其の弐拾

 猛然とダッシュして、ハンマーを上段に振りかぶったイルドが突進してくる。

 ミキは半身に構え動けるように備えてから、相手の行動を予測する。

 どんなに相手が怪力自慢で猪突猛進を信条にしていても、このまま突進して来るとは思えない。


 ならばどう動くか?


 ハンマーを振るい攻撃してくる可能性もあるが、たぶんその攻撃は囮だろう。

 考えるまでも無い。イルドは自分の手で殺したいはずだ。身の程知らずの餓鬼を。


「ふんっ!」


 全力で振り下ろされたハンマーをバックステップで回避する。だが砂地の床が破裂したかのように砂が舞い上がった。

 残忍な笑みを顔に浮かべているイルドは、舞い上がった砂に頭から突っ込み突進を止めない。


 地面に突き刺さったハンマーを引き抜き、彼は迷うことなくミキへと放った。

 その行動を全て予測していたミキは、砂と共に放り投げられたハンマーを体を横に動かすことで回避する。そのままイルドを中心に時計回りで移動して距離を取る。


 一定の距離を取って時計回りに逃げる……戦士たちが彼と戦う時に使う手段だ。


「ちょこまかと!」

「悪いな。少し付き合ってくれ」

「死ねや!」


 ハンマーを投げて武器を失った彼は、拳を固く握って襲いかかって来る。

 全力で走り距離を縮めては両腕を振り回し殴って来る。当たれば一撃で骨を砕きそうなその拳を十分な距離で避ける。

 何かの間違いで服でも掴まれると、そのまま捕らわれ殺されかねない。


 臆病と思われるくらい相手から離れるミキに観客から非難の声が飛ぶ。

 逃げることすら命がけなのに……観客は逃げ回る試合では無く、正々堂々の向き合った戦いを望んでいるのだ。それは勝手に広まったミキの発言が関係している。


『イルドを斬って捨てる』と。


 逃げるな、戦えと大合唱を浴びて……イルドは舞台中央で足を止めた。

 やれやれと言った様子で肩を竦めて、これでは戦えないよと観客にアピールするのだ。

 その行動に一気に観客が沸き上がる。最低限の決まりである物などは飛んでこないが、言葉は容赦なく飛んで来るのだ。


 腕を組んで、どうするとばかりに睨んで来るイルドに……ミキも足を止めて彼の背後で転がっているハンマーを指し示した。

 待っててやるからそれを拾えと……非難を受けている相手の行為にイルドの顔色が、怒りの余りにどす黒く染まった。


「挽き肉にして化け物の餌にしてやる」

「ならばこっちは普通に斬る」


 ギリギリと歯軋りして、イルドはハンマーを拾い上げるとそれを上段に構えた。

 最初と同じ様に彼の突進は力強く真っ直ぐだ。

 全力で相手を轢き殺そうとするかのように足を動かして正面から来る。


 ミキはその口元に微かな笑みを浮かべ待ち構えた。


 イルドのことは決して好きになれないが、愚直なまでに真っ直ぐな戦い方は嫌いでは無い。

 酒が入り、機嫌が良くなったイルドとはたまに話すこともあった。

 内容はいつも自慢話と女の話ばかりを聞かされたが……それは"人殺しの王"として君臨している彼の唯一の慰めだったのかもしれない。吐けぬ弱音の代わりに。


 闘技場と言うこんな場所で、相手と自分とだけで戦い命を奪い合う。

 単純だからこそ最も恐ろしい行為だ。故に手は抜けない。全身全霊を持って相手を斬る。


 ミキは静かに相手の一部を見つめた。


 当たり前だが人は移動する都合、まず足が最初に動く。

 両足を交互に動かして前進する。

 実にその動きは単調であり、真っ直ぐ走る者ほど動きを合わせるのは簡単だ。


 鍔を親指で弾いて右手でそれを振り抜く。


 現代で言う"居合"にも似た動きであるが、ミキが生きていた時代には"抜刀術"と呼ばれていた。

 小姓として仕えていた本多忠刻ほんだ ただときが、抜刀術に優れ全国を回り修行していた林崎甚助はやしざき じんすけを呼び寄せた時に見て学んだのだ。


 義父の様な剛の剣は自分では扱えきれないと判断し、模索して足掻いた結果だ。


「南無八幡大菩薩……」


 ミキは自然と、口の中でその言葉を呟いていた。


 相手が振り下ろすハンマーの動きと交差する様に、神速と呼ぶにふさわしい速さでイルドの片足を断つ。片足を失い体勢を崩しながらも必死に動く彼のハンマーを足さばきのみで回避して……迷うことなくイルドの首に刃を振り下ろす。


 ハッサンの作り出した"刀"は本当に良く斬れる。


 ズザザザザと頭部を失い砂の上を滑ったイルドの体は、大きく一度だけ震えると……それ以降動くことは無い。

 人を殺す行為に派手さなど要らない。だからこそミキは出来るだけ小さな動きであっさりとそれを行った。罪人の首を刎ねるかのように淡々と。


 大きく息を吐いて刀を振るい血と脂を払ったミキは、刃を鞘へと戻した。


「シュバル。宣言を」


 突然のことで呆然としている彼はその言葉を聴き、辺りを数度見渡してようやく自分が呼ばれたのだと理解した。

 カタカタと全身を震わせながら片腕を上げる。


「…………勝者! ミキ!」


 余りの呆気ない幕切れに、勝者を称える歓声は鳴り響かなかった。




(C) 甲斐八雲

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