東部編 肆章『復讐願うは我が為に』

其の壱

 しとしとと……振り続ける雨は憂鬱な気分にさせる。

 梅雨の時期だから仕方が無いが、彼は縁側に座り庭を見て息を吐いた。


 どうもまだ体が重い。

 万全には程遠い状態だ。


 負けた腹いせに義父の背中に石を投げたら、問答無用で川に叩き込まれた。

 ずぶ濡れで帰宅して急ぎ湯に浸かったのだが、芯まで冷えた体が温まるのが遅かったのだ。


 風邪を引いて三日。三木之助は布団で眠る生活に飽き始めていた。


「もう! 三木之助様」

「幸か」

「幸かではありません。また抜け出して」

「寝るのに飽きた」

「そんな子供のようなことを言って!」


 普段は、表情は豊かだが物静かな女性。ただ一度怒ると手が付けられない。

 それが幸と言う女性だった。


 持っていた膳を置いて駆け寄ると、その白い手を伸ばし相手の額に当てる。


「冷たくて気持ち良いな」

「……早く布団に戻ってください」

「もう少しここが良い」

「……ならせめて上着を」


 急ぎ羽織る物を持って来た彼女は、彼の肩に掛け膳を持って来た。


「お食事です」

「食欲は」

「言い訳無用で食べてください。もう。……あと何日寝込む気ですか?」

「風邪が治るまでか」

「そうですか。ならお城の方にはそうお伝えしますからね」

「……分かった。食べれば良いのだろう?」


 怒っている相手の強い口調に折れて三木之助は膳へと手を伸ばす。

 と、その手を止めてしばらく悩んだ。


「幸よ」

「はい」

「梅粥は」

「体に良いと聞きました」

「……」


 本当に相手には勝てない。

 出会った頃はあんなにも大人しく内気だった女子おなごが、何をどう間違えたらこんな風に姿を変えてしまうのだろうか?


 食欲も無いのにあまり食べたくない物を出され……三木之助は傍から見ても解るほど元気を無くした。


「食べてくれないのですか?」

「どうも食欲がな」

「折角作りましたのに」

「……お前がか?」

「はい。朝から支度をして」


 サラリと笑顔で言って来るのは卑怯だ。


 そう思いながらも匙《さじを手にして彼は一口運ぶ。

 うん。まあ……こんな物だろう。


「美味しいですか?」

「普通だな」

「……美味しゅうございますか?」

「なぜ脇腹を抓む」

「三木之助様が素直では無いからです」

「素直に答えたが信じていないのはお主だろう?」


 匙でもう一度掬い、彼女の口元へと運ぶ。

 軽く頬を紅くして幸は梅粥を口に入れた。


「……普通にございますね」

「そう言った」

「でも私の気持ちがこもっています。それを感じない三木之助様が悪いのです」

「ああ言えばこう言う。なら気持ちとやらを見せよ」

「……分かりました」


 彼から匙を奪った幸は、梅粥を掬って相手の口元へと運んだ。


「無くなるまで食べさせます。どうぞ」

「……」

「どうぞ」


 渋々従い……三木之助はどうにか半分ほど食した。




 膨れる腹を抱え横になると、彼女は迷うことなく膝を貸して来る。

 有り難く頭を預け、三木之助は庭にある紫陽花を見つめた。


「こう長雨が続くと気が滅入るな」

「そうにございますね。でも私は、晴れより雨の方が好きにございます」

「それは知らなかったな」

「はい。この家に嫁いできてから好きになりました」

「なぜ?」

「晴れていると……旦那様は朝からお城か鍛練か。ずっと屋敷に居りませんから」

「それは悪いことをしたな」

「ですから私は雨が好きです。病気の旦那様が好きです」

「……普通は元気を願うだろうに」

「元気ではお義父様と鍛練をしてしまいますから」

「義父殿は弟子たちを連れてふらりと出掛けたままだ。しばらくは静かであろう」


 彼女の手が、優しく肩や背を撫でて来る。

 普段触れていられないから、今こうして触っているのだ。


「お前のそういう所は出会った頃から変わらんな」

「そうにございますか?」

「ああ。いつも甘えてばかりだ。イテテッ」

「一言余計にございます」


 幸は、思いやりに欠ける夫の耳を抓って罰とする。

 やれやれと頭を搔いた三木之助は、そっと目を閉じた。


「眠るのでしたら布団で」

「……そうだな」


 手を借りて起き上がり布団へと向かう。

 膝を畳について横になる手伝いをする幸の手を掴まえ……彼はグイッと引き寄せた。


「もう。はしたない」

「良いでは無いか」

「まだ日が明かるうございます。何より体調は?」

「少し寒い」

「……」


 相手がそう言うのならば温めるのも"妻"の務めだ。

 そっと共に横になって身を寄せる。


「三木之助様」

「何だ?」

「私はずっと子を成さない身。もし良い話があれば」

「妾は要らん。何かあればこの家は九郎太郎に継がせる」

「九郎様に?」


 九郎太郎は三木之助の弟だ。今は義父……武蔵と共にどこかへふらりと出ている。


「ですがそれでは」

「構わんよ」

「……」

「俺はお前を気に入って祝言を上げたのだ。他の女になど興味は無い」

「ですが私は」

「子を成せないのがどうした? それに俺は屋敷に居ることも少ないから、他の者より数が少ないだけかもしれん。何かのあれで子を成すことなど多いと聞くぞ」

「……」


 背を向けていた相手は体を回すと、少し涙で濡れた顔を覗かせた。

 三木之助はその涙を指で拭う。


「案ずるな幸。子を成さなくともお前が居ればそれで良い」

「本当にございますか?」

「ああ。だからあの日誓ったように……死する時は同じぞ?」

「はい」


 そっと抱きしめてその唇を吸う。

 着物へと伸びる手に彼女は僅かな抵抗を見せた。


「気づいておる。この部屋から人を遠ざけておるだろう?」

「……」

「俺が寒いのだから温めてくれよ。幸」

「……はい」




(C) 甲斐八雲

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