其の拾玖
観客の大歓声に……最終試合の進行役を買って出たシュバルの声は完全に掻き消される。
何を言っているのか解らず困っていると、ガイルが背中を押して舞台に出る様に促して来た。
ミキはゆっくりと歩み出て、まず舞台に向かい一礼をする。
そして次は最前列の有料席……貴賓席へと。
先に出ていたイルドは舞台上の礼儀を忘れ、ただひたすらに自分の肉体を誇示している。
対戦相手が何をしたいのかは良く解らないが、ミキは焦ることなく教わった手順通りに四方の観客に向かい一礼をし、最後に進行役の団長へ礼をする。
シュバルもまた完全に客の空気に飲まれ、地に足の付いていない状態だった。
声は聞こえてこないが……何かしらの口上を全力で叫んでいた。
余りにも顔が真っ赤に染め上がっているのを見て不安になるほどにだ。
(観客が集まり過ぎたな……)
ミキですらそう思わずには要られない異様な空気と熱気だ。
こんなにも人が集まるとは……どこから集まって来たのかと一瞬悩んでしまうほどだ。
広めた話が噂話となって娯楽を求める金持ちたちを引き付けたのだろう。
作戦としては大成功のはずだ。
試合前に確認したのだが賭け札も飛ぶように売れ……結果としてミキが勝てば、金貨が7千数百枚となって払い戻される。
闘技場に関わる様になってから一度として聞いたことの無い金額だ。
とは言え元歴戦の雄であるガイルも内心興奮していたのだろう。流石に数万枚なんてあり得ない。
それほど観客の多くがイルドの勝利を信じ待っているのだ。
歯向かった奴隷の若造を豪快に、そして残忍に殺すことを。
グワワワワン~!
観客の声を吹き飛ばす音が響いた。
ガイルとハッサンが、舞台傍に置かれている銅鑼を叩き音を鳴らした。
初めて聞く音にミキもイルドも驚く。それは大半の観客も同じだ。
グワワワワン~と数度響いた鐘の音が治まると、観客たちは自然と口を閉じて舞台を見つめる。
「ごほん。あーあー。ううん。……これより最終試合を執り行います!」
シュバルの声に合わせて銅鑼が鳴る。
その音でまた騒ぎ出そうとした観客たちの口が閉じられる。
『あれってあんな風に使う物なんだ……』と、舞台上のミキは場違いな関心を寄せていた。
ただ銅鑼を打つ者が流れを把握しているからこその技だろう。これが老いた二人の傍で、オロオロしているマデイだったら騒ぎが拡大していたかもしれない。
「……本日の勝者には賞品として、この戦いの発端となった女を贈る!」
最初から向上をやり直す気が無くなったのか、簡単な挨拶の後にそれが告げられる。
そしてわざとらしく首と手首を拘束されたレシアが、舞台の上へと連れて来られた。
ほうっと観客から声が上がる。
着飾り化粧までさせられている彼女は、大観衆に晒しても恥ずかしくない美しさを持っていた。
ただ少しは演技をしろと言いたくなる。今にも眠りそうな表情でコクコクと舟を漕いでいるのだ。
何か間違いでも起こって寝てしまう前に彼女は、舞台から退場して行った。
それを見て呆れた様子で息を吐き、ミキは自分の中に在った緊張が霧散したのを感じた。
「では右手側……名乗りを!」
「俺様はイルド! 今日ここで、あの馬鹿者を、叩き潰してやる者だ!」
その声に観客が湧く。
だがどの客も銅鑼の方を見つめて声を止めるタイミングを確かめていた。
仕方なさそうにガイルが手に持つ棒を振り上げようとすると、観客たちの声が止まる。
「では左手側……名乗りを!」
「
凛とした声を発し、ミキは改めて自分本来の名を名乗った。
その声に観客全てが口を開くタイミングを失う。
聞いたことの無い言葉が続いたせいもあり……騒ぐに騒げなかったのだ。
進行役のシュバルもまた同じ。もっと何か無いのかと『ん。ん』と、喉を鳴らして催促して来るがミキは応じない。
真剣勝負で口上など、そもそもに必要が無いのだ。
この世界では初めての実戦……しかし内心でミキは笑っていた。
真剣試合でやはり何か思う所があるのだろうか……義父の名を出し自分を奮い立たせていることが少々滑稽ではあった。だが義父、宮本武蔵守玄信はことあることに言っていた。
『真剣勝負で一度も負けたことは無い。だからこうしてお前に剣を教えているのだ』と。
ならば自分も"宮本三木之助玄刻"を名乗った以上……負けることは許されない。
宮本の名を穢すことなど決して出来ないからだ。
試合前の僅かな緊張を感じ、軽く舌で唇を舐めるミキに……イルドはもう勝ったかの様子で締りの無い顔を向けて来た。
「おいミキ」
「?」
「お前が寂しくない様にあの女も直ぐに一緒の場所に送ってやるよ。くぢゃぐちゃになるまで犯して壊して最後に殺して……出来たらお前の死体と一緒に捨ててやろうか?」
下卑た笑みを浮かべる彼はまだ構えていない。
そのせいでシュバルは試合開始の宣言が出来ずにいる。
やれやれと肩を竦ませ……ミキは軽く息を吐いた。
本来なら安い挑発に乗る必要などは無い。そのはずだが、一瞬でもイルドがレシアを穢すことを考えたことが許せなかった。
「なあイルド」
「何だ?」
「俺の知る言葉に……『弱い犬ほど良く吠える』って言うのがあってな。で、お前は後どれだけ吠えるんだ?」
その顔色を真っ赤にさせたイルドは、ハンマーの柄を掴みそれを振り回した。
軽く砂が舞ったが……ミキが静かに腰の刀に手を添えるのを見て、シュバルは試合開始を宣言することとした。
「ではこれより試合を執り行う! 両者それぞれ良いな!」
イルドは両手持ちの大振りのハンマーを構え、ドカドカと間合いを詰めて来る。
ミキは左手で鞘を握り親指を鍔に当てた。
「では始めよ!」
宣言してシュバルは舞台から飛んで離れた。
~あとがき~
作者注釈
"玄刻"の名は創作です。
調べたのですが、三木之助の名を見つけることが出来ませんでした。
もしご存知な方がいらっしゃいましたら教えて頂ければと思います。
(C) 甲斐八雲
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