其の弐拾参

「さあ左手から上がって来るのは、本日が初舞台の若者だ!」


 進行役の声に、半ばとも言えない客入りの観客席からそれなりの声援が飛ぶ。

 まだ早い時間帯……新人などの戦いは前座扱いが多いので仕方ない。

 それでも全身を緊張と興奮で震わせるライリーは舞台へと上がった。


 震える口を動かしゆっくりと深呼吸する。

 ガチガチに硬くなっている体がちゃんと動いてくれるかどうか……夢にまで見た舞台の上で彼女はそのことばかりを気にしていた。


「そして右手から来るのはっ!」


 緊張で何度も唇を湿らせていたライリーは、それを見て一瞬凍った。


「あのひょろ長シュバルの人気者、剛力イルドを倒した新人奴隷! 東部地区でも指折りの大穴試合の立役者……ミキ!」


 これまたパチパチとまばらに拍手が聞こえて来る。

 ググランゼラに来た初日などは物凄い歓声であったが……数日で熱狂が冷めてしまった。


 毎試合相手の攻撃を交わし、受け流すばかりで全く戦わないのだから仕方ない。

 それでも目の肥えている観客からは高い人気を集めて入る。ただ最後は降参してしまうので賭けとしてはほぼ成立していない。


 ミキとて自分の戦い方が宜しくないのを理解しているので、興行主であるクラーナには話を通し……試合の参加料を受け取っていない。無料で舞台に立って居るのが現状だった。


 だが今日の彼は違った。


 舞台に上がるその気配から……ライリーは改めて全身を震わせ冷たい汗を感じていた。

 ハッキリと伝わって来る気配。それは冷たく、鋭く……彼女の首を絞めつける。

 明確なる"恐怖"だ。


「両者に告げる」


 舞台の端に立つ二人の戦士を訝し気に見ながら、進行役の男性は決まり文句を口にした。


「この神聖なる舞台の上では、禁を犯さなければどんな行いも許される。さあ大いに戦うが良い!」


 言い切って彼は舞台から飛び降りた。


 普段なら最後の口上の途中から戦士たちは動き出すものなのだが……ライリーは震える手を必死に動かし剣を構え、そしてミキは軽く首を鳴らすのみだ。

 観客たちはその様子から『今日もギリギリで避ける試合か?』と思い込んだ。


「運悪く俺が対戦相手になった訳だ」

「……」

「悪いな本当に。今日はこれを使う」

「えっ?」


 一瞬対戦相手の彼が消え、ライリーは試合中にも関わらず呆然と相手が居た場所を見つめ続けた。


『右です』

「くっ!」


 不意に感じた嫌な気配に反応出来たのは、耳に聞こえたその声のおかげだ。


 防御の為に回した剣が、ギィィィィっと嫌な音を発する。

 消えたはずの対戦相手が回り込み一撃を放って来ていたのだ。

 それも確実に一撃で仕留めようとした首への攻撃を。


 全身が粟立つのを感じながら、それでもライリーは必死に足を動かし相手との距離を取る。

 ようやくここに来て……観客たちも今日の試合が、いつものものでは無いと言う空気を察しざわつき始めた。


「運が良かったな? なら次だ」

「っ!」


 また相手が消える。

 それなのに恐ろしいほどの気配が自分を飲み込もうと襲いかかって来る。

 明確な殺意……初めて触れた実戦に、ライリーは完全に飲み込まれていた。恐怖と言う魔物に。


『左と見せかけてやっぱり左です』


(どっち!)


 耳に微かに伝わる声が唯一の救いだ。ただどこか危なげだ。

 それでも自分の命がかかっているから、彼女は必死に剣を振るう。

 防戦一方で攻撃など一切考えられない。何より動き出した相手を視界に捕らえられない。


 相手の心理状況を理解しているミキは、さらに恐怖を煽る様に足の動きを速める。

 何も本当に消えて攻撃している訳ではない。観客席から見ている者たちにはミキの姿は終始見えているのだから。


 彼が行っているのは簡単な心理トリックだ。

 人間は過度の緊張状態になればなるほど視野が狭くなる。だから相手を心理的に追い詰め、その視野を狭めているのだ。


 普段見えているはずの位置でも、少し外側へと体を動かすだけで相手からは見えなくなる。

 それが恐怖に拍車をかけて視野を奪っていくのだ。


 耳に届く声だけを頼りに剣を振るうライリーは、攻撃を受ける衝撃で自分の両手に力が入らなくなるのを感じていた。

 彼女が日々行って来たのは素振りだ。剣を振るう力は伸びていたが、それを維持するための握力は強まっていない。

 打ち込みなどをして衝撃を受ける鍛練をしていればこんなにも早く手が痺れることは無かったのだ。


 ガッと強い衝撃を受け……彼女の持つ剣が舞台下へと飛んで行った。

 決着はついた。観客から見ても力量差ははっきりとしている。

 だから誰もが『この試合は終わった』と思っていた。


 しかし……終わらない。


 呆然と舞台下に視線を向けたライリーは、自身の血が凍り付くのを知った。


 進行役。つまり審判を務める男が、誰が見ても解るほど顔を舞台から背けているのだ。

 進行役以外にも舞台を囲む観客席の最前列には、公平を期すために数人の審判が置かれている。だがその皆が舞台から顔を背けている。


 それが意味することは、


「この試合は"裏認定"されている。つまり八百長試合扱いだ」

「……」

「決着は……対戦相手、どちらか片方の死によってのみだ」


 刀を構え直したミキは冷たく言い捨てた。

 舌が喉に張り付いたかのように動かない彼女は声を発することが出来ない。


『裏認定』


 行われる対戦で、不正行為が行われている可能性のある試合にのみ興行主が発令する。

 対戦相手の賭け札を買ってわざと負ける……などの不正行為が"行われているかもしれない"と言う理由だけで発令する、いわば『殺し合い許可証』なのだ。


 たとえ舞台を降りても試合は継続される。どちらかが死ぬまで行われる殺し合いだ。


「私は何も」

「知っている。俺が嘘を言ってクラーナを騙した」

「?」

「舞台の上は殺戮場だ。夢見る馬鹿が躍る場所じゃない。それは……この場所で戦い死んだ者に対する冒涜だ。俺はそれを許せるほど良い人では無いんでな」


 冷たい目線に、ライリーは舞台を転がりどうにか逃げる。

 試合の空気を察して観客たちが拳を突き上げ天に向かい声を発する。

『殺せ! 殺せ!』の大合唱だ。


 全身を震わせ……気が狂ってしまいそうな状況で、彼女は必死に辺りを見渡した。

 救いなど何処にも無い。

 降りかかる言葉は自分の死を望む物ばかり……現実が本当に重くのしかかる。




(C) 甲斐八雲

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