている。




 本当に静かな朝だ。

 ぼんやりと天井を見上げてミキは深く息を吐いた。

 肺の中が空になるほど息を吐き出してゆっくりと吸い込む。


 鼻孔をくすぐるのは甘い匂い。それは思いの外近くから感じる。

 ゆっくり視線を巡らせると、抱き付く様にして寝ている少女の姿が目に入った。


 宿泊の際に『使って下さい』と渡された白い寝間着を着て、ぐっすりと寝ている。その髪には昨晩摘んだ花が挿されたままだ。

 良く潰れなかった物だなと思いながら、相手の腕から抜け出し身を起こす。


 この宿の寝床はベッドなどでは無く、白い大きな布を二枚合わせて袋とし、その中に藁などが詰められた珍しい形をしている。故に二人で横になると自然と真ん中で沈み身を寄せ合う形となる。

 女店主が『若いご夫婦には好評なのですよ』と言っていた意味が解らなくもない。

 こんな風に一晩中身を寄せ合っていれば、健全な男性は子作りに励むものだ。


 一度息を吐いてミキは頭を掻いた。

 どうも最近は周りからそんな話ばかり聞かされているせいか思考の針がそっち寄りで困る。

 別にレシアとの関係を聞かれれば、迷うことなく"妻"と答えることが出来るほど好いている。

 その気になって子供を成す行為をしたとしても問題は無い筈だ。


 無い筈なのだが……


 そっと手を伸ばして相手の背中を撫でる。彼が起きた動きで、彼女はうつ伏せになっていた。

 背中を優しく撫でて、捲れている寝間着の裾を正す。


 借りた寝間着は、今で言うノンスリーブのワンピースの様な形状をしている。

 着やすくて締め付けの少ないそれを、彼女はいたく気に入っていた。


 それこそ昨晩などは『これを買ってください』とジッと見つめて来るほどだった。

 元々服を買う約束をしていたから、それが良いのなら買うことに躊躇いなど無いが。


 ただ夜中に何度も寝返りを打つ少女なので、膝ぐらいの丈しかないそれを着て寝ていると朝には腰の辺りまで捲れてしまう様だ。

 今朝は早く起きたから良かったが、これが逆だったら騒いでいたかもしれない。


 彼女は恥ずかしさを見せる割には、その場の空気に馴染むと全裸であることを忘れて普通に行動したりする。緊張が継続できないと言うか、やはり気を許しているのかとも思う。

 そっと優しく相手の背中を撫でて……彼は呟いた。


「やはりこの辺に肉が」

「うぴょー! 大丈夫です! 昨日の晩は体が重くて踊らなかっただけで、今日は確りと踊りますから!」


 やはり彼女は寝たふりをしていた。

 背中を触られた辺りから耳が真っ赤になっていたから、そうだとは思っていたが。


「おはようレシア。いつも通りの冗談だ」

「もうミキ! どうしてそんな酷いことを言うんですか!」

「お前が寝たふりをしていたからかな」

「あれです! 起きたらミキがお尻とか足とか触ってるじゃないですか! 私、驚いて……」


 裾を直していたのを勘違いした様子だ。

 モジモジと恥ずかしそうにする彼女はやはり可愛らしい。


 一緒に旅をする様になって気づいたのだが、基本彼女は綺麗好きだ。

 特に自分の体は清潔にするよう気を配っている。一度聞いてみたら『シャーマンの嗜みです』と返事が帰って来た。


 その為に真冬でも真水で体を洗う事すらあるそうだ。

 ほとんど荒行の様な修行にしか思えないが。


 手を伸ばして彼女の頬に当てる。いつもの様に甘える仕草で頬を擦り付けて来る。


「俺だって男だから、綺麗な女が傍に居れば触りたくなるもんだ」

「……そうなんですか?」

「お前は俺を何だと思ってる?」

「ミキはミキですよ?」


 当然のように告げて来る相手に手を伸ばして捕まえると、ミキは抱き寄せキスをする。

 いつもながらに一瞬緊張からか身を固くして、彼女は直ぐに受け入れる。

 長々と唇を交わしてゆっくりと解放した。


「俺だって男なんだからな」

「はい。分かりました」


 迷いの無い澄んだ笑みを浮かべ、どこかもう一度と言う空気を纏っている相手に……ミキはもう一度抱き寄せキスをした。




(C) 甲斐八雲

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