其の弐拾弐

「貸してください」

「えっ?」

「背中。そんな小さな布だと拭きにくいでしょ?」


 手を前に突き出し『早く早く』と視線で物語る相手にライリーは黙って手渡した。

 受け取った布を手に、彼女の背中へと回ったレシアが優しく拭く。


「ん~。白い肌ですね」

「……」

「私も白い方ですけどもっと白いです」


 綺麗な物を見て触れることが好きなレシアとしては、それが人の肌であっても変わらない。

 拭きながらペタペタと触り……自分もこれぐらい白かったらミキにもっと好かれるのか考え込んでいた。


「あっあの」

「はい?」

「驚かないんですか?」

「何に?」

「わたくしが女だと言うことに……」


 裸の胸まではっきりと見られてしまった以上誤魔化せない。

 そう思い口を開いた彼女に対し……レシアは首を傾げてしばらく悩んだ。

 余りの相手の沈黙に我慢出来なくなったライリーが口を開きかけた瞬間だ。


「隠してたんですね」

「えっ?」

「私って人が纏う空気の色で性別とか分かっちゃうんです。だから最初から貴女が女性だと知ってましたよ」

「本当に?」

「はい。それにイットーンで荷馬車の隙間に隠れてたのも知ってました。『何であんな所に人が居るのかな~』って不思議に思っていたんですけど」

「……」


 相手の言葉を信じれば、本当に最初から見つかっていたらしい。

 それでも誰にも告げ口しなかったのは……きっと良い人なのだろうと理解出来た。

 頭の方は少々不安に思ってしまうが。


「どうして隠してたんですか?」

「……闘技場の舞台には女性は上がれないんです」

「そうなんですか?」

「ええ。古くからの決まりらしくて」


 また背中を拭きだしたレシアに促され、ライリーはポツリポツリと話し出した。


 闘技場にはいくつかの決まりごとがある。その中で最も有名なのが『女人禁制』だ。

 女性は子供を産み出す尊き存在だから、あの様な場所に上げるのは尊き者を穢す行為に等しい。そう言われ続け、闘技場の舞台に立つことは禁止されている。


「でもわたくしは幼い頃から闘技場のことが書かれた書物を読み漁り……ずっとあの場所に憧れていました。剣の稽古もずっとしてきて、うちに仕える者たちには全て勝って来たのです」

「ほえ~。仕えるってライリーさんは偉い人?」


 フルフルと彼女の頭が左右に揺れる。


「父がこの近くで小さくはありますが領地を持っています」

「あれですよね。貴族さんですよね?」

「名ばかりで吹けば消えてしまいそうな弱小貴族ですが」


 だがこの世界の『貴族』と呼ばれる存在は、一般の者から見れば皆金持ちである。

 どんなに弱小でも……屋敷を持ち、使用人を抱えることが出来るのだから。


「わたくしはずっと夢見て来ました。あの舞台の上で『本当の……本物の戦いがしてみたい』と」

「それでここに来たんですか?」

「はい。でも現実は違った」


 ライリーは胸のわだかまりを吐き出す様に深く息をした。


 何かにつけて厳しく接して来るミキの言う通り、現実は書物などとは違い生々しい物だった。

 どちらも生き残るために必死に戦う。武器で殴り合い、武器が無くなれば素手で殴り合い、最後は手当たり次第の物で相手の頭をかち割って殺す。


 実際の人殺しを目の当たりにして……ライリーの理想は完全に打ち砕かれていた。それでも、


「近いうちにわたくしの結婚が決まるのです。いえたぶんもう決まっています。それが決まればもう二度とこんな無茶をすることは出来ないでしょう。だから最後に……あの舞台に立ってみたかったんです。子供の頃から憧れていた場所だから」

「……でもあの場所は命がけですよ?」

「皆そう言いますが、死者なんて一日に一人ぐらいじゃないですか?」

「その一人にならない自信があるんですか?」

「……さっきも言いましたが、これでも強いんです」


 負けない自信はあった。

 子供の頃から剣を振って培った物は、自分の血肉となって備わっている。

 舞台に上がればきっと良い試合が出来るはずだ。


 レシアは黙って……彼女の背中に纏わり付く空気を払い続けた。

 近づこうとしている空気が良くない物だからだ。


「それに貴女の主人も毎日逃げて生きているじゃないですか。だから平気です」

「……そうですね。でもミキは本当に強いですから」

「強いんですか?」

「はい。強すぎるから普通に戦えば対戦相手を全員殺してしまうんです。だから今だって鉄の棒を持って舞台に上がって毎日踊っているんですよ」


 えっへんと胸を張って自慢するレシアだったが、ふとそれに気づいてシュンと身を丸める。

 自分が愛してやまない人を少し自慢しただけなのだが……"彼"はそれを許してくれなかった。


「ならわたくしも危なくなったら逃げて回るんで大丈夫です」


 拭かれる間跪いていたライリーは立ち上がると、軽く背伸びをして服を着込んだ。

 何故か話し相手を務めている彼女がワタワタしていたが、ライリーは気にもしなかった。


「背中を拭いてくれてありがとう」

「いえいえ」

「あと……このことを黙っていて欲しい」

「良いですよ」

「良かった」


 内心胸を撫で下ろし、ライリーはサッと片手を伸ばした。


「わたくしの名前はラインフィーラ」

「私はレシアです」

「れしあ? どこかで聞いたことのある様な……」

「そうですか?」

「記憶違いかもしれないです」


 軽く手を握り合い……ライリーに戻った彼女は、護衛の仕事へと向かった。

 それを見送ったレシアは、


「ミ~キ~!」

「知らんよ。いきなり立つとは思わなかった」

「私以外の女の人の裸を見るとかダメですからね!」

「分かった。なら裸は見ないで子供作りをすることにする」


 両の拳を固めたレシアが、両目を吊り上げて襲いかかって来る。

 その攻撃から逃れつつ……ミキは自分の中で考えを纏めた。




(C) 甲斐八雲

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